パリ旅行記、今日で4回目です。
8月の第3月曜日は、バンク・ホリデー bank holiday、イギリスの公休日でした。
フランスは、平日運行ですが、イギリス大使館勤めの夫の妹はイギリス運行でお休みで、私たちのパリ観光に同行してくれました。
私が選んだ、お上りさん定番ルート、モンマルトル Montmartre めぐり!
出発点の、ムーラン・ルージュ Moulin Rouge。
メトロ(地下鉄)のBlanche 駅のすぐそばの赤い風車!
1889年にオープンした、世界一有名なキャバレー!
画家、ロートレックも通いつめてインスピレーションを得たというパリの名所!
ネオンに輝く看板と風車が夜空に映える、夜景写真がパリの観光ポスターなどでおなじみですが・・・
白日の下、そばで見るとけばけばしくて・・・安っぽいですね。
アメリカ人の団体観光客は、道を渡って、反対側から全景の写真を撮っていました。
昼間はしまっている、切符売り場上面をかざる、1920年代ふうの壁画が魅力的でした。
ストックポートの図書館で借りてきた、持って歩くのが照れくさいポケット版「パリ観光案内」本のおすすめ、モンマルトル散策コースを歩きます。
イギリスでも大人気だった、フランス映画「アメリ Le Fabouleux Destin d' Amelie Poulain 英語題 Amelie」の撮影に使われたスポットが集中的に点在する地域でもあります。
アメリ関連のめぼしい物件は観光案内本のおすすめコースでもカバーされています。
実は私はこの映画が大好きで、何回も見ているので、興味津々、ミーハー精神まる出しでした。
パリに住む義理の妹は、「アメリ―」が大嫌いなんだそうです。
「甘ったるしくて、恥ずかしくて正視に堪えない。美しい映像で理想化されたパリ生活の描写にうんざりしているパリの住人もいる」と言っていました。
目から、ウロコです。
現地の人にはそれなりの言い分があるのでしょう。
パリに住んでいない私は客観的に評価することができます。表現がきめ細やかな、良い映画です。
映画を見ていない方、ごめんなさい。
「パリ観光案内」の、「ウエイトレス、アメリ―の勤務先、カフェ・デ・デュ・ムーラン Café des Deux Moulins 」の解説を読み上げていたら夫が「のどが渇いたから、コーヒーを飲む」と宣言。入っちゃいました。
イギリスで出版された観光案内にのっているぐらいの観光名所のはずですが、客筋は意外なことに常連と観光客の割合が半々程度。
私たち 大人3人はエスプレッソのお湯割り(アメリカ―ノ)コーヒー、うちの息子はクレープ、甥はホットチョコレートを注文しました。
アールデコ調の装飾が丁寧に保存されています。
夫が写真を撮ってやるというので記念撮影までしちゃいました。
アメリカ人団体観光客のガイドが、店の外で映画に関する案内を述べているのが中まで聞こえてきます。
デュ・ムーランのある、Rue Lepic という通り の急な坂を上がる途中で、19世紀の風車を発見。
ガイド本によれば、18世紀から19世紀までこのあたり一帯、製粉業が盛んで、風車がいっぱいあったんだそうです。現在残っているのはたったの二つ。
もう一つは、見つかりませんでした。
映画、アメリ―の舞台になったカフェ、世界的に有名なキャバレーの「ムーラン(風車)」という名前はここから由来しています。
さて、モンマルトルの丘のてっぺん近く、ものすごい規模の観光地ぶり、俗物ぶりの写真を撮らなかったのが悔やまれます!
ここら辺・・・
上は「窓モドキ」にひかれて撮った写真です。
お土産物屋がいっぱい!!
観光客もいっぱい!これがまさかの、呼び込みまで!
大賑わいのテルトル広場、Place du Tertre(ピカソの住んだアパートがあったはずですが、どれかわかりませんでした)では、似顔絵かきが画架を立てて軒並み店開きしていました。話に聞いていた通りです。
モンマルトルの芸術家のコミューンといえば、ユトリロ、ピカソ、デュフィ、ロートレックなど世紀末、20世紀の画壇を代表する大画伯たちが青年時代研鑽を積んだ、アーティスト志望者の夢の天地!みたいなイメージがあったのですが・・・
ざっと見たところ、似顔絵かきや、自作の油絵や水彩の作品(パリの風景画多し)を並べて売っている「アーティスト」たちの多くは中年あるいは初老の男女、ほぼ全員、英語がペラペラなのも興ざめです。
作風は・・・あ、みんなプロです。下手ではないのですが・・・私が学生だったバブルの頃の東京、銀座あたりで、ガイジンが道に並べて売っていた みな同じ画風に見えた油絵みたいなセンスの作品が多かったように思います。
あるいは、うまいのか下手なのか判別のつかない抽象画。
一人ひとりのポートフォーリオを丁寧に見たわけでは、ありません。
もしかしたら、個性あふれる掘り出し物の才能を見落としたかもしれません!
