草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

フェイクに与する文藝春秋は読むに値しない!

2018年04月10日 | 思想家

文藝春秋が読むに値しなくなった。安倍首相が佐川前国税庁長官に手渡したメモ程度で大騒ぎしている。日本の良識の砦は失われたのである。かつては保守派のオピニオンリーダーとしての役割を担っていた。その系列の「諸君」も、多くのまっとうな書き手がいた▼日本の思想界をリードしてきたのは、マルクスの訓詁注釈にうつつを抜かした者たちではない。小林秀雄、岡潔、田中美知太郎、三島由紀夫、福田恆存、竹山道雄らは、間違っても左翼陣営に与することはなかった。日本人が師として仰ぐべき思想家は、ほとんどが保守派であった。彼らは日本文化会議や日本文化フォーラムに結集し、文藝春秋が後ろ盾となっていた▼今はそうした思想家の声が聞こえてこない。戦前派の気骨ある者たちが姿を消したからだろうか。若い人たちは、傑出した思想家の本をぜひ読んで欲しい。君たちからすれば祖父や曾祖父の代かもしれないが、本物の日本が息づいているからだ▼今のような混乱は一日も早く収束させなくてはならない。嘘を平気で並べて、国民を騙そうとする者たちに対しては、それこそ名も無き庶民のネットが対抗している。熱狂に水を差すことで、政治が混乱するのに歯止めをかけているのだ。小林秀雄や岡潔のような思想家が見当たらないのであるなら、私たち一人ひとりがネットで声を上げるしかないのである。祖国日本を守り抜くためにも。

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悪臭を発し、劣化著しい文春 (町工場の親方)
2018-04-10 17:28:06

往年の、「国民雑誌」、60~70万部の発行部数を誇った、「文春」、堕ちるところまで堕ちたものだ。

文春丸、船長(キャプテン)、交替

辻元擁護で、勤勉・善良、堅気の日本国民の信用を完全に失う。

Port!(取り舵)、Port!(取り舵)、Port!(取り舵)、Port!、(取り舵)Port!(取り舵)

乗り組み船員の多数、「そ、そんな左旋回ばかりの舵取りしたら、もうすぐ暗礁にぶつかり、沈没でっせ、助けてー!!、「朝日」、の後を追っかけるのだけは真っ平御免だ!!」

天下の、「朝日」、ならぬ、文春もも堕ちたものだ、とつくづく感じます。

半世紀以上前、左翼言論全盛の時代、名編集長、池島信平氏のセンスにより、多くの日本国民としての、常識の持主のサイレントマジョリィティの支持を得ていた、「文春」、はその面影もない。!
そのころ、毎月楽しみに愛読していた私も、ここ何年かの文春独特の新聞への大広告を見ても、買って読もうなどという気は全くなくなるとともに、この内容に金を出して買う人も大勢いるのかと思います。

昨年、ある集会の後の懇親会で、そこに来られていた、西尾幹二・電通大名誉教授に、「文芸春秋も劣化しましたね」、と言ったところ。「劣化じゃない、赤化だ!!」、と大きな声で言われました。(W)

それに関し、是非、ご紹介したい文章。

「THEMIS」   2017年2月号

「国民雑誌から非国民雑誌へ、『文芸春秋』、様変わりの謎」ーーー大沢正道

【保坂正康の、出版記念会で松井文芸春秋社長は、極右の塊、安倍政権の暴走を許すなと】


<「富田メモ」、騒動がきっかけか>
『文芸春秋』、新年特別号を開いて驚いた。巻頭論文に、「真珠湾、『失敗の本質』、と題して、何と保坂正康が登場しているじゃないか。
大東亜戦争開戦75年目で、安倍晋三首相の真珠湾訪問となれば、真珠湾が話題になるのは当然だ。
しかし保坂のような便乗リベラルが巻頭じゃ、「真珠湾」、が「泥石湾」、になっちゃうと想った。それでもやむを得ず拝読したが、案の定、「泥石」、だった。
ちゃんとした目標や枠組みもなく真珠湾にはじまる緒戦の大勝利で浮かれてしまったのが大東亜戦争の敗北のそもそもの原因だと保坂は力説し、このざまは今も変わらないと偉そうに警告する。
「ちゃんとした目標も枠組みもなく・・・」、と保坂は反り返るが、保坂の目は節穴だね。昭和13年11月の近衛内閣による、九か国条約の廃棄と、「東亜新秩序建設」、声明が大東亜戦争の発端だってことは常識だと私なんかは思っていた。また、九か国条約のワシンシン体制は、日本にとっちゃドイツを縛ったベルサイユ体制に等しい。
ご覧の通り、『ちゃんとした目標も枠組み』、もある。それがないと保坂はいうのは占領軍が日本国民を洗脳すべく流しまくった、「太平洋戦争史」と、「真相箱」、の歴史観を70年たっても真に受けているからにすぎない。
保坂正康が半藤一利、御厨貴,秦郁彦と組んでマスコミに登場したのは今から10年前、平成18年大問題になった、「富田メモ」、騒動の時である。(秦は後に分かれた)、「富田メモ」、とは富田朝彦元宮内庁長官むが門外不出として残した手帳と日記類全27冊のことである。この資料をたまたま入手した日本経済新聞社は、靖国神社のA級戦犯合祀で昭和天皇は参拝を中止されたと大々的に報じた。

