ひょうきちの疑問

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未来に恥じない仕事から伝統は生まれる

2017-05-23 23:25:40 | 教育もろもろ

火曜日

革新とは新しもの好きで、保守とは古いもの好き?
そんなに単純なことだろうか。

たとえば仕事で、先輩のやってきたことがくだらないことであれば、後から来た者はそれを何とかましなものに変えようとするだろう。
それに対して、自分の仕事は先輩の仕事にはとても及ばないと感じれば、必死に先輩の残してくれた仕事を守ろうとするだろう。

保守か革新か、それは過去に対する評価の問題ではないだろうか。
過去とは伝統である。
伝統に対してどのような評価をするかが、保守か革新かを分ける。

では我々日本人が、過去に対して、または伝統に対して、どれだけの知識を持ってるだろうか。

我々は、未来に恥じない仕事をしなければならない。
そうでなければ、よき伝統は生まれない。
我々が伝統を守るのは、未来の評価に耐えうる、すばらしい仕事をした先人たちがいたからである。

革命はそうではない。
革命が起こるのは、伝統に対して評価すべきものを見いだしえないからである。
古いものを否定しなければ、社会が存続できないほど追い込まれていたからである。

そういう意味で我々の仕事は、将来に対して責任を負っている。
『未来に恥じないことをしているかどうか』、そのことが未来の保守か革新かを分ける。

保守か革新かは伝統に対する評価の問題である。
未来は未来の人間が決めるのではない。
未来は現在の人間が決めるのである。

我々の生きた時代が、そして我々の仕事が、未来の評価に耐えうるかどうか、そのことが問われている。

『伝統の問題は死者の生命の問題である』、と三木清は言っている。
『死者が蘇りまた生きながらえることを信じないで、伝統を信じることができるであろうか』
我々が未来に恥じない仕事をしている限り、我々は生きながらえることができる。
死を乗り越える糸口は、そういうところにあるのではなかろうか。


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