しかし、あの、今や観光のメッカであるモンマルトルの丘の上で画家をやっていると俗物風にさらされて才能のある画家まで画家としての格を下げるのではないかと心配になります。
モンマルトルの丘のてっぺん、サクレ・クール Sacré-Cœur。
白亜のバジリカ大寺院、見栄えがします。
モンマルトルの華。
すごい人だかりです。
私が入りたそうな物件だと、夫も妹も予測していたようですが、実はあまりお呼びじゃないんです。
1875年に設計施工開始、完成は1919年。
ニセ中世建築にはあまり興味がわきません。
並ばなくていいのならちょっと入ってみてもよかったのですが。並ぶのと、人がいっぱいの建物に入るのはかなり躊躇します。
暑かったし。
夫も妹も、これが20世紀の建築だとは信じないので、また「パリ観光案内」本の登場です。読み上げて納得させました。
冷房の効いたモダン画廊で一息ついて、坂を下る。
パリじゅう、ダリの顔写真アップのポスターがいっぱい貼られていました。
ダリの展覧会はモンマルトルの丘の上の美術館でやっていたのでした。
シュールレアリズムの巨匠、ダリもモンマルトルに持って来られると通俗イメージに転落。
この界隈の、美術史を売り物にした観光化があまりにもすごかったので・・・
観光化されたアートのメッカには興ざめですが、いたるところに、ゲリラ的発生と思われる控えめ自己主張をしているストリート・アートが見られたのは、儲けものでした!
改めて記事にしてみたいと思います。
ユトリロが描いて有名になったピンクの家。
その向かい、19世紀の終わりに芸術家たちが集まったというキャバレー(歌と踊りが楽しめる居酒屋)ラパン・アジル Lapin Agile 。
建物の外に、かわいいうさぎの看板がかかっていたので、写真に撮ったのですが 光が反射して、うまく写りませんでした。
観光ウェッブサイトから勝手に借りて転写します。
お鍋ではねているラパン・アジル lapin agile(ぴょんぴょんうさぎ)
「パリ観光案内」本、読み上げタイムです。
常連客のアンドレ・ジルという画家がダジャレで描いた、ラパン・ア・ジル lapin a Gill(ジルのうさぎ)がぴょんぴょんはねている油絵がこの店の名前の由来だそうです。
店内に飾られていた、ジルのオリジナルの油絵は盗まれて消失。現在かかっている看板絵は、20世紀になって同じ趣向で描かれた、復刻だそうです。
モンマルトルは坂の町、階段が多いんです。
またまた、映画を見ていない方、ごめんなさい。
「アメリ―の住むアパートの一階にある」という設定になっている、コリニョン食料品店の、店先のロケに使われたオウ・マルシェ・ドゥ・ラ・ビュット Au Marche de la Butte 。
屋号の上に Maison Collignon (コリニョンの家)という看板も出ています。
お店の人は撮影に使われたのがよっぽどうれしかったのに違いありません。
横のガラス窓にぎっしりと撮影中のスナップ写真や、映画に関する新聞記事の切り抜きが張り付けてありました。
カフェ・デ・デュ・ムーラン の前を再びとおって、モンマルトルのふもとの、ムーラン・ルージュのある通りに降りてきました。
この通り、Boulevard de Clichy はセックス・ショップがずらあっと並ぶエッチな商店街として知られています。
それにしても、何十とある店すべての店名が、わかりやすい英語です。直接的すぎませんか。
フランス語でひねりのきいた、扇情的なあるいはお下劣な店名は思いつかなかったのでしょうか。
フランスのこの業界ではわかりやすい英語店名に、客をそそる何かしらの効果が期待されているのかもしれません。
日本でフランス語の店名が高級感をかもしだす効果を期待されているように・・・(?)
芸術のメッカ、というよりは、猥雑でキッチュで・・・パリの町なかを歩いた!という実感がたっぷりの楽しい一日でした。
イギリスに帰国してから、夫が「アメリ」を見てみたい、と言いだしたので、DVDを引っ張り出してきていっしょに見ました。
「センティメンタルな」映画は勘弁してほしい といつも言っている夫も、初めて見た後に、良い映画だと評価しました。
8月の第3月曜日は、バンク・ホリデー bank holiday、イギリスの公休日でした。
フランスは、平日運行ですが、イギリス大使館勤めの夫の妹はイギリス運行でお休みで、私たちのパリ観光に同行してくれました。
私が選んだ、お上りさん定番ルート、モンマルトル Montmartre めぐり!
出発点の、ムーラン・ルージュ Moulin Rouge。
メトロ(地下鉄)のBlanche 駅のすぐそばの赤い風車!
