マルクス主義者にどれだけ寛容であるかで、思想家としての力量がわかった時代があった。西田幾多郎も田辺元も、マルク主義との格闘を通して自らの思想を打ち立てたわけだから、それは当然の成り行きであった。小泉信三の『共産主義批判の常識』にしても、マルクスとレーニンの著作を丹念に読んで執筆したのである▼今の日本のサヨクと評される連中は、マルクス主義とは無縁なように思えてならない。マルクス主義は民主主義の徹底化を目指したのであって、間違っても全体主義や独裁者を容認するイデオロギーではなかったはずだ。さらに、進んだ民主主義国家と、遅れた全体主義国家があれば、民主主義国家を擁護したはずである。レーニン流の前衛党が中心の革命にも、必ずや異議を唱えたに違いない▼今の日本のサヨクが立脚しているのは、反戦と反原発ということなのだろうが、歪曲化されたマルクス・レーニン主義なるものが破綻し、そこに逃げ込むしかなかったのだろう。学問的にも日本のサヨクは時代遅れである。わずかにジャーナリズムに巣食って混乱させているだけだ。あくまでもマルクスは科学的な批判には真摯に応じることを信条とした。もし、平成の世にマルクスがいたならば、自らの非を詫びただろう。平和ボケした騒ぎたいだけの連中は、マルクスなど読んだことがないのだろう。
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