世界に日本が誇るべきは西郷隆盛の精神である。世の中が欧米一辺倒に靡いているなかにあって、弱肉強食の野蛮さを糾弾したからである▼「文明とは道の普く行わるるを賛称せる言にして、宮室の壮厳、衣服の美麗、外観の浮華を言うに非ず、世人の唱うる所、何が文明やら、何が野蛮やらちとも分らぬぞ。予かつてある人と議論せしこと有り、西洋は野蛮じゃと云いしかば、否文明ぞと争う。否野蛮じゃと畳みかけしに、何とてそれほどに申すにやと推せしゆえ、実に文明ならば、未開の国に対しなば慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、左は無くして未開蒙昧の国に対するほどむごく残忍のことを致し己を利するは野蛮じゃと申せしかば、その人口をつぼめて言無かりきとて笑われける」▼明治維新を境にして、それまでの攘夷が開国となり、欧米崇拝に陥っている我が国を、西郷は痛烈に批判した。明治10年の西南戦争で西郷党が敗れてからは、その精神は在野の名も無き人たちによって受け継がれた。影山正治に言わせると「この地下水が今や地表に沸騰して昭和維新の気運」(『大西郷の精神』)となったのである▼平成も今年でお終いであるが、グローバリズムとして私たちに立ち向かってくるのは共産主義だけではない。もう一つの敵であるアメリカニズムにも警戒を怠るべきではないだろう。野蛮な欧米に我が国は、道義を掲げて対峙すべきなのである。
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ラピュータ |
生前西郷隆盛のようになりたいと言っていたそうだ。
なれるかもしれない。
明治の先にある江戸は日本もなければ日本人も必要としない。
新正月もクリスマスもなかった。
戦前の教育を受けた日本人であれば江戸まで見える人もいたはずだ。
これは私の経験だ。
リビアのカダヒィは西郷隆盛によく似ている。
彼らが望んだものは同じだよ。