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西岡昌紀 『「ガス室」の真実』 ・木村愛二 『アウシュヴィッツの争点』など1-1

2016年05月22日 | プロパガンダ

     ▲木村愛二 『アウシュヴィッツの争点』 1995年 リベルタ出版 定価2500円+税

 

西岡昌紀 『「ガス室」の真実』 1997 日新報道、木村愛二 『アウシュヴィッツの争点』 1995年 リベルタ出版 など

 

西岡昌紀 『「ガス室」の真実』 1997 日新報道、木村愛二 『アウシュヴィッツの争点』1995年 リベルタ出版など 

これまで、疑うことが タブーとされてきた「アウシュヴィッツ収容所」のガス室の問題。欧米では、戦後から、「歴史ねつ造」との非難の大合唱・毀誉褒貶の嵐に吹きさらされながら も、真相追求へむけての論著が数多く発行されてきたのだが、日本の言論界では、この問題はほぼ完全に1990年代まではタブー化されていたようだ。

西岡昌紀や木村愛二らは、いち早く 「アウシュヴィッツの争点」に挑戦して問題提起してきた経緯がある。

西岡昌紀の論文が掲載された『マルコ・ポーロ』が、西岡昌紀への連絡相談もなく廃刊・回収となり、その廃刊の真相も 闇に葬られてしまった。

西岡昌紀の論文記事が掲載された『マルコ・ポーロ』発刊日はなぜか、ちょうど1995年1月17日であり、阪神・淡路大震災が起き た日でもあった。その後の報道は当然ながら、震災報道に集中し、『マルコポーロ』廃刊に関わる記事は、極少なかった。その後出版された西岡や木村の著書や 翻訳書も、書評新聞に僅かに掲載されたほかは、無視同様であった。書店から『マルコ・ポーロ』は回収されたため、市民は読むこともできず、何が起きたのか全くわからないまま、歴史の記憶から消去されているのではないだろうか。

1995年は、敗戦後50年の年でもあり、ユダヤ人虐殺を扱った『ショアー』が日本でも 公開された年でもあった。したがって、1995年は、戦後50年の節目の年として記憶され、あるいは震災の年として記憶され、またドキュメンタリー映画の『ショアー』を見た年として記憶している人も いるかもしれない。

しかし現在の時点で、西岡昌紀や木村愛二の著書や木村愛二が訳したロジェ・ガロディの本『偽イスラエ政治神話』1998年 れんが書房 を読みながら考えると、「ホロコースト」「ユダヤ人虐殺」「アウシュヴィッツ収容所のガス 室」の問題は、1995年の時点に戻るだけではすまされないという感情が私の中に生まれつつあるのだ。

 

 ▲ ロジェ・ガロディ 『偽イスラエ政治神話』1998年 れんが書房 定価3800円+税

 

フランス共産党の要職を務めた後、1968年のソ連によるチェコ侵入に抗議し、共産党を離脱したロジェ・ガロディは、ガス室に疑問を投げかけたからといって、親ナチでもなければ、右翼に転向したわけでもない。彼なりの史実探求として、事実を子細に検討していくと、「イスラエル建国」にからむ、情報操作・プロパガンダにまで行き着いたということにすぎない。

木村愛二は、「ナチ・ホロコースト・イスラエル建国神話」についての重要な著作であると思われるのに、10冊以上も日本語の翻訳がある著名人の作品なのだが、この本だけは、誰も訳してくれないので、非力を顧みず、自分で翻訳することにしたと書いている。

なぜか新左翼のリベラルを自称する現代知識人にも、ひどく敬遠された、このロジェ・ガロディの本、なかなか、読んで見ると、心底勇気ある人物に見える。

対して、この本を酷評した、2人の人物の書評を、木村愛二のホームページ・木村書店で読むことができる。アカデミズムに巣くっている輩が、卑小な人物であるかがよく分かった。

