ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

高砂市を歩く(34) 工楽松右衛門物語(19)・松右衛門、エトロフ島へ

2014-10-31 11:30:25 |  ・高砂市【新】工楽松右衛門

     松右衛門、エトロフ島へ

 <工楽松右衛門の足跡>

  下の年表をご覧になりながら、今回の文章をお読み願いたい。

 ・寛政2年(1790)  エトロフ島・紗那で埠頭建設はじまる

 ・寛政3年(1791)  この年の夏、エトロフ島・紗那港の埠頭工事竣工 

 ・寛政11年(1799) 

 嘉兵衛、エトロフ島とクナシリ島の航路を開く(三筋の潮を発見)

 ・享和2年(1802)  幕府より「工楽」の姓をたまわる

 ・文化元年(1804)  箱館にドックを築造。

    工楽松右衛門のエトロフへの航路発見

 ここで話を急停車させたい。

 「工楽松右衛門物語」は、若干文章を変えているが、もっぱら小説『菜の花の沖』のつまみ食いをして、嘉兵衛・松右衛門を紹介している。

 松右衛門のエトロフでの

     築港は寛政二年(1790)から

 上の「松右衛門の年表」をご覧願いたい。

 今、「松右衛門物語」で取り上げている内容は、寛政10年頃の話である。

 この時のエトロフ港をつくった功績により、松右衛門は享和2年(1802)に幕府から「工楽(くらく)」の姓を許されている。

 「松右衛門物語」では、最初から工楽松右衛門を名乗らせているが、松右衛門が「工楽」を名乗るのは、これ以後である。

   松右衛門、エトロフヘ

 その頃、ロシアの南下があり、蝦夷地はにわかに騒がしくなった。誰の目にも危険なものとして映るようになった。

 寛政二年(1790)二月、幕府は国防のためエトロフ島に築港を計画した。

 「択捉島(エトロフ島)ニ廻船緊場ヲ検定シ、築港スヘシ」と兵庫問屋衆に幕命が下った。

 兵庫湊の北風荘右衛門は、優れた航海技術と築港技術を持つ松右衛門を推挙した。

 この時、松右衛門は既に50才に近かったが、北風の要請に応じた。

 この時のようすは「松衛右門物語(2)」で、若干紹介しているので、ご覧願いたい。


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