昨日の続きです。
福井城本丸から柴田勝家の北の庄城址まで歩きました。
福井城と北の庄城はほぼ同じ位置にありました。
北の庄通りです。この先を左に曲がると柴田神社です。
現地地図です。(右が北)
北の庄通りにある解説板です。
拡大すると
左側にある柴田神社解説板です。
右側は
勝家とお市の辞世の句と周辺地図です。
勝家もお市も秀吉を馬鹿にしていたのが
災いしたのでしょう。人を見たら弘法大師
と思えという教訓があれば、もっといい
人生が送れたでしょう。
近年になり子孫の家で発見された、柴田勝家の肖像画です。
妻のお市の肖像画です。
柴田神社の辺りに本丸がありました。
ルイスフロイスが、1580年に2度訪問して、
記録を残しています。この図からすると、福井
城はほぼ北の庄城跡に築かれています。
柴田神社の下図③の鳥居です。此処を進み右側に
柴田神社の本殿があります。
下図①から振り返り鳥居を見たところです。柴田勝家の銅像があります。
発掘図です。平成5年から発掘調査がされています。
私が昔来た時は、柴田神社しかありませんでした。
周辺の家を立ち退きしてもらい、取り壊して発掘し
ています。
左端が柴田神社です。
左端のお市と三姉妹の銅像も出来ていました。
解説板です。
地図②から撮影した画家の平山郁夫氏の揮毫石碑です。
今は亡き平山氏は柴田勝家の末裔なので、この地に愛着
がありました。
解説板です。
北の庄城の天守模型です。
北の庄城想像絵図です。
右側の文章を拡大すると
説明にあるように瓦の素材は焼き物ではなく、福井県特産の
笏谷石(しゃくだにいし)で造られました。
笏谷石は凝灰岩の一種で、濡れると緑色を帯びます。福井
市の足羽山で採掘される伝統的な石材です。
言い忘れましたが、福井城の瓦御門の瓦も笏谷石でした。
寒い所なので焼き物の瓦では割れやすいため、わざわざ
石を加工して瓦として使っています。
今日はここまでです。明日に続きます。
読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。
希望があれば、相互登録します。相互アメンバーも募集中です。
毎日午後8時半頃に更新しています。
「相手わかるように」に設定して登録してください。
読者のブログ村・ブログランキングを出来るだけ押しに行きます。
Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
お手数ですが、よろしく。ぽちっと押すだけ