在日琉球人の王政復古日記

NATION OF LEQUIO

(流用御免)科学「事実から結論」VS宗教「結論から宣伝(虚偽も可)」~蓮舫たんが何を喋ろうが、リベラル派もアンチ民進も信仰は変わらない。

※ご注意 下記の日記は、リンク先のほとんどコピペです。申し訳ない(笑)。 

 

科学「事実から結論」VS宗教「結論から宣伝(虚偽も可)」~前川喜平、籠池が何を喋ろうが、安倍支持もアンチ安倍も信仰は変わらない。 - 在日琉球人の王政復古日記

 

本人に悪気はないのだろうが、仏教を称賛する人に、たまに、贔屓の引き倒しをする人がいる。

仏教は宗教ではなく哲学だ」「仏教は科学に一致する」てな主張だ。

 

そりゃ仏教思想に哲学の要素はたしかにある。

また仏教の教説には、解釈によっては、科学と一致する偶然もあるだろう。

だからといって、仏教は、単なる哲学ではないし、絶対に科学ではない。

 

仏教だけでなく、キリスト教イスラムにだって哲学の要素はある。

だからといって、キリスト教イスラムには、哲学のテリトリーには収まり切れない過剰で異常な部分がある。それが宗教なのである。

逆にそういう「不合理な狂気」がなければ、人間が救われるはずがない。

 

 

仏教は、「輪廻」という科学的には全く不合理な考え方を基礎に出発してるんだから、科学なわけがない。

仏教は、人間は救われるのか?救済とは何か?という科学には何の関係もない目的があるんだから、科学なわけがない。

仏教はどこまで行っても宗教である。仏教科学的には不合理な思想だ。

それで、いったい何が困るのか? それでいいではないか。

 

仏教が、科学ではないこと、宗教であること、に、それを信仰すること、に、とりあえずの危険はない(取り合えず、だが)。

一番危険なのは、「仏教は科学だ」と言い出すことなのだ。「私の宗教は科学だ」と言い出すことなのだ。それは完全に間違ってるし、厄介なトラブルしか起こさない。

 

蓮舫氏、日本国籍を開示=台湾籍喪失の資料も (時事通信) - Yahoo!ニュース

2017/7/18(火)
 民進党蓮舫代表は18日、党本部で記者会見し、日本と台湾の「二重国籍」解消を裏付けるものだとして、戸籍謄本の一部など関連資料を公開した。
 蓮舫氏はこれにより自身の二重国籍問題に区切りを付け、党の立て直しを急ぎたい考えだが、党内には対応の遅れに不満も出ており、収束は見通せない。
 蓮舫氏は、公表の理由について「家族の了解が得られた」とするとともに、「野党第1党党首として発言の信頼が揺らいではならない」と説明。一方「手続きを怠っていたことは事実だ。故意ではないが深く反省している」とも語った。
 戸籍謄本には、本人が日本国籍選択を宣言した日として「2016年10月7日」と明記されている。今年6月28日付で東京都目黒区で交付されたという。台湾籍離脱を証明する書類として、台湾当局から16年9月13日付で交付された「国籍喪失許可証書」も公表した。
 最近は蓮舫氏が台湾人として活動していなかった傍証として、1987年7月4日で期限切れの台湾発行旅券(パスポート)も公開した。
 開示資料のうち、家族情報や自筆の署名については、「個人情報に関わる」として伏せた。 

 

蓮舫たんの二重国籍騒動も、内容まで読む気にまではならないのは、内容はたいして重要ではないからだ。

 

産経新聞や読売新聞は、蓮舫たん&民進党を批判する方向で筆を曲げているし、

朝日新聞毎日新聞は、蓮舫たん&民進党を擁護する方向で筆を曲げている。

 

そもそも、元々から、左翼と在日が大嫌いで、アンチ民進だったのに、蓮舫たんの会見を見たとたん、「今まではひどい奴だと誤解してたが、蓮舫たんもなかなか善人では?」と判って、アンチ民進から民進支持に変わった人が、どれくらいいるだろうか? 特にネット世界に(笑)。

 

そもそも、元々から、憲法9条を擁護し、アンチ安倍だったのに蓮舫たんの会見を見たとたん、「今まで信じてたのに、蓮舫ってのは野郎はとんでもない悪党だ!安倍の方がまだマシだ」と判って、アンチ安倍から安倍支持に変わった人が、1人でもいるだろうか? 特にネット世界に(笑)。

 

正直にいこうじゃないか。

蓮舫たんを叩きたい人は、蓮舫たんが何を出してこようが、内容に無関係に、蓮舫たんを叩くでしょ? なぜなら、彼女は、安倍ちゃん&自民党の敵だから。

蓮舫たんを守りたい人は、蓮舫たんを守りたいのではなく、安倍ちゃんへの対抗馬としての民進党を守りたいだけでしょ?