また、木村愛二の 『アウシュヴィッツの争点』 1995年 リベルタ出版が出た頃、日本ではランズマンの映画作品『ショアー』とその作品の翻訳、上映運動に関わった高橋哲哉ほかの面々の座談会もこの頃本となっていたのだが、今、ロジェ・ガロディ 『偽イスラエ政治神話』1998年 れんが書房や、木村愛二『アウシュヴィッツの争点』 1995年 リベルタ出版、そして、木村愛二『ヒトラー・ホロコースト神話』2006年、木村書店などを読むと、ランズマンのこの作品は、イスラエル国家の命を受け、その意を汲んで作られた、いわば国策映画、プロパガンダ映画であったということがよく見えてくるのである。

1994~1995年前後では、まだインターネットも普及しておらず、通信速度も遅く、また情報もテキストベースで、今日のようには、情報を網羅できず限界もあった。今情報を収集してみると、ランズマン作品の一連の製作周辺には、イスラエルの国家戦略が、きちんと絡んでいたのである。

 

 

 

 ▼ ロジェ・ガロディ 『偽イスラエ政治神話』 目次1

 

 

 

 

▲ ロジェ・ガロディ 『偽イスラエ政治神話』 目次2

 

 

▲ ロジェ・ガロディ 『偽イスラエ政治神話』 目次3

 

 ▲ ロジェ・ガロディ 『偽イスラエ政治神話』 目次4

 

 

新たな疑問に答えることなし考えることは不可能かも知れないと思うようになってきた。それはなぜか!?

記憶に基づく証言とされてきたものは、果たして歴史的事実であったのか。それはどのようにして、検証可能ものとして採用され、反対尋問されずに裁判を促す決定史料となったのか?そのようなことは可能なのか?

記憶の集成や、映像フィルム、自白によるニュルンベルク裁判証拠史料は、どのような、経緯を通り、積み重ねられ、裁判判決をになっていったのか。

もしかすると、とんでもない、恐るべき思考停止の果てに、今日の世界認識・状況・政治世界があるのではないか?

我々は、日々の洗脳の成果を、つまり洗脳の故に成功した成果によって、洗脳を意識しないでいるのではないか!?

マルコポーロ廃刊事件を私は納得しないでいたのだが、しかし、またこの疑問の縺れも私自身の問題としてほどくこともなく、1995年から、なんと20年以上も経過していることに、全く驚くやら、恥ずかしいやら・・・・・・・

 

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2001年の9.11事件の後、

小学生の子供でもわかり、理解できる知識で、これは不思議だと思う人が大半だと思うのだが、

アメリカ・ニューヨーク貿易センタービルにかかる重力は、どのようになっていたのだろう。

センターに突っ込んだ飛行機が激突・炎上の後、火災はほどなく鎮火に向かっているように見えたのだ。が

ここ21世紀のアメリカという国家においても重力というものが、当たり前のことだが、働いているのだが、

飛行機の衝突で、火災が起き、鉄骨の強度が落ちたという理由で、物が何の抵抗もなく落下する速度のようにビルが崩壊していくのである。

ボルトで堅く連結され、結合された耐火鉄鋼構造のビルが、

なんと爆発現象を起こさせ、

鉄骨を上方に大きく飛び出させ、

貿易センターに隣接するビルを飛び越えて、150メートルにもわたって吹き飛ばし、散乱させ、

鉄骨と結合していたコンクリートをパウダーにさせる力をも持っていたらしい。

地下では、ビル鋼材が熔け、溶鉱炉の中のように赤く熔けてプールのような流動体になっていた。

いったい、2001年9月11日、

アメリカのニューヨークで起きた重力とは、科学認識のはずの理解をはるかに超絶しているらしい。

これは、科学というよりは、地球的規模の悪魔的・超全体主義の明らかな兆候であるのではないか。

グローバル・ファシズムの劇場・演出がついに始まったと見るのが正解なのではないだろうか。

ヒトラー・ナチスも驚愕して思わず「これには参った」と、「降参しました」と言わせたようなものではないだろうか。

ヒトラー曰く

「私はドイツ国民を騙してドイツ国会議事堂を炎上させ、権力掌握し、国民を騙したのだが、世界のすべてをいきなり騙すなんてことは私は考えもつかなかった」

9.11事件は、もしも自作自演だとしたら、陰謀工作としては、20世紀・21世紀を含めても史上最悪?事件だったのではないだろうか?

