うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

覚えていること

2018年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

1年前の4月第4月曜日は24日、この日に旧宅の引き渡し契約をした(実際の転居移動は25日)。

その時のことを覚えてるかというとそれはもちろん覚えてはいるが、その感覚は複雑だ。

昨日のような気もすれば、はるか昔のことのようにも感じる。転居日の10日くらい前の写真を見ると、絶望的に片付いていない気がするし、冬の最中からずっと孤独な片づけ作業を続けてきて、それが押し詰まってこの状態なものだから、その時の焦燥感はそうとうなものだったと思う(たぶんその時は感覚がマヒしている)。

少なくとも、今でも思い出したいことではない。この年の、というか前年末から、転居した後も秋口ごろまでは色々あって、まず気が休まることがなかったし、環境があまりにも急に変わりすぎたしで、にっちもさっちも行かなかった。体調も崩していて、秋まで原因不明の鼻炎に悩まされた。もっとも、その割には案外と楽観的に行動していたのが、自分でも不思議な気がする。

それがまた、思い出したくないなどと言いながら、写真を見返しては色々忘れていることに気がついたりとかしている。。

これはもう直前の写真で、だいぶ箱がまとまってきていますね。。

転居前夜。右側に箱が積んであるが、写真では見えない。鳥たちはこんな感じで前からいて、この辺の環境は最後までそう大きくは変わらなかった。

とはいえ、押し入れの片づけはだいぶ大変だったから、鳥たちもストレスは感じていたかもしれない。。

これは朝、引っ越し屋さんが来て、荷物を全部持って行った後、だと思う。よく見るとケージを置いていた台がなくなっている。

この辺のものをみんな車に積み込んで、現宅に向かった。

そのときの、鳥たちとドライブしたときのことは不思議と覚えている。

前後はあたふたと忙しいのに、ハンドルを握っているときだけはなんか晴れやかというか・。

最初に掲げた、自動車教習所のカットイラストみたいなかんじでした。。

このときはじめて、国道から現宅の前の道に直接行く行き方を覚えて、使ってみた。角を右折して、街路樹のある通りを走り始めたときの印象を、今でも思い出す。

こうしてみるとわからないけど、もう家具は片付いた後ですね。

こういう旧宅の映像を見ると、そこにすっぽり吸い込まれるような気がしてくるんですね。。時空を超えて戻るというか。

この家のない今の自分というのは、やはり昔の自分とは決定的にちがう存在だという気がします。いい悪いじゃないというか、たぶんまあそれでよかったんでしょうけどね。。

 

家具が届いたのは連休明け5月10日過ぎで、それまで食事するところがなかった。これはもうかなり片付いているが、最初は子供の作った秘密基地みたいな、箱に囲まれた中で食事していた。

テレビ周りはもう片付いていて、いまとあまり変わらない。

テーブルは窓と平行(テレビに対して直角)に置いていたが、転居後ほぼ1年となった日曜日、気分を変えてテレビ側に平行に配置してみた。

収まりは良いが、テレビと背面に座るひとはテレビが見えない。もっとも、椅子をぜんぶ使う機会はめったにないので、必要に応じてまた配置を変えればいいかと。

 

 

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