今日は初めに百金の5本100円の歯ブラシの
話です。ダイソーで売っているのですが、今ま
での歯ブラシと違い、歯茎を傷めず歯磨きでき
るので値打ちものです。
歯ブラシの毛が2段で長短あるところが特徴です。
昨日の続きです。
今日は楽々園紹介です。
1677年に4代藩主の井伊直興によって造営された下屋敷です。
その当時は槻(けやき)御殿と言っていました。
1812年に井伊直中が隠居するときに増改築しています。それか
ら楽々園という呼び方に変りました。
ここが楽々園の入口①ですが工事中で、この①からは入れません。
楽々園は井伊直弼の生誕地です。
現地観光地図です。
上図②より入り、③の玄関前は
③の玄関前です。
これが①から③に行くところの古写真です。
近ずくと
式台があります。
この左に身分の低い者の玄関があります。
内玄関と書いてあります。
次に④の方に回りました。
④から撮影した修復された御書院です。
修復前のご書院です。障子にガラスが入っていますが、
これは明治以降なので、修復では障子に戻しています。
解説板です。
1812年に井伊直中が隠居するときに造りました。
井伊家は幕府重臣として藩主が江戸に居たので、
参勤交代をしていません。なので財政的には助か
っていました。
各部屋の現状は
お鈴の間です。
御次の間です。奥が御小座敷です。
上之御間で、奥が御上段です。
中に入れないのですが、説明板にあった中の写真です。
御書院前面の庭園です。
現地観光地図です。
次に⑤の位置から撮影しました。
御書院の御入側です。
御上段の間です。右側は付け書院です。
御書院の奥の建物は
中央が修復中の地震の間(お茶座敷)です。
工事の説明板にあった地震の間(お茶座敷)と、その右が雷の間です。
さらに近づくと
修復中なので内部は見れませんでした。左から地震の間・雷の間・楽々の間です。
上写真によると、地震の間の右側が雷の間
その右が楽々の間と呼ばれる部分ですね。
外側は干拓前の湖なので、涼しい風が入っ
たでしょう。この辺りは隠居藩主の隠れ家的
な場所ですね。
1812年のケヤキ御殿です。赤枠の中が現存部分です。
御書院は奥書院になっています。
ケヤキ御殿と呼ばれていましたが、12代井伊直亮が
文化年間に楽々之間を増築して以来、楽々園と呼ば
れました。
4代井伊直興が1677年に最初の隠居所として、ケヤキ御殿を造りました。
楽々園の名は「仁者は山を楽しみ、
智者は水を楽しむ」の意味があります。
整備計画では下図まで修復するようです。それ以上の復元は
考えられていません。
整備計画図です。
今日はここまでです。明日は玄宮園の紹介です。
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