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キンキナトゥスのこと エドワード・スノーデン 帝国崩壊の予兆と世界

2018年03月31日 | 現代遊記デモクラシー・スノーデン・ネグリ

           ▲キンキナトゥス 英語版wiki より

 

キンキナトゥスのこと エドワード・スノーデン 帝国崩壊の予兆と世界

 

キンキナトゥスのこと エドワード・スノーデン  帝国崩壊の予兆と世界

 

        

   ▲ キンキナトゥス とその妻

 

 今から3年ほど前、エドワード・スノーデンについての、グレン・グリーンウォルドによるインタビュー記録が2014年に世界同時発売『暴露』として、(日本では新潮社から)出版された時、このブログでも紹介記事を書いたことがあった。

エドワード・スノーデンは重大な情報の暴露であり、連絡には機密を要するため、グレン・グリーンウォルドらの送信には、匿名の名前を使い、メール交換していたのだが、その名前がキンキナトゥスであった。

ローマ帝国初期の実在の人物で英雄譚となって語り継がれている人物。

日本の古典で学ぶ日本書紀や古事記の中の実在の人物のように、欧米では西洋古典学や、西洋史古代史では比較的よく知られている人物のようだが、西洋古代史はやろうやろうと思っているうちに、時は経つのは早い。現役中には、1998年頃岩波講座の世界史を予約購読者にはなったものの、ほとんど手つかずのままま10年ほど経っている。

学生時代、西郷信綱さんの古事記を読む入門のような講義を聞きながら神話学の面白さも教えてもらい、大林太良や、吉田敦彦らの神話学の本も読んでいたことがあった。その後この手の本は、わが書庫深く埋もれ堆積していたのだ。

たまたま、コリン・レンフルーの『ことばの考古学』1993、青土社を入手し読んでいたところ、吉田敦彦や、デュメジルの神話論を批評している部分に出合い、再び水面下にあった人間の無意識の神話的思考の重要性を思い出しているところだ。

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 エドワード・スノーデンはどうしてこの名前を使ったのだろうか。

スノーデンはキンキナトゥスという紀元前5世紀の人物に何を託していたのか?とふと思う。

最悪の場合、アメリカ当局に漏洩した場合、生命の危険もあったはずだ。

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松岡正剛の千夜千冊 読相篇に ジョゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』1984年 人文書院 の書評が載っているのだが、その中で松岡はジョゼフ・キャンベルのこの作品の構造をこうまとめる。

 

彼は、この作品で、英雄の構造を見事に指摘したこと。

英雄とは、「生誕の再現」が絶えず繰り返される人間であり、その生命の啓示が、カトドス(上り道)とアノドス(下り道)の上に幾度となく成立するような人間のこと。総じては「自力で達成される服従(自己克服)を完成した人間」のことであると整理した。」

神の造形は、あらゆる民族に共通する「欲求」にもとづいているという。

「神話の四つの力」

1 存在の神秘を畏怖に高める力

2 宇宙像によって知のしくみをまとめる力

3 社会の秩序を支持し、共同体の個人を連動させる力

4 人間の豊かさに背景を与える力」

             

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ジョゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』は、エドワード・スノーデンの愛読書だったのではないだろうか、と、ふと想う。

エドワード・スノーデンの人生・職業経験・日本の基地で視たリアルタイムの動画映像・まるで虫けらのように市民を惨殺していく攻撃映像とその監視、アメリカ帝国の極限的とも言える冷酷な作戦と腐敗は、彼のその後の道ゆきを決断させ、アメリカなるものからの根源的な脱出を促したのではないだろうか。

ローマ帝国時代初期、英雄伝説となったキンキナトゥスは、何事かをなした後、故郷に帰還していく。

エドワード・スノーデンにはどのような帰還の方途があるのだろうか。

 

  

 ▲ジョゼフ・キャンベル 『千の顔を持つ英雄』 1984年 人文書院


2015年に早川書房から新訳で、文庫版で出たようだ。

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いまや、アメリカもユーロも三文芝居役者も逃げ出すバナナ国家以下になり果てている。

何の相互確証も確認も論証もないまま、国際法上の機関の認定もないまま、英国が、「元スパイに対してロシアが薬物で攻撃した」と言えば、米国そしてユーロ諸国がまるで、かつての枢軸国ファシスト集団のように、鸚鵡のように同じ言葉を連呼してロシアを攻撃する。

20年以上も前に広瀬隆は『地球のゆくえ』1994年、集英社 で、1990年代前半の現状の世界の主要国国家群の醜態(湾岸戦争・ユーゴスラビア解体など)を指摘した上で、「国際連合」は「連合国」と訳した方がいいといっていた。つまり同じ帝国主義連合国対枢軸国側帝国主義連合国程度の差異ほどのものでしかないのだと言っている。

また、国際世論とは「寡頭支配層グループ・ロスチャイルドの意見」(ロスチャイルドなどが連携指揮するメディアの意見)だといっていた。凡そその通りで、欧米の大通信社・テレビ・ネットワークは、今や権力・権威をチェックする機能をほぼ持ち合わせていない。

ロシアは、かつてのソ連が解体した後、エリツィン大統領とその取り巻きの元で、シカゴ派流新自由主義経済・ショック・ドクトリンが吹き荒れ、未曽有の国家財産の損失・国外流失、連邦解体を経験した。

シカゴボーイズによる新自由主義がロシアを支配していた時期、終わってみれば、ロシア人男性の平均寿命が何と7年も縮小してしまったのだ。これはロシア国民の身体に深く破壊の歴史記憶として刻まれ、圧倒的なプーチン支持として100倍返しとなり国民の感性に刷り込まれた。

ロシア人男性7年の平均寿命縮減と絶望を引き換えに、「欧米式自由と民主主義」という夢は全くの虚報であり儚い幻想であったことをロシア国民は徹底的かつ短期に学んだはずである。

いかに西洋的民主主義の規範からプーチンの政治手法が批判されようと、赤裸々な強欲の夢を後追いするイデオローグは国民が許さないほどにロシア現代史に集団的心的外傷として刻印されてしまっているのではないだろうか。

欧米のメディアが、「自由と民主主義」の何を伝え・何を全く伝えようとしてこなかったのか、ロシア国民の声とスノーデンの口から、証言として漏れ出してきているのではないだろうか。

千の顔を持ったそれぞれの英雄譚はすぐにも思い当たるほど人間の歴史を射抜いているところがあるのではないだろうか。共同体の無意識に潜む神話的想像力の持続性は侮ってはいけないと思う。

 

  つづく

 



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