1889年にオープンした、世界一有名なキャバレー!
画家、ロートレックも通いつめてインスピレーションを得たというパリの名所!
ネオンに輝く看板と風車が夜空に映える、夜景写真がパリの観光ポスターなどでおなじみですが・・・
白日の下、そばで見るとけばけばしくて・・・安っぽいですね。
アメリカ人の団体観光客は、道を渡って、反対側から全景の写真を撮っていました。
昼間はしまっている、切符売り場上面をかざる、1920年代ふうの壁画が魅力的でした。
ストックポートの図書館で借りてきた、持って歩くのが照れくさいポケット版「パリ観光案内」本のおすすめ、モンマルトル散策コースを歩きます。
イギリスでも大人気だった、フランス映画「アメリ Le Fabouleux Destin d' Amelie Poulain 英語題 Amelie」の撮影に使われたスポットが集中的に点在する地域でもあります。
アメリ関連のめぼしい物件は観光案内本のおすすめコースでもカバーされています。
実は私はこの映画が大好きで、何回も見ているので、興味津々、ミーハー精神まる出しでした。
パリに住む義理の妹は、「アメリ―」が大嫌いなんだそうです。
「甘ったるしくて、恥ずかしくて正視に堪えない。美しい映像で理想化されたパリ生活の描写にうんざりしているパリの住人もいる」と言っていました。
目から、ウロコです。
現地の人にはそれなりの言い分があるのでしょう。
パリに住んでいない私は客観的に評価することができます。表現がきめ細やかな、良い映画です。
映画を見ていない方、ごめんなさい。
「パリ観光案内」の、「ウエイトレス、アメリ―の勤務先、カフェ・デ・デュ・ムーラン Café des Deux Moulins 」の解説を読み上げていたら夫が「のどが渇いたから、コーヒーを飲む」と宣言。入っちゃいました。
イギリスで出版された観光案内にのっているぐらいの観光名所のはずですが、客筋は意外なことに常連と観光客の割合が半々程度。
私たち 大人3人はエスプレッソのお湯割り(アメリカ―ノ)コーヒー、うちの息子はクレープ、甥はホットチョコレートを注文しました。
アールデコ調の装飾が丁寧に保存されています。
夫が写真を撮ってやるというので記念撮影までしちゃいました。
アメリカ人団体観光客のガイドが、店の外で映画に関する案内を述べているのが中まで聞こえてきます。
デュ・ムーランのある、Rue Lepic という通り の急な坂を上がる途中で、19世紀の風車を発見。
ガイド本によれば、18世紀から19世紀までこのあたり一帯、製粉業が盛んで、風車がいっぱいあったんだそうです。現在残っているのはたったの二つ。
もう一つは、見つかりませんでした。
映画、アメリ―の舞台になったカフェ、世界的に有名なキャバレーの「ムーラン(風車)」という名前はここから由来しています。
さて、モンマルトルの丘のてっぺん近く、ものすごい規模の観光地ぶり、俗物ぶりの写真を撮らなかったのが悔やまれます!
ここら辺・・・
上は「窓モドキ」にひかれて撮った写真です。
お土産物屋がいっぱい!!
観光客もいっぱい!これがまさかの、呼び込みまで!
大賑わいのテルトル広場、Place du Tertre(ピカソの住んだアパートがあったはずですが、どれかわかりませんでした)では、似顔絵かきが画架を立てて軒並み店開きしていました。話に聞いていた通りです。
モンマルトルの芸術家のコミューンといえば、ユトリロ、ピカソ、デュフィ、ロートレックなど世紀末、20世紀の画壇を代表する大画伯たちが青年時代研鑽を積んだ、アーティスト志望者の夢の天地!みたいなイメージがあったのですが・・・
ざっと見たところ、似顔絵かきや、自作の油絵や水彩の作品(パリの風景画多し)を並べて売っている「アーティスト」たちの多くは中年あるいは初老の男女、ほぼ全員、英語がペラペラなのも興ざめです。
作風は・・・あ、みんなプロです。下手ではないのですが・・・私が学生だったバブルの頃の東京、銀座あたりで、ガイジンが道に並べて売っていた みな同じ画風に見えた油絵みたいなセンスの作品が多かったように思います。
あるいは、うまいのか下手なのか判別のつかない抽象画。
一人ひとりのポートフォーリオを丁寧に見たわけでは、ありません。
もしかしたら、個性あふれる掘り出し物の才能を見落としたかもしれません!