 

リベラル派も、アンチ民進も、読む前から100%鉄板だ。

どうせ、あなたの考え方も、相手の考え方も、何をどれだけ読もうが、絶対に変わらないんだから、何が書かれてようが、読むだけ時間の無駄ではないか(笑)。

 

気に入らない、不愉快な、悪い結果の世論調査は、陰謀だ!ねつ造だ!偏向だ!

嬉しい、思い通りの、イイ結果の世論調査は、国民の声だ!

都合の悪い情報はウソだと黙殺し、

都合の良い情報だけをもはや原型をとどめないくらい過大なにふくらまし、

ネットニュースに大量にコメントしまくり、TwitterSNSに書きまくり、どんなニュースが飛び込んでこようが、1000年前(笑)から結論が変わらない信者同士でイイネ!を付け合うのである。

 

日蓮正宗から罵詈雑言を浴びても、池田大作先生への忠誠は揺るがない。

池田大作先生への批判は、どんな虚言を弄しても、ネチネチと反撃する。

何が違うんだ? 創価学会を馬鹿にする権利が、世俗の双方に、あるのか?

 

科学と宗教はどう違うのか?

 

まず発見された事実がある。そこから結論へ至る。それが「科学」である。

これを、ムズカシイ用語で書き直すと「帰納法」だ。

ゆえに、科学は、全てが、常に、「仮説」に過ぎない。

新たな事実が発見されれば、それまでの結論がひっくり返ることもある。

コペルニクスの発見はアリストテレス宇宙論をひっくり返した。

 

まず絶対に動かせない結論がある。そこから、結論に都合の良い事実を拾い集め、都合の悪い事実を抹殺し、場合によっては事実でない虚偽を創造=ねつ造でも構わない。これが「宗教」である。

これを、カッチョイイ用語で言い換えると「演繹法」だ。

ゆえに新たに何が見つかろうが、最初の結論は絶対にひっくり返らない。

ダーウィン進化論から見て、記述が無茶苦茶でも、聖書の価値は変わらない。

 

科学はそうでなければならないし、宗教もそうであって構わない。

科学と宗教は全く異なるモノだからだ。

宗教が間違いなのではない。宗教を科学だとカン違いするのが間違いなのだ。  

 

仏教は科学である」みたいな意見が根本的に間違っているのは、

もし、仏教が科学と一致するのならば、仏教は「新しい発見でコロコロ変わる仮説」と一致する、ということになる。

つまり、釈迦の教説はコロコロ変わる仮説である、と主張してるのも同じだ。

そんな、状況次第でコロコロ変わるモノで、人間が救われるのならば、誰も苦労はしないのである。

 

仮に、蓮舫たんへの評価が、新たな事実によってコロコロ変わる、支那のスパイから愛国者に変わることもある、誠実な政治家から信用できないオンナに変わることもある、そういう考え方ならば、そういう態度ならば、科学の一種、社会科学としての政治学かもしれない。

民進党への好き嫌いよりも、事実を重視する。それが社会科学としての政治学的な態度だ。

 

しかし、どんな事実が出てこようが、支那のスパイ!は支那のスパイ!のまんま、差別は許さない!は差別は許さない!のまんま。それは政治学ではないし、ましてや科学ではありえない。

結論が先にあって、結論に合致するように事実を取捨選択する。それは宗教である。

 

リベラル派も「宗教」なのだ。アンチ民進も「宗教」なのだ。それでいいじゃないか。

宗教は恥ずかしいことでも何でもない。釈迦も、イエスも、ムハンマドも、法然も、親鸞も、日蓮も、貴方たち平成の有象無象よりはるかに優れた人物ではないか。 

 

親鸞はかく語った。

阿弥陀如来が本当に救ってくださるのかどうかの証拠はない。私が、浄土思想を説く法然上人に、騙されてるだけかもしれない。それでも無能な私には念仏以外にできることなど何もない。他に道は無いんだから、地獄に落ちても悔いはない。私は念仏を選ぶのだ。いや念仏が私を選んだのだ。」

宗教は「決断」だ。

薄弱な根拠しかなくても、覚悟を決めて、「飛ぶ」しかない。

たとえ行きつく先が奈落の底であろうと、他に行き場所はないのだ。

こんな考え方が科学なわけがない。

 

自分の根拠が宗教なのに、万人誰にでも通用する科学であるかのように、信者以外にも通用すると思い込んでるのが間違いなのである。

事実として、ヤフーコメントで何百回、蓮舫たんを擁護しようが、twitterSNSで叩こうが、同じ宗派以外の他人に、敵対宗派の異教徒に、あなたの論法が通用したことなんか、ただの一度も、全くないでしょ(笑)。

 

それは相手が、馬鹿なわけでもなし、悪魔だからでもない。信仰する宗派が異なる、という当たり前で些細な違いなのだ。

 

あなたの祈りを、あなたの神は聞いてくださってる(んじゃないかな?)。

しかし、あかの他人に、あなたの妄想に付き合って賛同する義理はない。