教信については、「お爺さんが語る郷土の歴史(90~93)」で紹介していますので合わせお読みください。
鎌倉時代の新仏を語る時、まず取り上げられるのが親鸞です。
加古川の野口で活躍した教信の生き方が親鸞(写真)に影響を与えています。
親鸞の目標は教信の生き方
親鸞も20年くらい比叡山に上り、また奈良仏教の寺院で自ら学びましたが、どうしても悟り(確信)が持つことができずませんでした。
そして、親鸞は法然(ほうねん)上人の専修念仏に身を投じ、阿弥陀仏の救済を信じながら非僧非俗として公然と妻帯したことでも知られております。
教信は、まさに世俗にあって念仏往生を説く(非僧非俗)生き方を選んでいます。
親鸞聖人がこの教信沙弥について述べていたことが、曾孫の覚如上人が『改邪鈔』に書き残しています。
親鸞は、「我は、是加古教信沙弥の定なり」と常に言っておられたと『改邪抄』で聖人の曾孫にあたる覚如上人は記しています。
親鸞が教信沙弥を目標にしていたことは明らかです。
親鸞の有名な「非僧非俗」という言葉は、結婚され妻子や地に働く民衆とともにお念仏の大道を歩まれた教信沙弥の生き方に共感しての言葉だといわれています。
なお一遍と教信についてもすでに紹介しましたが、再度次回に復習として紹介しておきましょう。(no3399)
*写真:親鸞
◇きのう(3/16)の散歩(14.515歩)
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