しかし、あの、今や観光のメッカであるモンマルトルの丘の上で画家をやっていると俗物風にさらされて才能のある画家まで画家としての格を下げるのではないかと心配になります。
モンマルトルの丘のてっぺん、サクレ・クール Sacré-Cœur。
白亜のバジリカ大寺院、見栄えがします。
モンマルトルの華。
すごい人だかりです。
私が入りたそうな物件だと、夫も妹も予測していたようですが、実はあまりお呼びじゃないんです。
1875年に設計施工開始、完成は1919年。
ニセ中世建築にはあまり興味がわきません。
並ばなくていいのならちょっと入ってみてもよかったのですが。並ぶのと、人がいっぱいの建物に入るのはかなり躊躇します。
暑かったし。
夫も妹も、これが20世紀の建築だとは信じないので、また「パリ観光案内」本の登場です。読み上げて納得させました。
冷房の効いたモダン画廊で一息ついて、坂を下る。
パリじゅう、ダリの顔写真アップのポスターがいっぱい貼られていました。
ダリの展覧会はモンマルトルの丘の上の美術館でやっていたのでした。
シュールレアリズムの巨匠、ダリもモンマルトルに持って来られると通俗イメージに転落。
この界隈の、美術史を売り物にした観光化があまりにもすごかったので・・・
観光化されたアートのメッカには興ざめですが、いたるところに、ゲリラ的発生と思われる控えめ自己主張をしているストリート・アートが見られたのは、儲けものでした!
改めて記事にしてみたいと思います。
ユトリロが描いて有名になったピンクの家。
その向かい、19世紀の終わりに芸術家たちが集まったというキャバレー(歌と踊りが楽しめる居酒屋)ラパン・アジル Lapin Agile 。
建物の外に、かわいいうさぎの看板がかかっていたので、写真に撮ったのですが 光が反射して、うまく写りませんでした。
観光ウェッブサイトから勝手に借りて転写します。
お鍋ではねているラパン・アジル lapin agile(ぴょんぴょんうさぎ)
「パリ観光案内」本、読み上げタイムです。
常連客のアンドレ・ジルという画家がダジャレで描いた、ラパン・ア・ジル lapin a Gill(ジルのうさぎ)がぴょんぴょんはねている油絵がこの店の名前の由来だそうです。
店内に飾られていた、ジルのオリジナルの油絵は盗まれて消失。現在かかっている看板絵は、20世紀になって同じ趣向で描かれた、復刻だそうです。
モンマルトルは坂の町、階段が多いんです。
またまた、映画を見ていない方、ごめんなさい。
「アメリ―の住むアパートの一階にある」という設定になっている、コリニョン食料品店の、店先のロケに使われたオウ・マルシェ・ドゥ・ラ・ビュット Au Marche de la Butte 。
屋号の上に Maison Collignon (コリニョンの家)という看板も出ています。
お店の人は撮影に使われたのがよっぽどうれしかったのに違いありません。
横のガラス窓にぎっしりと撮影中のスナップ写真や、映画に関する新聞記事の切り抜きが張り付けてありました。
カフェ・デ・デュ・ムーラン の前を再びとおって、モンマルトルのふもとの、ムーラン・ルージュのある通りに降りてきました。
この通り、Boulevard de Clichy はセックス・ショップがずらあっと並ぶエッチな商店街として知られています。
それにしても、何十とある店すべての店名が、わかりやすい英語です。直接的すぎませんか。
フランス語でひねりのきいた、扇情的なあるいはお下劣な店名は思いつかなかったのでしょうか。
フランスのこの業界ではわかりやすい英語店名に、客をそそる何かしらの効果が期待されているのかもしれません。
日本でフランス語の店名が高級感をかもしだす効果を期待されているように・・・(?)
芸術のメッカ、というよりは、猥雑でキッチュで・・・パリの町なかを歩いた!という実感がたっぷりの楽しい一日でした。
イギリスに帰国してから、夫が「アメリ」を見てみたい、と言いだしたので、DVDを引っ張り出してきていっしょに見ました。
「センティメンタルな」映画は勘弁してほしい といつも言っている夫も、初めて見た後に、良い映画だと評価しました。
テレビで流れていると、退屈で落ち着かなくなり、最後には逃げ出してしまいます。
せっかくの記念撮影、エリさんは横を向いてますか?
ユトリロ、箱根湯本に「ユトリロ」というカフェがあるんです。
他に昼食を食べる場所も無く、困り果てて子供達を連れて入ったことがありますが、ガラス張りの冷蔵庫には青カビがわいたカボチャがあったり、散々でした…。
八幡君も。好悪が分かれる映画です。
男性向きではないですね。ロケ地を訪ねたのをきっかけに見たうちの夫はよかったと言っていました。食わず嫌いじゃないでしょうね。
あ、横向いてますね。息子が逃げたので呼び止めてるところでしょう。甥のことをしっかと押さえつけています。男の子は母や叔母と記念撮影なんて真剣に嫌がる年ごろでしょう。
箱根湯本のアオカビカフェにはユトリロの絵が飾ってあるんでしょうか。