人生の謎学

―― あるいは、瞑想と世界

肝試しの怪談

2016-02-22 00:33:24 | 怨念と祟り
 かなり昔のことになるが、ある男性が窓から右腕を出したまま車を運転していて、しばらくしてふと、その右腕がないことに気づき、愕然とした、という新聞記事を読んだ記憶がある。運転中に対向車にぶつかったか、中央分離帯に当って腕をもぎ取られたらしいということだった。
 その記事を切り抜いて、しばらく保存していた記憶があるが、小さな記事だったので、そのうちにとり紛れてしまった。それからまたしばらくして、やはり類似の記事に出くわした。これも切り抜きを保存していたものの、やがて散逸してしまった。どちらの記事もわずかな文字数の簡潔な内容で、詳細を知りたいわたしを戸惑わせた。なぜもっと大切に保存しておかなかったのか、悔やまれもする。
 その後、たまたまネット経由で接したニュースに、次のような内容のものがあった。――国道1号バイパスを大型バイクで走行していた50代の男性が、中央分離帯に接触したさいに右足を膝下から切断したが、気付かず約2キロ走行していたというのである。
 わたしの知合いの女性が、幼い頃に「かまいたち」にあい、瞬間的に足の脛の肉が深く裂かれ、その傷がいまでも残っているといって見せてくれたことがある。刃物で切られたような鋭い傷で、本当に痛みを感じず、血も出なかったという。
 もぎ取られるか切断されるかして、一瞬のうちに身体の部位が欠損すると、血管や血行などの状態によってはすぐに流血せず、明確な痛みもなく、その瞬間に意識が他のことに捉われていたりすれば、すぐにその異変に気付かないということがあるのかもしれないが、いずれにしても恐ろしいことである。
 やはりうろ覚えの記憶に頼らざるを得ないが、ノーマン・メイラーのコントに、駆けている兵士が転んだ拍子に首がもげてしまい、自分の転落していく首なしの身体を驚いて眺める描写があった。さすがにこれは現実的に起こりそうにはないが、もしも突然首が切断されたなら、その直後にはまだその首が意識の主体として、分離した自分の胴体を相対化することになり、死はその直後に、一拍遅れてやって来るのだろう。

 ――というように、腕や頭部などの身体部位の瞬間的な欠損による、その後の痛苦や死にいたる前の非日常的な奇妙な時間に着目して、このあたりの恐怖について考えてみたい。
 そもそも、以上のようなエピソードを思い出したのは、ラフカディオ・ハーンの「幽霊滝の伝説」に象徴される「肝試し」の怪談について考えていたことがきっかけだった。
 常光徹氏の『妖怪の通り道 俗信の想像力』の中に収められている《「幽霊滝」と肝試し譚》(初出は『説話・民俗学』第五号、一九九七年)では、ハーンの「幽霊滝の伝説」を軸にして、いくかの類話が検討されている。本稿はしばらく、この常光氏のテキストと歩調を合わせて進むことにする。
 氏はハーンの「幽霊滝の伝説」に触れる前に、東京の専門学校に通う学生が友人から聞いた話として、まず「肝だめし」という怪談を紹介している。以下はその全文である。

《   肝だめし

 ある夏の夜、子どもたちはお寺に集まった。裏のお墓で肝だめしをすることになっているからだ。十人ほど集まると、一番年上の子が言った。                  、
「みんな恐いか」
「恐い、恐い」
「恐くない、恐くない」
静まったお寺の中に子どもたちの声が響いた。また、一番年上の子が言った。
「オレは、今日の朝、父さんから一万円をもらった。それを昼間のうちに裏の墓の一番奥にあるあのでっかい石の前のビンに入れて置いてきた。今から順番を決めて、肝だめしをやって、そのピンを持って帰ってきた奴に、その一万円をやる。ただし順番はくじ引きだぞ」
 子どもたちがくじを作っていると、一人の女がフラフラとやってきた。その女はたいそうやせていて、よく見ると子どもをおぶっていた。女が言った。
「さっきあそこであなたたちの話を聞いていたのだけれど、どうか私にも肝だめしをやらせてくださいませんか。どうしてもお金が欲しいのです」
子どもたちはその女を見て、なんだかたいそう気の毒になり、仲間に入れてやることにした。
 くじ引きをした。すると一番はその女だった。女は少し微笑んだ。女が行こうとしたとき、一番年上の子が女にカマを渡した。
「何かあるといけないから、持って行きな」
 女は暗い暗いお墓の中をフラフラ歩いて行った。蛙が薄気味悪く嗚いている。手に持っているろうそくの明かりがチラチラと揺れて、まるで何かが動いているようだった。しかし女は恐ろしさをこらえて歩いて行った。
 しばらく行くと、一番奥の大きな石が見えてきた。女は石の前のビンを探した。ビンはすぐに見つかった。女は喜んでもどろうとした。そのとき女の首に冷たい人間の手がさわった。
「ギャー」
女は走った。走って走って苦しくなった。
すると今度は髪の毛を思いきり引っぱられた。
「ヒーッ」
女はまた走った。だがその手は髪の毛をしっかりつかんで離さない。女はカマをふった。
「ザクッ」
という音とともに手は離れた。
「帰ってきたぞー」
女は冷や汗でびっしょりになりながら息を切らせてもどってきた。
「おばさん、大丈夫かい」
「ああ、ほら、とってきたよ。一万円もらっていいかい」
その時、一人が悲鳴をあげた。
「おばさん、背中がまっかだよ。まっかっかだよ」
 女は落ちないように必死にしがみついていた自分の子をカマではねたのである。(志達明子)》