 

え!?そんな馬鹿な!?と思う人は、

ぜひ、911事件の映像・動画資料をインターネットで検索して見て確認して欲しい。グーグルで「youtube  9.11自作自演」 「youtube 9.11やらせ」などと打って、検索にかけると、9.11事件についての膨大な頁や動画がヒットする。

9.11事件後、まだ一度も落ち着いて、貿易センタービル崩壊の映像や動画をまだ見ていない人は、一度じっくりと見て欲しい。

視聴に際して、一つの素朴な私の注文だが、

重力はどう働くかというところを、小・中学生でも考えるはずの、ささやかな知恵を念頭に入れながら見て欲しい

 

これまで、世界では一昼夜、24時間以上も燃え続けたビルであっても、耐火鉄骨構造のビルは崩壊したことはないのである。

だからこそ、ニューヨーク市消防隊の300人もの人々は、まだ延焼していない貿易センターの上階フロアーを確保しそこをベースに必死に消火活動を試みていたのである。

彼ら、貿易センターの上階で脱出することなく消火活動にあたっていた消防隊員の多くは殉職した。世界の火災史ではこれまであり得なかったビル全体の崩壊によって希に見る殉職者を出した。

21世紀の初頭、今まで全く想像もしなかった、「9.11事件」いう大惨事を目撃し、それがその後の史料の検討で陰謀工作の疑いが極めて濃いものになってきたことを考慮してみれば、

20世紀の大きな世界史的転換を促した歴史事件も一つ一つ点検していくべきであるのは、ごく自然なことであるし、またそのような再検討したいという強い意志がわき上がってくるのはなんら不思議なことではない。

これまでの歴史においても、大きな戦争の前には、歴史的変換の前には、陰謀工作によって、戦争の火種を撒いていたのは、枚挙にいとまがないほどある。 

2001年9月11日、アメリカのニューヨークでの大惨事の後、

そしてロンドンでのテロ事件、マドリッドでのテロ事件、

インドネシアでのテロ事件

みな、自爆テロであると一件落着したものと見なされているが、それはほんとうか!?

さらに、2010年7月のノルウェーでの、サマー・キャンプでのテロ事件

2010年北アフリカの民主化運動をを発火点と見なされるが、それを装ったクーデター・国家転覆戦争では?

2011年3月11日~ 東日本大震災 3連続の震源による?大地震・大津波の後の海水汚染、空母レーガン乗組員の核汚染物質と思われる原因の健康障害・・・・

2015年1月パリテロ事件 ユダヤ人経営者のマーケットでの立てこもり事件、ユダヤ人経営者の老舗バタクラン劇場テロ事件の怪・・・・なぜかユダヤ人の店がターゲットされているように見えるがしかし・・・・・

それらは、巷のメディアにより語られているように、ほんとうにイスラムテロによる事件であったり、個人的狂信者による犯行だったのだろうか?

1989年ー1990年のソ連社会主義崩壊後、「冷戦の根拠の一方的崩壊の後に起きたこと」は何だった?

上の通りの、社会主義的全体主義の崩壊による敵つまり冷戦構造の消滅による敵の消滅なのだ。

悪魔敵な敵(これは米国の創作によるでっち上げであったのだが) の消滅こそ、本当の、アメリカを根底から揺るがす敵なのではなかったか。

なんとしても、「世界を恐怖に陥れる悪魔的な敵」の創出こそがおびただしい軍事費の支出で、かろうじて自転車操業的経済を回しているアメリカの深層の真相であるのでは?

「敵なき時代の敵の創造」こそが、身も蓋もないアメリカなどの世界寡頭ネットワークによる経済的・政治的動機である。といっては失礼にあたるだろうか?        

