「おー、このメインマストに俺たちの紋章がくるのかー」
良く晴れた日。
乾いた風を受けて、大きく帆を広げた。その白に、つい先ほど自分たちで考えた紋章を思い、重ねて想像してみる。
冒険者クランとしての名称と紋章を自分たちの手で作りあげた。その興奮に一息入れるように、船内から甲板に出た4人は、それぞれに言葉を胸に溜めて帆を見上げていたが。
「…めっちゃ金かかりそうだな…」
というヒロの一言には、万感の思いもあとかたなく霧散してしまうというもの。
この先のなりゆきへの希望や不安、未知なる前途への覚悟、挑みかかる果てしなさ。
途方もないそれらに知らず力んでいた事に気づかされ、何かから解放されるように全員が笑った。
「その分、稼げばいいだけだろ」
「うん、そだな」
そう言いながら広げた帆をたたむヒロを手伝うために、ミカも寄ってくる。
ウイとミオは、どうやって帆を作るのか、どう紋章を入れるのか、そんな話を楽しそうに始めている。
「紋章か。実際どうなんだろ?描く?貼り付ける?縫うとか?」
そう訊ねるヒロに、ミカも首を傾げた。
俺もよく知らん、と言い。
「うちの工房で請け負ってくれるかどうかも解らんからな」
話はつけてみるが無理だった場合は、他に工房を探すしかないな、と言う。
「その場合、お前が調べて交渉しろよな」
「よっし、任せろ」
色々形になるって楽しいな、と無邪気に笑うヒロに、ミカはややあきれ顔を見せる。
まったく、と吐き出した一言はため息交じりだ。
なんだ?と、帆をたたむ手を止めればミカも同じように手を止めた。
「お前らが公に組織を作りたいとか、言い出すとは思わなかったな」
風がやみ、波も静かな甲板で、ミカの声が通る。
なぜ今、そうしたいのか、という話し合いは十分にした。
それをする意義も、それによってもたらされる損害も、議論として出し尽くしたつもりだ。
だから、ヒロもただミカの言葉に同意する。
「俺もだ」
冒険者の酒場で仲間を募り、4人というパーティを組んで世界を巡る。
それは何にも属さず、いつでも個に戻れるという形態だ。自由であるという事は、何も持たないという事だ。
それを敢えて組織という枠組みの中に納め、閉じ込めてしまう事。
反対はしない、というミカが、どこか腑に落ちない様子なのは、おそらくその部分だろうと思う。
「俺は貴族社会という組織から抜け出てて、お前たちに会った。そのことで、自由さを自分なりに学んできて、お前たちには、貴族社会のしがらみを持たせず自由にさせておくべきだ、と、…そう答えを出したのがつい先日だからな」
もうどう考えていいのか解らん、と、愚痴だか恨み言だか良く解らない声音で呟く。
ミカが、こんな風に弱音を吐いてくるようになった。それは最近では珍しいことでもない、と気づいて、ヒロはミカからミオに視線を移した。
旅の間にミカは変わったのだ。
そうしてミオも。
帆を順に指さし、ウイと楽しそうにおしゃべりを続けているミオを見て、先ほどまで彼女の熱弁に全員で耳を傾けていたことを思い出す。
集団組織を作る、という提案に一番積極的だったのは、意外にもミオだった。
集団組織って第二の家族みたいでいいですね、と嬉しそうに言うのだ。ヒロ君の家族に会ってからずっとそういうのがいいな、って思ってました、と。
村にいた頃は人と関わるのが怖くて集団の中に入る事さえも拒んでいた自分が少し成長できたみたいだから、と、組織の立ち上げに前向きに賛成したミオは。
名称を作るなら「地上の守り人」というそのものを使わず、天使という名前を残したいと言い、敢えて使命を伏せることで人々の信頼を得たいと言った。
誰もが聞き入る中、彼女が熱く語る言葉には、彼女が生まれ育った村を背景に、人に誇れる生きざまを全うしようという女性たちの姿が見える。
ヒロもそうだ。ミオの村の、名乗りを上げて挑む、そんな力強い様子を見たからこそ。
ミカのいる場所へ、その高見へ、向き合ってみようと思ったのだ。
ミカが、「お前たちに会うために抜け出てきた」という場所。
本来なら、おそらくは一生関わるはずのない世界。
ミカがこちら側へ来てくれたからこそ、交わるはずのない道が交わった。
それを、是とするか非とするか、自分たちはまだ判断する立場にない。
なぜなら、自分たちは、ミカのいるその場所へ立つことさえも出来ていないのだ。
「だから、組織を作る」