■肝試しの怪談____1


 さりげない描写から残酷な結末へと展開する意外性が巧みであるが、すぐにハーンの『幽霊滝の伝説』が想起される。以下は小泉八雲著・平川弘編『怪談・奇談』(河島弘美訳)からの引用である。

《   幽霊滝の伝説 小泉八雲

 伯耆の国、黒坂村の近くに幽霊滝と呼ばれる滝がある。その名前の由来は知らない。滝壷の脇には小さなお宮があって、土地の人々が滝人明神と呼ぶ神様がまつられている。お宮の前には木でできた小さな賽銭箱が置かれているが、その賽銭箱にまつわる次のような話が伝えられている。
 今から三十五年前の凍えるような冬の晩のこと、黒坂の、ある麻取り場で、一日の仕事をすませた女房、娘達が仕事部崖の大きな火鉢のまわりに集まって幽霊話に興じていた。十余りも話の出た頃には、居合わせた女達のほとんどが薄気味悪くなってきたが、娘の一人がその場の恐ろしさを募らせようとして、「今晩たった一人で幽霊滝へ行ける人がいるかしら」
と声をあげた。これを聞いて一同は思わず悲嗚をあげ、続いてどこか神経質なところのある笑いが起こった。
「行く人がいたら、今日あたしの取った麻を全部あげてもいいわ」
一人がからかうように言った。
「あたしもあげる」
「あたしも」
「あたし達みんなあげるわよ」
女達が次々に言い出したその時、一座の中から安本お勝という大工の女房が立ち上がった。お勝は二歳になる一人息子をおぶっていたが、子供は暖かくくるまってすやすやと眠っていた。
「ねえ、皆さん。今日皆さんの取った麻を、もし本当に全部下さるというのでしたら、あたし幽霊滝へ行ってきます」
お勝がこう言うと、ほかの者達は驚きの声をあげたり、できるものかという顔をしたりしたが、お勝が幾度も幾度も繰り返すので、ついに真剣に耳を貸すようになった。そして、もしお勝が幽霊滝へ行くなら自分の取った一日分の麻をあげよう、と皆代わる代わる約束するに至ったのである。
「でも、本当に行ったかどうか、どうしてわかるの?」
と鋭い声がとんだ。
「そうだね、ではお勝さんに賽銭箱を持って来てもらうことにしよう。そうすれば確かな証拠になるだろう」
皆におばあさんと呼ばれている年寄が答えた。
「ええ、持ってきますとも」
お勝は叫ぶようにそう言うと、眠った子をおぶったまま、外へとび出して行った。
 凍るように寒い晩だったが、空は哨れていた。お勝は人通りのない夜道を急ぎ足で歩いて行った。刺すような寒気にどの家も表をしっかりと閉ざしている。やがて村を抜けて街道に出ると、お勝は走った――ぴちゃぴちゃ、と。道の両側は一面氷った田圃で、しんと静まり返り、空の星がお勝を照らしているだけである。それを三十分ほど行って街道を折れると、道は細くなり、その先は崖下を曲がりくねって続いている。進むにつれてあたりはいよいよ暗く、足元はでこぼこと歩きにくくなった。だが、お勝は良く道を知っている。まもなく、どうっと水の落ちる音が響いてきた。二、三分で道は広くなって谷間に出る。さっきまで低かった滝の音は、ここまで来ると急に大音響となった。そして今、お勝の目の前に、白く長々と流れ落ちる滝が、真暗な闇の中からぼうっとその姿を現わした。お宮もぼんやりと見える。賽銭箱もある。お勝は駆け寄ると手を伸ばした――その時である。
「おい、お勝さん」
轟く水音の上の方から、突然、いましめるような声がした。
恐怖で縛られたようになって、お勝はその場に立ちすくんだ。
「おい、お勝さん」
再び大声が響きわたり、そこにこめられた威嚇の調子は前より強まっていた。
 けれども、お勝は実に大胆な女であった。すぐに我にかえると、さっと賽銭箱をつかんで走り出したのである。あとはもう、驚き恐れるようなことは何も起こらず街道まで戻って来た。そこでお勝は立ち止まって一息つき、また走り続けた――ぴちゃぴちゃ、と。そしてついに黒坂に入り、お勝は麻取り場の戸をどんどんと叩いたのである。
 賽銭箱を抱えたお勝が息を切らせて中に入ると、待っていた女違は口々にわっと叫んだ。皆は息をひそめてお勝の話を聞き、幽霊滝から二度もお勝の名を呼ばわった声のことを聞くと、同情の悲鳴をあげた。――なんという人でしょう。勇敢なお勝さん。麻をもらう資格は十分だわ。
「それにしても、坊やはさぞかし寒かったことだろうね。お勝さん、坊やをほら、ここへ、この火のそばに」
とおばあさんが声をかけ、母親のお勝も
「おなかもすいたことでしょう、すぐにお乳をあげなくては」
と言った。
「大変だったねえ、お勝さん」
そう言いながらおばあさんは、ねんねこ半纏を脱ぐのに手を貨してやった。
「おやまあ、うしろがすっかり濡れているよ」
こう言ったかと思うと、かすれた声で叫んだ。
「あら、血が……」
半纏から床に落ちたのは、ぐっしょりと血の染みたひとくるみの子供の着物、そこから突き出ている日に焼けた小さな二本の足、日に焼けた小さな二本の手――それだけであった。
子供の頭は、もぎ取られていたのである。》

