ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

敗戦日本の内側 - 9  ( 軍と陛下と、日本国憲法 )

2018-03-02 19:56:32 | 徒然の記

 大戦末期の日本軍の敗北を、氏が説明します。胸の痛みを覚えつつ、太平洋諸島での玉砕の記録を調べました。

     昭和18年 アッツ島     死者     2,600名

     昭和19年 サイパン島    死者     43,000名  

           テニアン島    死者   8,500名  

           グアム島     死者    18,000名

           ぺリリュー島   死者    10,000名  

     昭和20年 硫黄島      死者    22,000名 

           沖縄       死者   94,000名 

 玉砕した日本兵の総数は約20万人となり、同じ頃にあった民間人の犠牲者数は約76万人でした。民間人の内訳は次の通りです。

     昭和19年 本土空襲    死者  33万人  

     昭和20年 広島原爆    死者  20万人   ( 8月6日 )

                         長崎原爆         死者  14万人   ( 8月9日 )

           沖縄        死者  9万4千人 

 昭和19年7月東条内閣の後、朝鮮総督だった小磯大将が組閣します。この内閣について、氏が次のように語っています。
 
 「小磯内閣は組閣当初からの予想通り、戦果を挙げることは勿論できず、さりとて、終戦に持っていく勇気と能力もなく、」「米軍をおびき寄せて波打ち際で撃破し、本土に上陸する敵に対して、一億玉砕の意気をもって、皇国を守るなどと、議会の壇上で怒号する程度であった。」
 
 「小磯氏の人となりを、昔からよく知る人に聞いたことがある。」「ちょっと目先の見えるオポチュニストで、第一次大戦後、社会主義が流行りだした頃、」「陸軍で一番にマルクス主義を論じ、社会主義理論をまくしたてたのは氏であったという。」
 
 「その十数年後、日本精神と国体明徴が唱え出されると、今度はすっかり神がかりとなり、朝から晩まで、神ながらの道を説く人である。とても本物とは、思われない。」「酷評とは思うけれど、或いは一面の真理を示しているかとも思う。」
 
 結局小磯内閣は本人の意思に反し、翌年4月に総辞職することとなり、重臣会議を経て、鈴木貫太郎海軍大将に決まります。富田氏の話の続きを紹介します。
 
 「鈴木内閣では、首相も米内海相もそして阿南陸相も、おおむね終戦に持っていく気持ちのあることは、お互い心の底で、了解しあっているような状況であった。」
 
 「しかし当時の極めて悪くなった戦局下において、一億玉砕で固まっている陸海軍全般の空気の中で、」「ハッキリと、和平終戦のコースへ持っていくということは、難事中の難事であった。」

 軍の高官と政府の顕官が椅子に並んでいても、軍が抑えられなかった事実が分かります。そうなりますと冒頭の島々での兵と、本土空襲や広島・長崎での国民の犠牲は、米国のせいだけでなく、終戦の決定ができなかった指導者たちにも、問えるのではないか思えてきました。

 破綻した戦況がわかっていても、なぜ指導者たちは和平の決定できなかったのか。ここ見える二つの事実があります。

  1. 「本土決戦」「一億玉砕」という陸海軍内の強硬な意見。

     2. 和平の詔勅を願いながら、それを陛下に言い出せなかった重臣たち。

 この論を進めますと、二つに行きあたります。「決定権を持っておられる天皇陛下」と、「一億玉砕を唱える強硬な軍」です。

 連合国軍司令官マッカーサーが軍を解体し、天皇を象徴にすることで、軍と天皇を切り離しました。この時私たち日本人は敗戦の混乱の中で、この二つを「日本国憲法」という名の「パンドラの箱」に押し込めたままにしたのではないでしょうか。

 世界第2位の経済大国になり、有頂天になっている間に、下記の事実が生じました。

  中国・・「南京事件」「靖国問題」「歴史認識」「尖閣領有問題」「沖縄領有問題」

  韓国・・「慰安婦問題」「徴用公問題」「軍艦島問題」「慰安婦少女像」

  北朝鮮・・「日本人拉致」「核ミサイル実験」

  米国・・ 中国、韓国、北朝鮮の日本批判攻撃を黙認するだけでなく、暗黙の承認をしている。

  国内の反日左翼間・・上記勢力と協力し、日本破壊を目指している。

 韓国、中国、北朝鮮の激しい批判と攻撃に苦しめられ、憤り、怒り、やっと国民が正気に戻りつつあります。同時に、「パンドラの箱」に押し込めていた、二つの課題との遭遇でもありました。

 安部総理が持ち出した「自衛隊の明記」と、今上陛下がなれた「退位のお言葉」騒ぎの二つが、改めて国民に突き詰めたのは「軍」と「天皇」でした。偶然の一致というより、起こるべくして起こった「日本の課題」だったと思います。

 長くなりましたが、書評を外れたような気もし、書評そのものであるという気もします。

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