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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

高鳥谷神社で立川和四郎富昌の木彫を愛で、高鳥谷山に登る。信大農学部落葉松祭で宮崎吾朗監督の対談へも(妻女山里山通信)

2015-09-26 | 歴史・地理・雑学
 伊那市と駒ヶ根市の境にある高鳥谷山へ。たかずやさんと読むのですが、信州には四阿山(あずまやさん)や子檀嶺岳(こまゆみだけ)のようにルビが振ってないと読めない山が結構あります。ちなみにルビは英語で、宝石のルビーのことです。英国では活字のポイント数に合わせて、ダイヤモンドとかルビーとか呼んでいたのです。
 伊那街道を南下し、火山峠を越え、火山の集落を登って山際を進むと板取の集落が見えてきます。山際の分岐に高鳥谷神社の標識があるので登って行くと右手に鳥居が見えてきます。その横から林道に入り、杉林の中を登って行くと神社に着きます。

 高鳥谷神社の参道入口(左)。この左手に10台ほど停められる駐車場があります。杉と赤松の巨樹の間を登って行くと高鳥谷神社が見えてきます(中)。本殿は覆屋の中に収められています。ここで既に標高は945mぐらいあります。
 ―往古の山岳宗教よりきたもので、古くは「高鳥谷(たかずや)天狗」と言われました。中沢郷をはじめ伊那谷全域に渡り、古くから信仰の中心的存在とされています。---
高鳥谷神社本殿 【市有形文化財 建造物】
高鳥谷神社は火山(ひやま)など五ヶ村の産土神(うぶすながみ)で、文明年間に創立され、正徳2年(1712)の造営を経て、現社殿は文政12年(1829)に造営されました。棟札には「大工京都中井主水門人諏訪高島住人立川内匠富昌」と記してあり、2代立川和四郎の作であることが明らかです。社殿は覆屋(おおいや)の中に建ち、杮葺き(こけらぶき)、一間社隅木入春日造軒唐破風付で、各所に大きな彫刻が施されています。特に向拝正面虹梁(こうりょう)の位置にある竜、左右袖障子の中国の人物像が力作です。彩色は無く、すべてケヤキ材の白木造です。
(駒ヶ根市のサイトより)
 烏天狗というと、長野市の飯縄山と同じですね。古代ユダヤの11部族のひとつが渡来したという説を思い出します。

 残念なのは、覆屋がガラスで覆われているので、背後の風景が反射しているのとガラスがかなり汚れていて、中がはっきり見えないのです。そんな訳で、写真も満足に撮れませんでした。画像検索でやっと見られましたが、肉眼ではっきりと見られなかったのが残念です。しかし、建築当初から覆屋の中にあったのでしょう。白木の木彫は、200年近くも経っているとは思えないほど綺麗です。

 登山道は、神社の右手から始まります。約10分ほど杉林を登ると林道へ出ます(左)。横切って赤松の混合林の森をほぼ直登します。両側には松茸の留山のテープ。無粋ですが仕方がありません。ちょうど地元の方がひとり急斜面で松茸狩りをしていました。林道から20分ほど登ると大岩に祀られた覺須霊山という石碑。ここで駐車場から約半分です。

 登山道に大きなニンギョウタケがあちこちに生えていました(左)。食菌で伊那のグリーンファームでも売られていましたが、味にくせがあるため人気はもうひとつのようです。急登が終わり緩やかな明るい尾根に乗ると山頂はすぐ(中)。この先に分岐が現れます。どちらを登っても山頂に出ますが、右のほうが緩やかで、途中南が開けた四阿に出ます。山頂はかなり広く、高鳥谷神社の奥宮や石碑、避難小屋などがあります(右)。

 樹木があるため360度の展望は得られませんが、特に西面は刈り払われていて、伊那や駒ヶ根、飯田方面がよく見えます。奥宮の石祠(中)。詰めれば20人ほどが寝られそうな避難小屋(右)。藤代ゆきという演歌歌手と武井咲のポスターが貼ってありました。

 山頂から西の展望。中央アルプスの稜線は雲の中。左手に千畳敷へ続く谷が見えます。

 北北西の伊那市の方角の展望。経ヶ岳の山頂が見えます。中央の森は信大農学部。標高が773mあります。その右の大きな森は、信州大芝高原。宿泊施設やレストラン、日帰り温泉などがあります。手前は伊那市街。ローメンとソースカツ丼が有名です。旧市街には、昭和レトロな食堂や飲み屋街がありなかなかいい雰囲気です。

 四阿の先から南の展望。松川村、飯田市方面が望めます。

 花はあまり見られませんでした。ヤマトリカブト(左)やシラネセンキュウ(中)、麓では蒟蒻畑が目につきました(右)。

 下山して板取の集落から上げる高鳥谷山。右は帰り道で見つけたレトロなネコバスとがまガエルというバス。夕食に作るカチュッコのために伊那市新山にある息子お勧めの Punkiest(パンキエスト)でカンパーニュを買って帰りました。

 午後は、信州大学農学部の70週年記念イベントへ。宮崎駿さんのご子息の宮崎吾朗監督と学生の対談を聴きに行きました。信大農学部へ行こうと思った動機や汚かった中原寮の話、山奥の古民家に4人ほどで住んでいた話、人形劇のサークルに入っていた話など、大変面白かったですね。実はよく利用する雨宮郵便局の局長が宮崎監督と同じサークルだったそうで、その頃の面白い話を聞いたことがあります。監督は対談後にはサイン攻めに遭っていました。山が好きで信大に決めたと言われたので、ちょうど持っていた拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』をプレゼントしました。帰り際で特にお話もできなかったのですが、興味深そうにめくっておられました。気に入っていただけるといいのですが。「三鷹の森ジブリ美術館」には、できてしばらく経って息子達と行った思い出があります。私は「ラ・ピュタ」が好きなので、飛行船の解説図やスケッチが面白かったですね。
 その後、落葉松祭のテントへOBの息子と行き、山歩会の後輩がいたので拙書のパンフレットを渡しました。地震に見舞われた北信濃の小谷村の福幸そばのカップ麺が、安売りしていたので二箱買いました。
 夕食のカチュッコのために大きなエビとムール貝のガーリックバター炒めと固形のフュメ・ド・ポワソンを持って行ったのですが、トマト缶と魚がほしいとイシモチを買いました。このカッチュッコは馬鹿旨でした。ドイツで修行したというパンキエストのカンパーニュもお勧めです。畑で採れた大玉ニンニクを持って行ったので、息子にルイユを作ってもらいつけていただきました。


 9月20日の信濃毎日新聞の書評欄「ふるさと長野の本」に続き『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林が新潮社の『SINRA』11月号で紹介されました。こちらの紹介文も、私の意図をよく汲んでくれています。「具体的で情緒豊かな文章」というのと「里山への熱い思いと愛情あふれる一冊」というのが嬉しいですね。「見やすい登山地図」というのも。これは私がたまたまカシミールやフォトショップ、イラストレーターを使えることを最大限に活かしたもので、この本の大きな特長となっています。コピーして自分なりの情報を書き込めるようにスペースもとってあります。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。この夏は、信州の里山や亜高山を歩いてみませんか。
 本の概要は、こちらの記事を御覧ください
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