■肝試しの怪談____2


「肝試し」とは、いささか様相を異にしてはいるが、しかし、基本的には同じタイプの話と認められる。肝試しの賭物を手に入れるために出かけた女性が背中に負った子供の命を失う、という基本的なストーリーは変わらない。「肝試し」の成立事情については不明だが、ハーンの「幽霊滝の伝説」をもとに現代風に作り替えたのではないのかとの予想は十分に検討の余地がある。というのは、子どもたちや若者たちが好んで話す現代の怪談のなかには、バーンの作品と密接な関係があると思われる例がほかにも指摘されているからである。
 この「幽霊滝の伝説」は、明治三十四年(一九〇一)八月一日発行の『文芸倶楽部』第七巻十一号に寄せた松江の平垣霜月の「幽霊滝」がもととなっているとされる。

《   幽霊滝 平垣霜月

 出雲の隣国の伯耆に黒坂と云う町がある、此黒坂町は我が住むで居る松江から恰度廿里程有つて余り賑やかな町ではない、此町はづれに一条の滝が有る、此滝は昔から幽霊が出ると言伝へて有る此滝の側に滝大明神と云う社が有る、此滝大明神には二歳に成る幼児は連れて参る事が出来ないのである、夫れには少々由来があることで其を探ねると明治の初頃((年は確とは分らず、))此黒坂町に麻取場があつて共処へは下賤の娘や女房達が麻取りに行くので有る或冬の夜寒いものだから皆休息しようと云ふので炉の周に集つて浮世話をして居つたところが中の一人の女が云ふには「今夜あの幽霊滝へ行つて大明神様の賽銭箱を取つて来た者には私等が取つた麻を皆与うじやないか」と退屈まぎれに言ふと皆の者が賛成した。他の者が取つた麻を皆もらふのだから誰も欲しいがさて幽霊滝へ行く事が恐ろしいから行く者がない中から大工の女房が『それじゃ私しが行こう』と云つて其年に二歳になる男の子を背負つて出掛けた後に残つた者は彼の女の慾よりはむしろ其剛胆に驚いた、やがてかの大工の女房は町はづれの幽霊滝の上にある滝大明神さんへ参つてさい銭箱も取つて帰らうとした時に其幽霊滝の中から『ヲイおかッさん((他人の女房の方言))おかッサン』と呼んだ何程剛胆な女と雖も少しは恐れた様子にて一生懸命にサイ銭箱をかゝへて麻取場を向けて走り帰つた処が誰もが其安全なのに驚いた。炉に松葉をくべて居つた一人の老婆が「おかつさん子供が泣きやせなんだかへちと下してやらつしやい」と言ふてくれるので其背負つて居ッた子を下して見ると、大変、大変、此子供の首は失なつて居ッた、首の無い体だから其恐しさと云ふものは一通りではない、翌朝になつて滝へ若者等が行つて見たけれど何もなかつたと云ふ話。》

 この伝説は伯耆の黒坂(現在の鳥収県日野町)をはじめ、鳥取県内各地にかなり広く知れ渡っている。いずれの類話も、気の強い女が肝試しで夜中に赤児を連れて滝不動に行き、賽銭箱か神社の札を持ち帰るが、帰ってから気がつくと、子供の首がもぎ取られているという筋立てで、子供の首をもぎ取った「もののけ」は天狗とされる話が多いという。滝の中から女を咎める声がするという恐怖を倍増する描写は、もとの伝説にはなく、小泉八雲の創作である。「原話は町はずれに滝があることになっているため、大工の女房が滝に着くまでの描写がないが、再話は、寒気、暗さ、静寂と滝の音などを効果的に使い、道程の不気味さを漸新的に盛りあげ、読者の期待、安堵、驚愕を巧みに誘っている」(布村弘)
 いずれにしても「麻取場に集まる下賤の娘や女房たちの間で、明治の初め頃に実際に起こった事件とされているのは興味深い。おそらく、こうした女性たちの労働の場を通して、まことしやかに話されてきたのであろう」(常光徹)。
 ――また同型の怪談話は、さらに遡って延宝五年(一六七七)刊の『諸国百物語』にもみとめられる。

■肝試しの怪談____3


《   賭づくをして我が子の首を切られし事 諸国百物語巻之三(高田衛編・校注)

 紀州にてある里に、侍五、六人寄り合ひ、夜ばなしの次でに、「その里より半里(はんみち)ばかり行きて、山際に宮あり。宮の前に川あり。この川へ、をりをり死人流れ来たる。まま誰にてもあれ、此の川へ今宵行きて、死人の指を切り来たらん者は、互ひの腰の物をやらん」と賭づくにしければ、誰も行かんと云ふ者なし。
 その中に欲深き臆病者有りて、「それがし参らん」と、受合ひて、我が家に帰り、女房に語りけるは、「我、かやうかやうの賭をしたけれども、胸震ひてなかなか行かれず」と云ふ。女房聞きて、「もはや変改なるまじき也。それがし参りて指を切りて参らん。そなたは其処に留守せられよ」とて、二つになる子を背中に負ひ、くだんの所へ行きにける。
 此の川の前に、壱町ばかりある森ありて、物凄まじきを行き過ぎて、彼の宮の前に着き、橋の下に降りて見れば、女の死骸ありしを、懐より脇差を抜き出し、指二つ切り、懐に入れ、森のうちを帰りければ、森の上より、からびたる声にて、「足もとを見よ、足もとを見よ」と云ふ。怖ろしく思ひて見れば、小さき苞に何やら包みて有り。取りあげみれば重き物なり。いかさま、これは仏神の我を憐れみ給ひて、与へ給ふ福なるべしと思ひ、取りて帰る。男は女房の帰るを待ち兼ね、夜着(よぎ)を冠り、かたかたと震ひて居たりしが、屋根の上より、人廿人ばかりの足音にてどうどうと踏み鳴らし、「何とて汝は賭したる所へ行かぬぞ」と呼ばはる。男は、なほなほ恐ろしくて、息もせずして、竦み居たり。
 その所へ女房帰り、表の戸をさらりと開くる音しければ、さては化け物這入ると心得、男、「あつ」と云ひて、目を回しけり。女房聞きて、「我なるぞ。如何に如何に」と、言葉をかけければ、その時、男、気付きて喜びける。さて女房、懐より指を取り出だし、男に渡し、「さて嬉しき事こそあれ」とて、件の苞を開きて見れば、わが背後に負ひたる子の首也。「こは如何に」と、泣き叫びて、急ぎ子を下し見けれぱ、遺骸ばかり有りけり。女房、これを見て嘆き悲しめども、甲斐なし。されども男は欲深き者なれば、かの指を持ちゆきて、腰の物を取りけると也。》

