鏡(同はん鏡)は語る
写真は、「古墳時代(1)」で紹介した、壊された東車塚古墳出土の「三角縁神獣鏡」(さんかくぶちしんじゅうきょう)です。
東車塚出土の鏡は、「同笵鏡(どうはんきょう)」(以下「同はん鏡」とします)です。
聞きなれない言葉ですが、同じ鋳型からつくられた鏡のことです。
ですから、「同はん鏡」は一枚ではありません。
この「同はん鏡」について歴史家は、「同はん鏡は、有力な豪族が、同盟を結んだ証として配下の豪族に与えた鏡である」と考えています。
したがって、「同はん鏡」の分布の範囲を知ることにより、当時の勢力関係が分かると言うのです。
東車塚古墳から出土した「同はん鏡」は、大和(奈良)地方の豪族と同盟関係にあったことが分かりました。
日岡山の古墳の多くは4世紀古墳です。
ということは、4世紀に加古川地方の豪族は、すでに大和の豪族と同盟関係を持っていたことになります。
日岡豪族にとっては、大和の豪族と同盟を結ぶ必要がありました。
加古川地方は、畿内と畿外との接点に位置していました。
つまり、西には吉備地方・出雲地方の豪族が勢力を持っています。
東は、もちろん大和の豪族です。
加古川地方の豪族が、吉備地方の豪族から攻撃を受けた時、自らを防衛するために大和から応援を求める必要がありました。
また、自らの地位を高める、ため大和の豪族と同盟を結んだとも考えられます。
大和王権にとって、加古川地方は、吉備(岡山)地方との最前線基地でした。
大和の豪族にとって加古川地方が、吉備(岡山地方)と同盟を結ぶことは大問題です。加古川地方を重要な拠点と考えたのは当然です。
そんな、大和地方と加古川地方の濃密な関係が、私たちの地域に天皇の話を誕生させたのでしょう。(no3789)
*写真:東車塚古墳出土の「三角縁神獣鏡」
◇きのう(11/22)の散歩(10.563歩)