美濃部親子文庫
達吉博士の著書など115冊の寄贈を受け、1958年(昭和33)に「美濃部文庫」として市民に開放されました。
その後、図書館が1987年(昭和53)、同市曽根町に移されるのを機に、「美濃部文庫」は、同年7月に高砂公民館に移設されました。
亮吉博士没(1984年)後の1986年、遺族から亮吉博士の著書を含めた多数の資料等455冊が寄贈されたのを機会に資料は高砂公民館の3階の図書室に配架し、名称も「美濃部文庫」から「美濃部親子文庫」に改められました。
そして「ライオンズクラブ」会員により、「美濃部親子文庫」の記念碑が建立され、昭和61年3月に除幕式が執り行われました。
また、1992年(平成4)故亮吉博士夫人の時子氏から、膨大な書簡等資料が寄贈されました。
それらは「美濃部氏書簡」として整理され、四冊のファイルにして親子文庫に加えて公開されています。
美濃部研究会発足
1996年(平成8)には、「美濃部研究会」が正式にスタートしました。
2003年(平成15〉5月3日の憲法記念日に、宮先一勝、田中由美子各氏によって『美濃部達吉博士関係書簡等目録』が自費出版されています。(no3593)
*『みなとまち高砂の偉人たち(吉田登著)』(夕月書房)参照
*写真:美濃部親子文庫の記念碑