「お前は何時も反対する!協調性がない!」と批判されます。
協調性=赤信号みんなで渡れば怖くない!
協調性=討論に意見を述べない。黙認、黙殺!
協調性=妥協!
協調性=誰それが言ってるから合わせる!
協調性=見ざる聞かざる言わざる!
と思ってるのか!と反論。
一度でいいから賛否の意見を言え!と反論。
1:意思疎通,(共通認識を持つ)
2:会して義せず、(会議、徹底討論)
3:帰納法、(自分の経験を活かし最善の結果を導く)
この結果を皆で遂行する事が=協調性だ!と!
断念ながら我が周囲の大人たち!?無関心ではないが思考力が劣ってる様ですね。
(現政府にも言いたいです。)
http://directlink.jp/tracking/af/1330838/KPbo9wCa/
――――― 安田 悌先生がいわれています。―――――
【努力をしない人に合わせない】
人が共感できる人というのは
同じような体験,同じような境遇,同じような考え方,同じような価値観
がなければ共感することはできないのです。
なので,努力をしている人は努力をしていない人に共感することはできないのです。
「いい人」というのは誰とでも共感しようとしてしまうのです。
極端な人は共感ができないことに罪悪感を感じてしまう人もいるのですが
共感できないことは悪いことではないのです。
行動を始めて,行動を続けて努力をしていくと周りの人と話しが合わなくなり居心地が悪くなります。
居心地が悪くなるとその悪さを自分のせいにして努力をやめてしまう人がいますが
努力をする人としない人ではどちらが善でしょうか?
善悪の判断ではないのですがどちらがどちらに合わせるのが自然でしょうか?
間違いなく努力をしている人に合わせていくのが自然だということです。
とは言っても努力をしている人に合わせる人というのはほとんどいないのです。
なぜなら努力というのは本能に逆らうことであるので始められないし続けられないのです。
中には努力をしている人に批判してくる人もいますがそれこそ不自然の中の不自然であるのです。
多くの人は自分なりには頑張っているので自分なりに頑張っている人とは共感ができるのです。
ただ,自分なりに頑張っていても努力をしている人とは共感ができないのです。
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なぜなら,集中していることや行動量が違うからです。
やっている分野の違いで共感ができないということではなく
集中している度合いや行動量の違いで共感ができないのです。
努力をしている人は努力がしている人と共感ができるのです。
たとえ分野が全く畑違いであっても「努力をしている」という共通点があるので共感ができるのです。
いつの時代でも,努力をしている人は100人中1人くらいの比率になります。
自分なりに頑張っている99人の人と努力をしている1人の人とでは
共感ができなくなるのは当然なのです。
共感ができなくなるとお互いに居心地が悪くなるのですが
努力をしていけば当然起こり得る現象であるのです。
人は誰でも努力ができるのですがほとんどの人は本能のままに生きています。
本能に逆らえないのと習慣化のコツを教えてもピンとこない人が多いのです。
努力をするためには習慣の力を利用しなければ努力を続けることはできないのですが
多くの人は,気合や根性を過剰評価して習慣化を過小評価しているので習慣化を身につけることができないのです。
ハッキリ言ったら習慣の力を馬鹿にしているのです。
なので,いつまでも努力が始められないしいつまでも努力が続けられないのです。
努力をしている人は努力をしていない人に合わせてはいけません。
努力をしている人は常に上を目指していきますが自分なりに頑張っている人は
自分で限界線を引くのでそれ以上は伸びないのです。
努力をしている人と自分なりに頑張っている人との差は
どんどん広まっていく一方なのさらに共感ができなくなるのです。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
―――― 安田 悌 ―――――
努力をしている人は努力がしている人と共感ができるのですね!
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