<靖国参拝を潰すべく謀略とも>
その是非をめぐって賛否両論が沸いたが、賛成に回ったのは、朝、毎、読などの新聞社系、(産経を除く)、のみで、インターネットでは数か月で2万件を超えたが大半は否定的だった。この時、日経の研究委員会なぞに参加してこれぞ、「第一級の資料」、と触れて回ったのが、半藤ら四人組である。
日経は、「富田メモ」、を一切公開しなかったから、四人組以外は実物に触れることもできず、まことに片手落ちの一方的議論にしかならなかった。しかし四人組は一般公開を求めもしなかった。この一事をもってしても、とてもまともな研究者とはいえまい。ちなみにこれだけ問題になった、「富田メモ」、だが現在に至るまで復刻されておらず、研究のしようもないという。
さらにこの、「富田メモ」、騒動は、当時の首相小泉純一郎の靖国神社参拝を潰すべく仕組まれた日中の謀略だともいわれている。いまは変わったかもしれないが、当時の日経社長・杉田亮毅は中国べったりだったらしい。だとすれば保坂ら四人組はそ先頭に立っていたことにもなろう。
ちなみにこの謀略の総元締めは当時の駐日大使王毅、(現外相)、だったという噂もある。

<全学連の学生じゃあるまいし>
以来、三人組はお手てつないでマスコミをのし歩き、最近ではなんと、「天皇の公務の負担軽減に関する有識者会議」、に御厨と保坂は名を連ねているのは、「富田メモ」、騒動で宮内庁にコネができたんかな。
御厨はなんと座長代理である。先日テレビに出てゐたが、ピンクのフレームの眼鏡をかけて御座った。よほどの目立ちたがり屋とみえる。それにしてもこんな占領軍史観を奉じる連中に皇室問題を扱わせていいんだろうか。わたしは大反対だ。
ところで最近聞いた話だが、保坂のさる出版記念会で文芸春秋の社長・松井清人は、

「極右の塊りである安倍政権の暴走をこれ以上許してはならない・・・・」、

といい、並み居る出席者を驚かせたそうだ。
かっての全学連の学生じゃあるまいし、松井社長は御年66歳、いい大人じゃないか。
最初のスピーチだから酔っぱらっていたとは考えられないし、便乗リベラルの保坂に対するジョークでもない。なぜなら松井社長は続いて、「メディア自体がおかしくなってしまっている」、といっているからだ。
松井社長はゴリゴリのタカ派だとか権威主義者とか言われているようだ。松井社長を有名にしたのはグラビアに春画を載せてけしからんと、『週刊文春』、の編集会議に乗り込み、編集長の新谷学に強制休養三か月を命じた事件である。
いくら社長でも横暴じゃないかと悪評嘖々だった。じつは新谷は官邸などに通じていたので、鉄槌を下されたんだという噂も流れている。
さらに同じ出版記念会に出席していた半藤は、「私は昔は反動と言われていたが、いまは極左といわれている。私より激しい松井社長はなんといわれることか」、とけしかけたそうだ、「歴史探偵」、を売り物にしている半藤が、「極左」、とは初耳だが、保坂同様占領軍史観を後生大事に売り歩いているだけなんだから、時代の流れが変わった現在、便乗リベラルであることは間違いない。

<半藤・保坂・御厨らがのさばり>
いまや落ち目のリベラル勢は相当焦っているようだが、それにしても安倍政権を、「極右の塊り」、とは言いもいったりだね。おかしくなっているのはこんな暴言を吐くお前さんのほうじゃないか。
2月号の広告で、「自民党への宣戦布告」、とでっかく打っているのをみて、松井社長いよいよやるかと思ったが、虫眼鏡でよく見たら、「自民党」、の端っこに小さく、「都議会」、だってさ。読者をだましてさぞいい気分だったろうね、松井清人社長。「文芸春秋」、といえば、呑気なわたしなんかは、いままで国民雑誌ぐらいにみていたんだが、半藤・保坂・御厨らがのさばり、松井をかついでいつのまにか、「極左の非国民雑誌」、にしようとしている。
これじゃ、菊池寛や池島信平が泣いているよ。




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