横浜焼売(シウマイ)物語2023

2年ぶり再開。ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛。落語らぶ。晴れ時々ランニング、更新随時

周さんのピアノ/chew piano

2015-07-07 | 横浜ラブ

日本のピアノメーカーといったら、YAMAHA、KAWAI

しかしかつて戦前(第二次世界大戦前)の横浜では、ピアノといえば「周ピアノ」でした。

初代の周筱生(しゅう しょうせい)は、上海のイギリス系の楽器商店でピアノ製造の腕を磨きます。
1905(明治38)年、来日。スウェイツ商会でピアノ工場の主任として働くかたわら、若干20代後半で
自ら製造したピアノを販売する店を構えました。


当時ピアノは高級品で、家一軒が建つくらいの金額だったにもかかわらず、

正確で美しい音色と丁寧な仕事ぶりが評判を呼び、店は繁盛。
その後の関東大震災で当主と次男が落命し店も被災しますが、周の妻と長男が再建を果たし

「周ピアノ」は黄金期をむかえます。



が、時代は急変。日中戦争がはじまり世界大戦へと広がります。
ヨーロッパや上海にたびたび部品の仕入れや商談に出張していた二代目周譲傑(しゅう そんじぇ)はスパイ容疑をかけられ当局に連行。
ピアノ製造どころではなく、周ピアノは閉鎖。
終戦の翌年周譲傑(しゅう そんじぇ)が亡くなり、明治から続いた名店「周ピアノ」はここに幕をおろしたのでした。

激動の時代、壊滅的な被害を受けた横浜でその音色はもう聞くことはできないだろう、といわれた「周ピアノ」ですが、

現在までに初代謹製、二代目謹製合計19台が発見確認されています。
そのうちの京都で発見された一台は、現在も現役だとか。

初代の周ピアノにはS.CHEWの銘、二代目のピアノにははS.CHEW & SONの銘が刻まれています。


先日、開港資料館で公開されていたイギリス大使の部屋に展示されていたのは初代周ピアノでした。


できればその音色を聞いてみたいものです。

_______
中華街の萬珍樓 本店(まんちんろうほんてん)のロビーにも周ピアノが2台展示されています。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