見もの・読みもの日記

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裁判官の仕事と胸のうち/裁判の非情と人情(原田國男)

2017-03-17 23:49:53 | 読んだもの(書籍)
〇原田國男『裁判の非情と人情』(岩波新書) 岩波書店 2017.2

 著者の名前は全く知らなかった。オビの紹介文を見て、裁判官のエッセイだと知り、ぱらぱら中をめくって、読みやすそうだったので読んでみた。原田國男(1945-)は、刑事を専門とする日本の裁判官で、2010年に東京高等裁判所部総括判事を最後に定年退官し、慶応大で客員教授をしているそうだ。Wikiには「量刑研究の第一人者として知られており、この分野に関して多数の論文を発表している」とあるが、私は門外漢で全く知らなかった。

 あとがきに、本書は岩波の雑誌『世界』に連載されたエッセイ「裁判官の余白録」をまとめたものという種あかしがあって、へえ!と驚いた。最近の『世界』は、ずいぶん平易な読みものを載せているのだな。内容は、普遍的な裁判官の仕事についての解説と著者の個人的な体験談が、ほどよく混ざり、興味深い。

 著者は、裁判官は多くの小説を読むべきだという。裁判官は社会の実情や人情に通じている必要があり、小説で経験の不足を補うことができるからだ。裁判官のこういう発言はうれしい。著者のおすすめは池波正太郎の『鬼平犯科帳』で、悪い奴はこらしめ、可哀想な奴は救うことで一貫している。「ここがいい」のであって、裁判官は権力をもっているのだから、可哀想と思ったら、量刑相当でなくとも、軽い刑や執行猶予にすればよい、という。ちょっと誤解を招く言い方だが、裁判官の権力は何のためにあるかを考えさせられる。

 裁判の仕事が記録に始まって記録に終わるらしいことも、あらためて認識した。はじめは予断を排して訴状を読み、公判記録を読む。大きな事件だと、公判記録がロッカー何棹分になることもあるそうだ。これを整理して頭の中に入れ、判決を書く。歴史学の史料研究などと基本は同じで、典型的な文系の作業であると思った。

 著者が出会った先輩裁判官たちの話も面白かった。裁判は、裁判長と右陪席、左陪席の三人の合議でおこなわれるが、自分は最後まで意見を言わず、右陪席、左陪席、それに司法研修生に時間制限なく議論させる裁判長がいた。また、判決文は左陪席が起案し、右陪席が手を入れ、最後に裁判長が確定する。このとき、全く文章を直さない裁判長だと、プレッシャーがかかって大変だったという。今のご時世では裁判長の手抜きと見られそうだが、私は、こういうおおらかな人の育て方をする年長者はいいなあと思う。

 逆にあまり愉快でなかったのは、最近の学生のひとりが「自分は将来最高裁判所長官になりたい」「どうしたらなれますか」と聞いてきた話。出世を望むこと自体は悪くないが、出世するためにどういう裁判をしたらいいかばかり考えるようになると、目の前の事件や被告人の姿が消え失せてしまう、と著者は心配する。全くそのとおりだ。著者は「自分を待っている事件は、日本中のどこにでもある」と考える。そうそう、世間の一番や二番に惑わされることはない。仕事に対するこの考え方にはとても共感する。

 著者の個人的な体験で微笑ましかったのは、在外研修員にノミネイトされ、ディクテイション(聴き取り)の試験を受けたら、大学時代懸命に覚えたケネディ大統領の就任演説だったので、聴き取るまでもなく全文書けたというもの。まるで武侠小説『射鵰英雄伝』で郭靖が九陰真経を暗唱する下りみたいだと思った。

 それから、著者は20件以上の逆転無罪判決を出しており、ネットで「またやっちゃったよ原田判事」と揶揄されたこともあるそうだ。無罪判決を続出すると出世に影響するのではないかという推測について、著者は「残念ながら事実」と書いている(正直!)。しかし、犯人とすることに「合理的な疑い」が残る場合は、無罪としなければいけない。この原則は、私たち市民のほうが忘れがちだが、法の専門家は忘れずにいてくれるものと信じたい。

 なお、気になったことだが、日本は他国に比べて偽証罪の起訴が極めて少ないという。これは日本人が偽証をしないからではない。たとえば裁判で、同じ事実に正反対の証言がされるときは、どちらかが偽証しているはずだが、検察は起訴をしたがらない。警察が偽証した場合も同様である。これはよくないと思った。こんな状態を放置しているから、政治家にもジャーナリストにも嘘を言い放題の風潮がはびこるのである。

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