 事件が麻取場に集まる女たちの浮世話に端を発している「幽霊滝」に対し、「諸国百物語」では侍たちの夜ばなしのついでからはじまる。「賭けづくをした男に代わって女房が出向くのは、いくらか不自然な感が残るが、そのことはかえって、この話の核心が『母親に背負われた子どもの首が取られる』というモティーフにあることを示している。子どもの歳を二つと言っているのも、先の『幽霊滝』と同じである」(常光徹「『幽霊滝』と肝試し譚」)。「幽霊滝の伝説」でも子供の歳は二歳である。この俗信について大島廣志氏は「『幽霊滝』の変容」(『世間話研究』一一号、二〇〇一年)のなかでこう指摘しているという。「現在でも、伊達さんを始め、菅地区の人々や、日野町に隣接する岡山県新見市の人々は、『滝山に二歳の子を連れて行くと、首を取られる』と言い伝えている。ちなみに、『新見市史―通史編下巻』の「民俗知識」には、「伯耆の大山に二つ子を負うては参られん。負うて戻ったら子の首がなかった」とある。大山にも同じ伝承があるようだが、日野町に近い新見市千屋地区では大山ではなく、二歳の子が参ることのできない場所はすべて滝山であった。つまり、『滝山に二歳の子を連れて行くと、首を取られる』という伝承は、滝山神社と切っても切れないほど深く結びついているのである」。

 常光氏は「それぞれの資料間における影響関係、特に具体的な繋がりについては、平垣霜月の『幽霊滝』と、それをもとに再話したハーンの『幽霊滝の伝説』との比較以外には検討はむつかしい。時間的、空間的にかけ離れた地点からの報告資料であることと、何より現段階での事例数が少ないからだ」としている。「個々の要素と要素のあいだには興味深い共通点も見られるが、それよりも、共通の形態的な構造を有する怪異談が、江戸期、明治期、現代と語り継がれてくるなかで、その時代の文化的状況や語りの場、そこに集う人びとの関心事といった事柄をどのように映し出しているかということに注目したい」。
 例えば、発端の場面はそれぞれ、「侍たちの夜ばなし」、「麻取場に集まる女たち」、「夏の夜の子どもたちの肝試し」からスタートする。前二話は大人たちが寄り合う場の世間話であり、賭物が、腰の物(刀)や麻であるのに対して、「肝試し」では子供たちの遊び場が舞台であり、賭物が一万円になっていて、それぞれの怪談を支持する集団の性格や年齢層の相違を象徴していると解釈することもできる。
「しかし、さらに大きな相違点は、これらの怪談が訴えかける怖さの質の違い、つまり、何に恐怖を感じるのかその意識の違いではないだろうか。『賭づくをして、我が子の首を切られし事』を読むと、夜道を行く不気味さや、死者の指を切り取る場面に目を奪われがちだが、実はそうした怖さ以上に、人びとの恐怖心を駆り立てているのは、神聖な宮の前で死人に触れ、指を切り取るという行為に対するおののきであろう。この話の背後に横たわっているのは、穢れた行為に手を出すことに対する、当然予想される神の崇りへの恐怖と見てよい。首を取られた子どもは、収りも直さず、神の怒りに触れた結果として暗黙のうちに了解されていたのであろう。同様の意味で、大明神の賽銭箱を持ち帰る『幽霊滝』にも共通の意識が潜んでいると思われるが、ただ、ハーンの作品では布村が言うように、『道程の不気味さを漸層的に盛りあげる』点が巧みに描かれている。」(常光徹)
 だが「肝試し」では、そのような恐怖を意図する意識はみられない。一万円の入ったビンを持ち帰る途中で、母親は何者かに髪の毛を引っ張られ、動転して振り向きざまに鎌を使う。ザクッという音がして、怪しい手は離れる。その時、母親が出来事をどこまで認識しているのか、まったく語られていない。最後の一行が、自分を襲った「魔性のもの」に向けた鎌のひとふりが、なんと我が子を刎ねていたという思いがけない悲劇に恐怖を誘発する。恐怖はただこの一点に収斂している。

■肝試しの怪談____4


 すこし横道にそれるようだが、二〇〇七年刊の平山夢明氏の『恐い本⑦』の中に、全部で41話あるうちの第4話として、つぎのような短い〝実録怪談〟が収録されている。

《 シャワー

 深夜、シャワーの音で目が覚める。
 ひとり暮らし、他人がいるはずはなかった。
 怖いけれど勇気を振り絞って確認しに行く。
 電気が点いていて、水音が派手に聞こえていた。
 ドアの前に行き、そっと中の様子を窺おうとした瞬間、電気が消える。
〈おさきに〉
 背後から肩に手を乗せられた。》

 目にしてすぐに、おやっと思った。なぜなら、一九七五年に出版された角川文庫の怪奇小説のアンソロジー『怪奇と幻想』全三巻のうちの第三巻に、イギリスのホラー作家であり、アンソロジストであったジョン・K・クロスの短篇『義眼』が収録されていて、作家のプロフィールについてのページに、クロスお気に入りの怪談として、次のような短話が紹介されているからである。

