「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

防災実習履修中の学生と田子の浦港周辺の防災タウンウォッチング

2014-12-19 23:48:58 | 防災教育
今年最後の講義は、金曜3、4限の「防災実習」となった。

「実習なんて出なくていいから、早く家に帰って休め!」と、
無理して大学に来た学生は早めに家に返して(あとで幾らでも時間は作ってあげるから>U君)、
3名の学生と富士市内田子の浦港周辺を3時間ほど見て回る。

富士川の河口から富士市を経て沼津市へ、西から東へゆるやかな弧を描きつつ砂浜が続いている。
その途中、掘り込み港となっているのが田子の浦港。
開口部の両側の砂浜は、以前からミニミニ砂丘のようなものだったのだろうが、
今はさらにかさ上げして、高潮防護を兼ねた津波防護はそれなりの水準にある。
ただ、その陸側、つまり海岸線を帯状に連なるミニミニ砂丘を北に下った場所は、
掘り込み港の埠頭と大した高低差もなく、標高4m~5mというところ。
住所で言えば、富士市鮫島やその周辺となる。

路地は狭く、一部に建て替えられて新しくなった家もあるが、総じて古い住宅街。
いざという時、家は(震度6強の揺れに)耐えられるのか。また、逃げられるのか。
逃げるとすれば、海に近いミニミニ砂丘に逃げるということになるのか。
(内陸部に、すなわち北に向かって距離を稼ごうとしても、なかなか難しい……。)
この地区は悩みが多い分、タウンウォッチングで考えるネタには事欠かない。

ミニミニ砂丘の上、松林の中の標高11mの場所に富士市立浜保育園がある。
RC造二階建て。
その隣に津波避難タワーが建てられ、天板の高さは地上高で10m、標高21mというところか。
それなりの地盤高があるので、園児は二階に上げておけばまぁ、大丈夫だろう、
念のため、保育園舎の屋上に避難できるように、二階ベランダから屋上へ外階段をつければそれで十分なのではないか、と、
かつてこの園を訪問した時、あくまで私見ではあるがと断った上ながら、
そんな被害イメージを伝えていたことがあったが、
予算がついて避難タワーまで作ってくれた、ということ、なのだろう。
もっとも……。
保育の維持に必要な物がある保育園舎と、松林の中とはいえ避難タワーの最上部では、
使い勝手には大きな差がある。
実態としては、避難&避難解除の判断に困るだろう、とは思った。

それより遥かに重要なことは、この保育園に子供を通わせている保護者の方々に対して、
「大規模地震発生時は、決して迎えに来ないで下さい」と徹底すること。
「その分、大津波警報・津波警報が解除されるまで、責任をもってお預かりしますから。」
保育士の側には、そういう腹積もりも求められる。
(大規模災害直後、保護者に引き渡して「任務終了」とは決していかないのだ!)
そんなことを、学生に語りつつ、まちを歩く。

四半期に1回くらいは、こういう形で学生を引き連れ、現場に出さないことには、
生きた防災の学びは出来ないのだろうなぁ、と、改めて思う。

あとは週明け月曜日のゼミ生との忘年会と、研究室の大掃除が終われば、
本職絡みとしては今年の仕事も終わる。
気が付けば今年もあと10日余。本当に1年が経つのが早くなった……。


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