保守主義とアナーキズムには親和性がある。どちらも衆愚政治に与しない。個人の自由の大切さにこだわるからである。かつての田中美知太郎、勝田吉太郎、葦津珍彦という保守主義者に共通していたのは、若き日にアナーキストであったということである。このことについてはあまり触れられてはいないが、浅羽通明は『アナーキズム―名著でたどる日本思想入門』で詳しく論じている▼中共や北朝鮮を許せないと田中らが主張したのは、アナーキスト体験があったからであり、圧制を容認することなど断じてできないからだ。全体主義国家にあっては、やむことがない帝国主義的膨張政策、敵を次々とつくりだしては抹殺する秘密警察、人間としての自発性を除去するための収容所が不可欠である▼これに歯向かうことは、人間として当然なのである。団塊の世代で未だにパヨクの運動に加わっているのは、アナーキストや全共闘というよりも、その敵対グループであった代々木民青の元活動家が中心ではないだろうか▼権力が悪であることを知っているからこそ、それをコントロールしようとするのが保守主義である。体制を打倒すれば権力の悪もなくなると思うのは単なる願望であるのを、歴史が私たちに教えてくれる。アナーキズムの目指すべき社会は、あくまでもユートピアでしかない。それを痛感すれば、リアリストの保守主義者になるしかないのである。
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