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今日の御言葉 20171218(臨時版)詩編98:1~9「新しい歌」

2017-12-18 | Weblog
12月18日(月)
現在のテーマ「詩編第四巻」
今日のテーマ「新しい歌」
■聖書 詩編98:1~9 (1-3)
■聖句 「新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。‥‥‥主は救いの御業を果たされた。主は救いを示し/恵みの御業を諸国の民の目に現し/‥‥‥地の果てまですべての人は/わたしたちの神の救いの御業を見た」。(1-3)
■解説
表題に何の装飾もなく「賛歌」とだけ記されている唯一の詩編が本編です。表題どおりの壮大な賛美が主と主の御業に対してなされていますが、そこには新約の恵みと祝福に目が開かれているかのような大合唱が響き渡っています。聖句はその冒頭の3節で、特に「主は驚くべき御業を成し遂げられた」がキリストの十字架上の言葉「成し遂げられた」(ヨハネ19:30)を思い起こさせます。作者はまだキリストの十字架という事実を知りません。しかし、信仰の眼差しでそれを見ているかのように歌っています。主は「救いの御業を果たされた」、主は「救いを示し」、「恵みの業を現し」、私たちは「神の救いの御業を見た」と。そして「全地よ、主に向って喜びの叫びをあげよ」(4)と、大いなる賛歌への合流を呼びかけ、全世界に地鳴りのような賛美が響き渡る姿を記しています。興味深いのは新共同訳では、9節の冒頭「主を迎えて」で前節までの詩を受けて終わり、一行の改行後に「主は来られる、地を裁くために‥‥‥」と最後の3行が記されている点です。そこに特別な意味を見出す必要はないのかもしれませんが、「主を迎えて」と「主は来られる」の間の1行の空白に2000年前の受難のメシアと、やがて来られる王なるメシアの預言的空白が現されているようにも思えるのです。作者は受難のメシアだけではなく、王なるメシア(再臨のキリスト)さえも信仰の眼差しでとらえ見ていたのかもしれません。
■祈り
主の成し遂げられた救いの御業を私たちは見ています。知っています。体験しています。だからこそ私たちは主に向って新しい歌を歌います。主を証します。そして信仰の眼差しを来られる主に向って高く上げます。

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