貴族社会と並び立つには、個では弱い。組織という箱があっても、到底及ばないものであることは、あの日の夜会で身に染みている。だが。
それだからこそ、光を見た。
「ミカが酒場で下町の言葉やふるまいを覚えたみたいに、今度は俺たちがそれをやるんだ」
組織を立ち上げる第一の意義をそう説明した時、一瞬に見せたミカの不安そうな瞳の色は忘れられない。
貴族界において、何をするにしてもヒロたちを守れるかどうかを考えなくてはならない立場。
この先も幾度となく、ミカにそんな負担を強いるのかと思えば、尚更、このままで良いとは思えなかった。
「ミカが、俺たちを守るためには俺たちを自由にさせておく必要がある、って言ったんだぞ」
ミカの言う、ヒロたちを貴族界での道具にしないために、どの家からの接触も公にする、という主張と。
ヒロが言う、狭い世界の陰謀に巻き込まれないように、組織として世界中に名を知らしめる、という提案。
この事は、並び立つ。ミカが行う庇護と自分たちで行う自衛は、互いに作用しあう。そんなヒロの説明に、ウイやミオはもちろん、ミカも納得して、この冒険者集団という組織の立ち上げに同意をしたのだ。
「別にさー、俺たち、お貴族様と仲良くしたいわけじゃねーけど」
「お貴族様が仲良くしたい、っていうならウイたち拒む理由はないもんね」
仲良くしてあげてもいいんだよ?というウイの言葉に、ミカは笑った。
ミカが笑ってくれるなら、どんな風にだってやりようはあるのだと思った。
自分たちが自由であるなら、ミカも自由に行き来ができるようにあるべきだ。そのための、高み。高みを望む、自由。
「自由ってさ」
帆をたたみ、先にロープをしっかりと結び終えたミカが、ヒロの言葉に振り向く。
お喋りを止め、こちらを見ていたウイとミオも、耳を傾ける。
「何も持たない事を言うんじゃないと思うんだよな」
それは?と、ミカが目線で問うてくる。それを受けて、ロープを結ぶ手を動かしたまま、ヒロは答えた。
「貴族とのしがらみを持たない、貴族界とつながらない、って、一見自由そうに聞こえるんだけど」
それって、と結びを確認して、ヒロはミカを見た。
「俺たちはしがらみを持たないぜ、っていう制約に縛られてるよな」
ある意味全然自由じゃなくね?、と言えば、ミカが固まった。
解りやすい。
ミカは今まさに、目から鱗、のそれそのものの反応をして見せた。
だから、言ってやる。
「色んなしがらみを受け入れたり拒否したり、つながりを結んだりほどいたり、そういうのを自分たちの意志でできる事を自由っていうんじゃねーかな」
「あっ」
「ああ!」
「あー、なるほど」
三者三様の感嘆が重なる。
「そういう意味では、ウイたちはまだ自由に選んだりできないもんね」
「まーな、お呼びじゃねーからな」
「それが出来るようになるために、組織としての地位を高めるって事ですね!」
「そーそー、そういうことだから」
な?と、まだその場で固まっているミカの様子を見て、その衝撃を受けた度合いに笑ってしまう。
「ミカが出した答えは、間違ってねーし、俺たちがこれからやろうとしてることも、ミカの答えと同じってことじゃん」
その方向が正しいかどうかはまだわからない。
高みの景色はまだここから臨むことができない。
その景色を見、その地に足をつけ、間違っていたとわかれば引き返す、あるいは別の高みを目指す。
「それも、自由な」
「ああ、うん…」
ミカが、青天の霹靂、から脱却するするように、わざと咳ばらいを一つ。
そして、まったく、と傍のマストに寄りかかって頭を抱えて見せる。
「まだまだ学ぶこと多すぎて、お前らから離れられる気がしねえ」
強がりか、負け惜しみか、ミカにとっての捨て台詞は、自分たちにとって誉め殺しだ。
旅の間に幾度となく繰り返されてきたやり取り。唐突な誉め言葉に照れ笑いで破顔一笑する3人の様子を見て、一瞬、怪訝そうに顔をしかめるミカも苦笑する。
それは、自然にはにかむような笑顔になった。
自由とは責任が伴う、だからそれを背負う自身があればいい。一人で重ければ二人で、二人で重ければ三人で、…そうやってより多くの自由を分け与えるための冒険者クランだ。
10年、20年、先の未来で自分たちはより多くの責任を背負って、それを自分に誇れるようになろう。
誇れるだけの、強さを求めて。
大きく帆を広げ、そこに紋章を掲げ。
進んでいくのだ。
自由へ。