《真夜中にふと目がさめ、まっ暗な部屋のなかにだれかがいるような感じを抱く。明りをつけようとマッチに手をのばす。ふいに、マッチ箱がすっと手の上にのせられる》

 クロスの短話にほんの少し言葉を追加したにすぎないが、平山作品が描く恐怖には深い奥行きが創出されている。クロスの短話がなければ、平山作品は成立しないように思うが、もちろん盗作などというレベルのことではない。
 幽霊滝の話題にからめていえば、クロスの短話では「明りをつけようとマッチに手をのばす」こと、平山作品では「怖いけれど勇気を振り絞って確認しに行く」という描写に、明確に肝試しのファクターが内在している。そしてどちらの作品も、それでどうなったのか――という結末について語られていないという不気味さが秀逸である。

 ついでながら、これとは対極的な怖さについても触れておきたい。やはり平山作品だが、ホラー小説ではない。

《「ひとつ、はっきりさせておきたいんだが、君は仮釈放されたら再び殺人を犯すかね」
「はい。釈放されたら間違いなく、再び人を殺します」
 しかし、審査員達は、これを長い間刑務所にいたために膨らんだ世間に対する恐怖感が言わせたジョークだと無理矢理に考えることにした。
 彼らが真剣に憂慮しなければならないことは、ヘンリーが刑期を終えるには残り三十年、刑期満了までには六十万ドルがさらに費やされなくてはならないという事実だった。へンリーは電気技術を習得したことと教育課程を独学で乗り切ったことを評価され、ジャクソン郡の刑務所から‘放り出された’。
「俺はまだ戻る心構えができてないよ」所持品を手にしたヘンリーは、自分を刑務所の外へ誘導した官吏に告げた。
「本当に駄目なんだよ」ヘンリーは見守る官吏にそう言うと、刑務所の外に向かって歩きはじめた。そして三ブロックほど離れた場所で、ひとりの女性に「バス停はどこですか」と声をかけ、「ええっと」と彼女が後ろを向いたすきに首を絞め、殺害。金品を奪って逃げた。
 この事件は、十三年後のヘンリー逮捕によって初めて明らかになる。
 ヘンリーの殺人行脚が始まった瞬間だった。(平山夢明『異常快楽殺人』)》

■肝試しの怪談____5



 残虐性の具体的な内容ではなく、ヘンリーの狂気を描くドライブ感が印象的である。
 幽霊滝の怪談では、現代に成立した「肝だめし」だけが、このドライブ感を獲得している。「女はカマをふった。/『ザクッ』/という音とともに手は離れた」という箇所である。どちらもどうということのない描写のようでいて、そうではなく、実に巧みである。
 また「肝だめし」だけが首を欠損するのに鎌が使われていることに注意したい。小泉八雲の「幽霊滝の伝説」では、大工の女房のお勝が賽銭箱に駆け寄って、手を伸ばしたとき、突然「おい、お勝さん」と滝からいましめるような威嚇的な声がするのを振り切って、賽銭箱をつかんで走り出す。このことが崇りとなって、黒坂の麻取り場に戻ると、背負っていた子供の頭がもぎ取られているのである。平垣霜月の「幽霊滝」もほぼ同様だが、翌朝になって若者たちが滝へ行って調べたが、子供の首を見つけることはできなかったと、わざわざ述べている。
 物語の成立としていちばん古い「諸国百物語」では、最も複雑なストーリーが語られている。そして、肝試しをしたことを証明する行為が、死人の指を切り取って持ち帰るというもので、やはり最もショッキングである。子供の首は胴体から離れているが、失われてはいない。そして「女房、これを見て喚き悲しめども、甲斐なし。されども男は欲深き者なれば、かの指を持ちゆきて、腰の物を取りけると也」と、最後はどこかしらあっけらかんとしてもいる。

 二〇〇八年刊の『怖い話はなぜモテる』という、平山夢明氏との対談集の中で、稲川淳二氏は次のようなことを言っている。

《私の知り合いが高校生のとき、畑道を自転車で走ってたんだそうです。ちょうど稲穂が揺れて、気持ちいい季節でさ。そしたら、パトカーがきたんで、細い道だから、自転車に乗ったまま端によけたんですよ。すれ違うときにお巡りさんがね「ダメだよ、二人乗りしちゃ」って注意したんですって。
「おいおいおいおい、ちょっと待て」って、怖くなるじゃないですか。「俺、一体何を乗っけてたんだよ」って。きっと何かを乗っけてたんでしょうね。》

 いささか強引かもしれないが、この場合は物語がはじまったとき、すでにその高校生は無意識のうちに肝試しに出掛けているわけである。
 そして「一体何を乗っけて」いたのかということになれば、それはやはり幽霊とかの類いということになる。パトカーの警官こそが幽霊の類いで、高校生はもっと複雑な災難に巻き込まれている、などとは考えにくい。この「話」を幽霊という存在を強調したいがためのレトリックだなどと思う必要もない。幽霊が存在することを前提にして、それが語られているまでである。
 稲川氏は一九九六年に発売された「稲川淳二の怖~いお話 vol.1『霊界への扉』」という語りのCDの中で、第五話に「地蔵のたたり」という怪談話を披露している。以下はその聞き書きである。

