彦根城の紹介12 楽々園 | みどりの木のブログ

みどりの木のブログ

毎日UPでブログ

今日は初めに百金の5本100円の歯ブラシの

話です。ダイソーで売っているのですが、今ま

での歯ブラシと違い、歯茎を傷めず歯磨きでき

るので値打ちものです。

歯ブラシの毛が2段で長短あるところが特徴です。

 

昨日の続きです。

今日は楽々園紹介です

1677年に4代藩主の井伊直興によって造営された下屋敷です。

その当時は槻(けやき)御殿と言っていました。

1812年に井伊直中が隠居するときに増改築しています。それか

ら楽々園という呼び方に変りました。

 

ここが楽々園の入口①ですが工事中で、この①からは入れません。

楽々園は井伊直弼の生誕地です。

 

現地観光地図です。

 

上図②より入り、③の玄関前は

③の玄関前です。

 

これが①から③に行くところの古写真です。

 

近ずくと

式台があります。

この左に身分の低い者の玄関があります。

 

内玄関と書いてあります。

 

次に④の方に回りました。

 

 

④から撮影した修復された御書院です。

 

修復前のご書院です。障子にガラスが入っていますが、

これは明治以降なので、修復では障子に戻しています。

 

解説板です。

 

1812年に井伊直中が隠居するときに造りました。

井伊家は幕府重臣として藩主が江戸に居たので、

参勤交代をしていません。なので財政的には助か

っていました。

各部屋の現状は

お鈴の間です。

 

御次の間です。奥が御小座敷です。

 

上之御間で、奥が御上段です。

 

中に入れないのですが、説明板にあった中の写真です。

 

御書院前面の庭園です。

 

現地観光地図です。

 

次に⑤の位置から撮影しました。

御書院の御入側です。

 

御上段の間です。右側は付け書院です。

 

御書院の奥の建物は

中央が修復中の地震の間(お茶座敷)です。

 

工事の説明板にあった地震の間(お茶座敷)と、その右が雷の間です。

 

さらに近づくと

修復中なので内部は見れませんでした。左から地震の間・雷の間・楽々の間です。

上写真によると、地震の間の右側が雷の間

その右が楽々の間と呼ばれる部分ですね。

外側は干拓前の湖なので、涼しい風が入っ

たでしょう。この辺りは隠居藩主の隠れ家的

な場所ですね。

 

1812年のケヤキ御殿です。赤枠の中が現存部分です。

御書院は奥書院になっています。

ケヤキ御殿と呼ばれていましたが、12代井伊直亮が

文化年間に楽々之間を増築して以来、楽々園と呼ば

れました。

 

4代井伊直興が1677年に最初の隠居所として、ケヤキ御殿を造りました。

楽々園の名は「仁者は山を楽しみ、

智者は水を楽しむ」の意味があります。

 

整備計画では下図まで修復するようです。それ以上の復元は

考えられていません。

整備計画図です。

 

今日はここまでです。明日は玄宮園の紹介です。

 

読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。
希望があれば、相互登録します。相互アメンバーも募集中です。
どちらもチェックを外して「読者とわかるように」に設定して登録してください。
読者のブログ村・ブログランキングを出来るだけ押しに行きます。

Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
 
お手数ですが、よろしく。下矢印ダウンぽちっと下矢印ダウン押すだけ
                                              にほんブログ村 歴史ブログへ

 

                                               ブログランキング・にほんブログ村へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

                                               
                  お願いします。