淀城の紹介3 | みどりの木のブログ

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昨日風邪を引いた人がいたのですが、私はこの10年間

風邪をひきませんでした。1回インフルエンザに罹りまし

たが、その1回だけでした。理由は縦型カーボンヒーター

の電気ストーブを使っているからだと思います。うたた寝

しても遠赤外効果で風邪をひきません。450wでも暖か

いのです。遠赤外線は電子レンジの電波波長マイクロ波

より少し短い隣りの波長です。

遠赤外線は体の中の原子を振動させて温めてくれます。

 

さて、昨日の続きです。

本丸の続きからです。

これは北の隅櫓台の端から見た堀の終端です。

この先にも二ノ丸の堀がありましたが、今は埋め立てられました。

 

二ノ丸方向ですがマンションが建って、堀は埋め立てられました。

 

江戸時代の淀城絵図拡大です。

 

北櫓から降りたところです。

古地図から、ここには2階櫓があったようです。

 

北の方に回り込んだ所です。この辺りに西の丸への通路がありました。

今は無い西の丸の北の石垣に、直径7.2m(4間)の水車がありました。

 

淀駅前で再現されている水車です。

淀川・桂川・木津川・東巨椋池と四方を川と池に囲まれて

いた淀城は水車も2基ありたいへん美しい水城でした。

秀忠も京都の守りを考えて、四方を川と池に囲まれた、

ここの要害に淀城を新設したのでしょう。

 

江戸時代の淀城全体図で見ると水車(左上)が2基あります。

 

「淀の川瀬の水車誰を待つやらくるくると」という言葉で有名でした。

1基は西の丸にあり、もう1基は庭園にありました。もともと宇治川

筋には灌漑用の水車がたくさんありましたが、この2基は城内に水

を汲み入れるために作られた水車です。いずれも庭の泉水に用い

るのみで実益はなく、毎日油を車軸にかけていたので、維持費ばか

りが掛かりました。古くからある名物なので維持していました。

江戸に行く途中のオランダ人医師ケンペルは淀を通るときに「淀の

町は美しく、水車小屋がその城の一部になっている」と書いています。

また、朝鮮通信使が通過した時も、絵と文章でそのことを伝えました。

藩士の渡辺善右衛門はその著「淀古今真佐子」で、「淀の水車は

日本国はいうに及ばず、朝鮮、琉球、オランダまで知れ渡ったもので

ある・・・」と自慢しています。ここを通過した葛飾北斎は「雪月花淀川」

で浮世絵を描きました。

葛飾北斎「雪月花淀川」の浮世絵です。30石船と小さなくらわんか船、

そして淀城と水車が描かれています。この水車は西の丸にあった水車

と思われます。

 

東都名所図会でも淀城と水車が描かれました。

俳人の西山宗因は「ほととぎす待つやら淀の水車」と詠んでいます。

 

「都名所図会」に描かれた30石船と淀城壁と水車です。

 

『都名所図会』の挿絵に描かれた京都へ向かう三十石船です。
 江戸時代、天満橋南詰めの八軒家(はちけんや)浜から伏見の船着き場

まで、45キロメートルほどの距離を、上りならばおよそ12時間、下りは早く

て6時間で移動することができたといいます。ここを行き交うのは、人を運ぶ

三十石船に、物資を運ぶ二十石船、十五石船などです。通行するのに手形

をそなえていたことから、過書船(かしょぶね)とも呼ばれていました。

三十石船の定員は、漕ぎ手四人に、乗客が28人です。風雨や日射しを避け

るため、簡単な苫(とま)が葺いてありました。船全長が20メートル足らずで、

幅2.5メートルほどでした。手前にみえるのは貨食船(にうりぶね)。俗にい

う「くらわんか船」で、酒や餅、あたたかい汁ものなどが人びとの空腹を満た

しました。

 

次に本丸内部は公園になっていて、

グーグルより引用の本丸写真です。

紹介した稲葉神社と与杼(よど)神社があります。

 

淀城址公園です。

 

記念石碑があります。

 

きれいな山茶花が咲いていました。

 

今日はここまでにします。明日は最終回です。

 

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