■肝試しの怪談____6


《 最近の話ばっかりじゃなくて、ちょっとこの、昔の、伝説を話してみましょうかね。
 この話は、ほかの土地にも結構あるんですよ、――探してみましたらね。で、東京にもあったんです。そりゃあもう、えらい昔の話になりますよ。東京といっても、まぁ当時は何と言ったんでしょうかね、八王子ですか、今で言うならば。あの辺りというのは、その昔は大変な機織りで有名な土地なんですね。ですから同じ東京であっても、またひとつ違った、機織りの町ではあったわけですよ。で、あっちから、こっちからと、機織りをするために若い娘が送られて来るわけですよ。もちろん住み込みでもって、そこでもって、年がら年中、機を折るわけですね。当時のその機織りの町、八王子というのは、ですから、どこへ行っても「キー、パタン、キー、パタン、キー、パタンッ」って音がするわけです。
 で、一生懸命働いて、僅かなお金を貰って、それでやがては故郷(くに)へ帰ったりとか、皆するわけですよ。ただ、なんの娯楽もないわけですね。今も、東京の都心と比べると、八王子というところは結構寒いところですな。昔はかなりこの、雪も厳しく降ったようですし、寒かったようですね。
 ――ま、そんなある日なんですが、外へも出れないし、やることもないし、機織りをするその女の子たちは何人か集まってお話をしていたんですね。
 それは何かというと、――退屈まぎれに、みんなでもってこの肝試しをしてみないか、っていうんですよ。
「そりゃ面白いな」
 誰かが話を聞いて来たんでしょうね。自分たちがいるその「家」というよりも「蔵」といったほうが近いんでしょうか、そっからですね、すこーし山に入ってゆくと、谷川のようなところがあって、それを過ぎてゆくと、小さな沼があって、沼のふちにお地蔵さんがいる。で、そのお地蔵さんの、前掛けを取って来ないかっていうんですよ、夜の夜中に。で、もし取って来たら、その人に、織ったその、自分が織った反物(たんもの)を、あげようじゃないかという「賭け」になっちゃった。だんだんみんな夢中になってきた。
「面白いじゃない、やろうじゃない」
って話になった。
 ところが、じゃ、いざ誰が行くかというと、誰も手を挙げなかった。――というのは、そこまでの道がいかに怖くて、いかに寂しくて、ってことみんな知っていましたから、やろうとしない。誰か行った人があれば、話を聞いてみたい、――でも、行きたくはない。興味はある。そしてみんなが、「ねぇ、行った人がいたらさぁ、わたしこれあげるよ」、「行った人がいたらさぁ、わたしも一反(いつたん)あげるよ」、「行った人がいたら、わたしもあげるよ」みんながその、自分が織った反物をくれるくれるって、言ってる。
 そこへたまたま、その土地の農家のかみさんがやって来た。背中に赤ん坊しょってね。その話を聞いてたんだ。
「今の話だけどね、ほんとに行ったら、くれるのかい」
って言った。
「ああ、行くならあげるよ。そのかわり、ちゃんとお地蔵さんの前掛けを持って来なくちゃだめだ」
「ああ、じゃぁ、持って来ようじゃないか。持って来たらほんとうにくれるんだね」
 ――反物は高いもんですからね、そりゃあ、欲しいですから、農家のかみさん、怖いけれども背に腹はかえられないんで、「じゃあ、あたしゃ、行って来るよ」っていった。
 そのときに、何人かは「やめたほうがいい、あすこは怖いっていうよ、やめたほうがいい。あすこ祟るっていうから、やめたほうがいい」残る何人かは、やっぱり怖さ見たさでもって、祟るってのは本当かどうか、無責任な話ですよね、試してみたかった。結局、そのおかみさんは、行くことになった。子供をねんどこに背負って、首ったまにぐるぐるぐるぐると、布(きれ)を巻きつけて、頬っかぶりをして、で、真夜中の山の道へ出たわけですよ。
 風がヒィ―――ッと寒ーい中を、ただ一人、カッカッカッカッカッカッ、山を歩いてく。鬱蒼たる木が周りにあって、ウッサー、ウッサーと……、石ころを蹴ったりすると、コーンと音がする。向こうで何かギィー、バタッと倒れた音がする。「うぅー、怖い、うぅー、怖い」と思うけれども、反物が欲しい、お金が欲しいから、ただひたすら、カッカッカッカッカッカッ……。ザ―――ッと流れる滝の音がする。
「あぁもうすぐだ、もうすぐだから頑張らなくっちゃね、頑張らなくっちゃいけないね」
 背中の子供をちよっとひゅっと持ち上げたりして、語るようにしながら、
「ねぇ、もうすぐだぁ、頑張らなくっちゃね、もうすぐだぞ、頑張らなくっちゃね」思いながら自分に言い聞かせて「大丈夫だ、大丈夫だ」と思いながら、滝の傍(そば)を通り抜けた。
 ずぅ―――っと行くと、少し景色が開けた。うっすら明りの中に、沼が見えた。
「あぁ、来た、来た、来た、来たッ……」
 しぃ――んとした中に、風に吹かれて、お地蔵さんのお堂のようなものが見えた。中にちょこなん(?)とお地蔵さんがいるわけですよ。
「やったぁ、これさえ持って行けば……」
 って、お地蔵さんのその前掛けを取っちゃった。すっぐっ(?)と掴むと、もう怖いから、タッタッタッタッタッタッ……。風がゴゥ―――ッ。
「ううーっ、寒い」
 ぶぅ――ッ、何が足にまとわりつく。
「うわぁ、厭だ」
 そうすると、後ろのほうから、
「おい、置いていけ!」
 と声がした。
「うぅ――ッ」
 年寄りのことで心臓が止まりそうになった。
「うぅ――ッ」
 またタッタッタッタッタッタッ……。
「おい、置いてけ!」
「うぅ――ッ」
 ――声が追ってくる。
 すごい勢いで走ると、向こうもすっごい勢いで、ブァ――ッ、カァ――ッ、転げるように山を降りて来ると、向こうから、
「おぉい、置いてけーッ!」
 ときた。
 ダ――ッ、風がゴォ――ッ、(擬音、聞取り不能)、(擬音、聞取り不能)、カァ――ッ、カッカッカッカッカァッ、ものが(擬音、聞取り不能)倒れてきた。アァ――ッ、小屋が見えてきた。バァ――ンと開けた。みんながふっと振り向いた。真っ青な顔をして、ぼろぼろになって、その女が立っていた。
「ほら、持って来たよ」
 お地蔵さんの前掛けを、ほいと見せた。
 みんなが「うん」と言ってジーッと見ていた。
 そのかみさんが、
「さぁ、これで反物はわたしのものだね、じゃあ、みんな、反物をおくれよ」
 と言った。――そしてさっきから、なんでか知らないけれど、首筋を拭いている。(女の様子、聞取り不能)。
「あんた、手が赤いよ」
「はッ? あぁ、そうか……」
 ――紐をほどいて、ねんねこをふっと広げて、子供を抱いておろそうと思った瞬間、
「あぁ―――ッ!」
 悲鳴を上げて倒れちゃった。
 おぶっていた子供は、首がなくなってて、そこから真っ赤な血がぶぅーッと広がって、ねんねこをべっとりと赤く染めていた。
 ……赤い前掛けを盗んだおかげで、彼女の背中は真っ赤になってしまったんですね。子供の頭を盗(と)られちゃったんですね。
 そういう伝説もあるんですよ。その場所ですか? わたし知ってます。でもたぶん、行かないほうがいいと思いますよ。いま、お地蔵さんはありません。ただ八王子には、首なし地蔵はいるんですよ。》

