今は亡き武藤光朗は『限界状況の日本』で日本の戦後が特異であったことを指摘している。「アメリカの軍事的保障があまりにも強力で確固不動に感じられたためであろうか、その間、日本国民は自分たちが身の安全を託している軍事的暴力装置の存在を忘れがちであった。自分たち日本国民だけは国際情勢の『暴力の海』の外に超然しているかのような自己錯覚に陥り、桃源の幻想に耽ってきた」▼武藤の認識に誤りはない。だからこそ、北朝鮮の核ミサイルの恐怖に接して、日本人は動揺しているのである。武藤の師はカール・ヤスパースであった。ソ連が大陸間弾道弾を保持するようになり、アメリカは核兵器で同盟国を本当に防衛してくれるのだろうか、との議論が西ヨーロッパで巻き起こったことがあった。アメリカの国益を考慮すれば、ためらうこともあり得るからだ。1966年に公にされた『西ドイツはどこに行く』のなかで、ヤスパースは「アメリカがわれわれのために自らの生存を賭けようとしない限り、われわれは結局無防備だという事実は、逃れられないところである」と述べたのである▼それ以前にもヤスパースは、武藤に「日本人は孤立して自由であり続けることはできません。彼らは自由を失ってしまうでしょう。日本人は、どんなに反感をもっていようともアメリカ人と一緒に進まなければいけないのです」と語ったという。日本独自の防衛力の強化も必要だが、その根本は日米同盟なのであり、軍事力を無視しては平和は語れないのである。
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