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記憶というものだけの記録で、反対尋問なしに、科学的証拠の検証や実験結果も揃えることなく、政治裁判・軍事裁判で、人道に対する罪は成立させられるのだろうか。

前回の4月23日のブログで記していたのだが、アウシュヴィッツ収容所の所長の職を1943年まで勤めたルドルフ・ホェスは、尋問による調書に自分はサインしたが、それは、厳しい取り調べ(拷問)により、作成されたものであると記録を遺している。

また、敗戦のとき、アウシュヴィッツ収容所長にあった人物は、1960年まで逃亡して潜んでいたのである。この人物、リヒャルト・ベイヤーは前回書いたので、省略するが、「アウシュビッツ収容所には、ガス室はないし、見たこともない」と最後まで言っていたとされ、拘留中に、検察による取り調べの記録はあるはずであるが、裁判で判決が下される前に1963年拘禁中に死亡している。

 

最重要な、ドイツ降伏直前までアウシュヴィッツ収容所長の職にあったリヒャルト・ベイヤーの取り調べ、の記録も、本人死亡のため、裁判は進行せずに終わったこと。アウシュヴィッツ収容所のガス室の存在について、前・前任者のルドルフ・ホェスへの「拷問による自白の記録」を基に、敗戦までのアウシュヴィッツ収容所の事項が、作成されたものであるという事実を念頭に置いて読むことを奨める。

 

 

▲ 西岡昌紀 『「ガス室」の真実』 1997 日新報道 定価2000円+税

 

 ▲西岡昌紀 『「ガス室」の真実』 目次1

 

 

 ▲西岡昌紀 『「ガス室」の真実』 目次2

 

 

 

▲西岡昌紀 『「ガス室」の真実』目次3

西岡昌紀 『「ガス室」の真実』 目次4

 

▲西岡昌紀 『「ガス室」の真実』 目次5

 

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 西岡昌紀の『「ガス室」の真実』 1997 日新報道は、木村愛二『アウシュヴィッツの争点』1995年 リベルタ出版に次いで、アウシュヴィッツ収容所のガス室の存在に関する見直しを提起する論考を掲げた単行本では日本では2番目の著作であるようだ。

文藝春秋社の『マルコポーロ』は、原稿が印刷に付されていたにもかかわらず、また書店に配本されていながら、西岡昌紀に無断で、雑誌の回収を図り、ほぼ、読まれることなく終わり、西岡はこの論考のほか連載も予定していたことから、後から、これらを再考しなおししてまとめ、併せて、『マルコポーロ』廃刊についてのいきさつを、巻頭の1章に記している。

 

わたしたちは、収容所の空き地に掘られた穴の中に、やせ細った夥しい死体が投げこまれている写真や、ブルトーザーで死体を押し出している映像の一齣の記憶があるのだが、それがどこの収容所のものであるか、あるいは、そのやせた死体が、どのような病気で死んだのか、あるいはガス殺されたのかどうかも知らないまま、検証する手だても確認することなく、「絶滅収容所」という歴史を、宣伝のまま、受け入れてきたのではないか。

外に放置されたあのやせ細った遺体は、発疹チフスなどの病死なのか、または栄養失調による衰弱死なのか、それともまた他の疾病による死なのか、あるいはガス殺なのか。いっこうに明らかにされないまま、写真の下の文言で踊らされていないだろうか!?

収容所の開放後、ガス殺と認められた解剖所見や検証はどれほどあったのか?それを私たちは検証してきたのだろうか?

それに対する疑問に対して、驚くべき事実が明らかにになってくる。ドイツ国内には、いわゆるガス殺のような「絶滅収容所」はなかった。という見解では、大方の見解が一致を見せはじめた。!?

またポーランドなど、社会主義政権下のにある収容所は、戦後調査に入ることをロシアに拒まれたという理由により、10年間もの長期間、調査に入ることができず、実地検証なしに、収容所の裁判の判決が下された!?

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

    

 



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