■肝試しの怪談____7


 音源は比較的クリアなのだが、あまり重要ではない部分ではときどきぼそぼそと呟くような感じになり、何を言っているのか、聞き取れない個所がある。しかし、だらといって物語の内容が理解できないかといえば、そうではなく、語りの口調や効果音のせいもあり、全体としてのまとまりは損なわれていない。
 ただこれまでみてきた類話と比較して、特別に優れているところがあるかといえば、評価は消極的である。お地蔵さんの赤い前掛けを盗んだおかげで、背負っていた子供の頭を盗られたのだが、そのお地蔵さんが首なし地蔵だとでもいうような話の締めくくり方である。「いま、お地蔵さんはありません。ただ八王子には、首なし地蔵はいるんですよ」――どういう意味なのか、にわかによく理解できない。語られた伝説のお地蔵さんはいまはもうないのだが、それとは別に、首なし地蔵が存在していて、それと頭をもがれた子供との何らかの関係性を示唆しているのだろうが……。

 幽霊滝の類話として最初にあげた「肝だめし」が一九九二年の『民話と文学の会かいほう』(五二号)に紹介されているので、成立した時代がいちばん近いのは「地蔵のたたり」ということになる。どちらの話も、語りきったときの意表を突く結末が、鮮烈なインパクトを与えるのを意図しているように感じられる。「地蔵のたたり」はここにあげた類話の中でいちばん文字数が多いが、CDで聞くと八分ちょっとの長さである。ふたつの類話を比べてみると、よりショッキングなのは「肝だめし」のほうに思える。子供の首が欠損するという同じ結末ながら、「肝だめし」では女が自分の首に何者かの冷たい手を感じ、さらに髪の毛をつかまれたときに、その幽霊らしき存在から逃れるために鎌を使って、結局それが我が子の首を刎ねてしまったという終局まで、急迫したドライブ感を感じる。物語の構造としては、この結末のために、肝だめしに出掛ける女は子供を背負っていなければならなかったし、女を見送る残された者は、肝試しに出掛ける者が子供を背負った女であるがゆえに、鎌を与えなければならなかったのである。
「一番年上の子が女にカマ(ゝゝ)を渡した」という個所は、この類話の結末以外で最も不自然な個所であり、その次に不自然なのは、やはり一番年上の子が父親から貰った一万円を、昼間のうちに墓の一番奥にある大きな石の前に、ビンに入れて置いてきたことである。この怪談を成立させるための仕掛けを作ったのが、同じ「一番年上の子」であるのは興味深い。そしてこの作為性は、親の手によって我が子の首が刎ねられることで頂点に達する。この結末は、考えうるかぎりで最も残虐なものである。
 反撃の道具を持たない「地蔵のたたり」の肝試し人が地蔵の赤い前掛けを取ると、幽霊らしき存在はそれを置いていけと威嚇して、ただ声だけが追いかけてくる。それをふりきり、機織りの少女たちが待つ小屋に戻りつくと、因果なことに前掛けを取ってきたことで我が子の首がもぎ取られていることを知る。この結末ではややインパクトがないと感じたのか、最後に「首なし地蔵はいる」という言葉で締めくくったように思える。〝首なし〟という言葉の恐ろしさが、物語の因果関係にどんな具体的な説明も加えないまま、いささか唐突な感じで、物語全体の奥行きに不気味な深さを反響させようとしているようだ。――この構造は、先に引用した短話、つまりある高校生がひとりで自転車に乗っていて、パトカーとすれ違ったときに警官から「ダメだよ、二人乗りしちゃ」と注意された、という話とほとんど同じもののように思える。
 平垣霜月の「幽霊滝」では、肝試しをして来た証拠に賽銭箱を持って来ることになり、男の子を背負った大工の女房が賽銭箱に手を伸ばすと、明らかに幽霊滝の中から声がするが、剛胆にも賽銭箱を持ち帰る。小泉八雲の「幽霊滝の伝説」もこれを踏襲している。「肝だめし」では昼間に仕込んでおいたビンの中の一万円を持って来てもらうのだから、犯罪性は皆無である。「地蔵のたたり」の赤い前掛けも、皆無ではないが、犯罪性は低い。しかし「幽霊滝」と「幽霊滝の伝説」では、「滝大明神」あるいは「お宮」の賽銭箱を持って来るわけだから、犯罪性は低くないと思える。ただ物語の時代の通念として、それがどの程度のものだったのか、推測しがたい面もある。中身を取らずにすぐに返せばいいと解釈されていたのかもしれない。

■肝試しの怪談____8


 だが「諸国百物語」の類話では、山際にあるお宮の前の川に「をりをり」は死体が漂着することがあり、今もたぶん死体があるだろうから、その死体の指を切り取って持ち帰った者に、褒美をやろうということになる。これは五、六人が集まった侍の夜ばなしの場でのことで、侍がこういう話を持ち出すこと自体はそれほど不自然ではない。芥川の「羅生門」を思い出すまでもなく「神聖な宮の前で死人に触れ、指を切り取るという行為に対するおののき」は、穢れた行為に潜む疾しさゆえに、可能性として神聖なものからの崇りを予測させる。つまりその分だけ、物語が悲惨な結末を迎えることが予想しやすいといえる。
 肝試しの「賭づく」を申し出た侍は、しかし「欲深き臆病者」で、帰宅して女房に頼み、代わりに行かせることになる。女房は二つになる子を背中に背負って出掛けて行くが、ここで何故、子供を家に置いて行かなかったのか、という疑問が湧く。そもそもすべての類話がそうであるが、肝試しに出掛けるなら子供を置いておく、という対処は注意深く排除されている。この怪談は、子供を背負って出掛けなけば成立しない物語なのである。
 その意味で、類話の中で唯一独創的なのは、「諸国百物語」の次の個所である。

《懐より脇差を抜き出し、指二つ切り、懐に入れ、森のうちを帰りければ、森の上より、からびたる声にて、「足もとを見よ、足もとを見よ」と云ふ。怖ろしく思ひて見れば、小さき苞に何やら包みて有り。取りあげみれば重き物なり。いかさま、これは仏神の我を憐れみ給ひて、与へ給ふ福なるべしと思ひ、取りて帰る。》

 苞とは藁などを束ねた中に食品を包んだものだが、女房はその中にある包みが何かを調べもしないで、持ち上げたときの重さで、これは仏神が「我を憐れみ給ひて、与へ給ふ福」だろうと考えて持ち帰る。苞は死体の指を二本切り取り、森の中を帰る途中「からびたる声」(しわがれた声)に教えられて足元を見ると、そこに置いてあるのである。取り上げたときには、背負っている子供の首がなく、それが苞の中にあるわけで、現代風にいえばこのイリュージョンが実に秀逸である。
 だが女房はそれを仏神が与え給うた福と信じて疑わない。帰宅して苞の中身を確認して事実を知り、悲嘆にくれる。そして「されども男は欲深き者なれば、かの指を持ちゆきて、腰の物を取りけると也」という文末も興味深い。
 お宮の前の死体から指を切り取って帰る途中に、足元に落ちている苞を見ろと不気味な声に示唆されて、その落し物を仏神が与え給う福と信じる精神構造には疑問を感じるが、我が子を失ったにもかかわらず、その女房が持ち帰った死者の指を侍たちのところへ持ってゆき、肝試しの褒美を獲得した男の気持ちも、いささか崩壊しているように感じられる。留守をしていたときには、屋根の上から二十人ほどの足音がして「どうしてお前が行かないのか」と呼びたてられても、恐ろしくて息をひそめて身を竦ませていたほど臆病な男なのである。――しかしこれらは現代人の道徳観がそう思わせることかもしれない。この「諸国百物語」(宝永五年刊)の成立よりも時代は下るが、落語の「らくだ」や「黄金餅」などで、生活の中に死体がある日常や、欲のために死体を損壊する行為などが「笑い」に供されていることも、傍らで考えておきたい。類話として最も古い「賭づくをして我が子の首を切られし事」が、物語としては最も豊かな内容であるのに対して、後続の類話はその内容の豊富さを取捨して、怪談としての怖さのみを一義的な目的としているように感じられる。

 冒頭で触れた交通事故や「かまいたち」の話題が、主体の認識の問題として、経験的に理解された「結果としての事実」だとすれば、幽霊滝の類話はすべて、胴体から首が分離されるという、生死にかかわる身体部位の瞬間的な欠損によって、その直後の痛苦や死が明らかになるまでの奇妙で非日常的な時空間が、客体として語られている物語だと解釈できる。
 そこには生死をわかつ決定的な相違があるとはいえ、これらの物語やニュースに接したときのわたしたちの恐怖は、出来事に対する認識の誤差・誤認が、そうと気づかないで経験している出来事についての、やがて修正を迫られることになる事実に向かって収束していくまでの錯綜なのであり、そのプロセス、錯綜の程度の差が、それぞれの物語やニュースの独自性として具体化されていく。
 蛇足ながら、幽霊滝のどの類話においても、母親に背負わされて肝試しに付き合わされる子供の一人称で物語を語り切ることには無理があり、仮に遂行したとしても、類話とはまったく異次元の幻想性を帯びることになる。そもそも、首を欠損した時点で、認識の主体の一人称は、世界の全体を喪失し、物語の結末まで辿り着けない。そこに意義があるとしたら、それは文脈が崩壊した認知の流れの中に潜在している。きわめて実験的な物語になるだろう。

■肝試しの怪談____9


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