神に生かされた人生!

日々の生活の中に出来事や、アフリエリトを紹介します。

愛と塩 聖書が教える生活えっせい

2017-02-25 19:19:16 | キリスト教

1957年に私たちが京都にいた時のことです。家の裏口から歩いて5分とかからず行ける所に、昔ながらの墓地がありました。そこは手つかずの自然そのままですが、荒れた感じではありません。刈られることもなく伸び放題になっている草は、風雨に晒(さら)されると櫛で梳かれたばかりのように、きれいになびいています。

墓地の周りは両方向に木々や茂みや畑が広がり、裏手には大学の建物が建ち並び、脇には小さな池があります。前方は墓地を縁取るように、小高い山の裾となる丘陵地帯がなだらかな広がりを見せています。

ここは私にとって、とっておきの場所でした。と言いますのも、ここには私のための祭壇があったのです。太陽の光もめったに差し込まない薄暗い、湿気を帯びたこの場所に、コケに覆われた祭壇を見つけました。祭壇とは小さな御影石のお墓のことです。墓石がベルベットのようにコケ生(む)しているさまは、周りの土と混じり合って、さながら緑のじゅうたんを敷いた1段だけの階段のように見えます。

この辺りは人目につかない場所ですが、格別に静かとは言えません。雨の日でもなければ、若者たちがハイキングをしたり雑談しながら、子どもの背丈よりも高い所にある山道を行き通い、子どもたちは池で餌ほどの小さな魚を釣っていたりしています。彼らのざわめきが大学のキャンパスまで、絶え間なく聞こえてきます。

けれども、そういった人の動く気配、騒音、談笑する声などの喧騒(けんそう)も、どういうわけか、全く私の耳に届いていないような気がします。すぐそばなのに遠く離れた別世界のようでした。墓地には大きさも形もさまざまな墓石が、数え切れないほど立ち並んでいます。墓石には古い文字で深く刻まれた碑文が施されてあります。

どうやら、その佇まいが私に天国を少しばかり近く感じさせたのでしょう。墓地そのものが天国を感じさせたわけではありません。ここに眠っている人たちの十中八九は救い主を全く知らなかった人たちなのですから。恐らく、イエス様の名前さえも聞いたことがなかったでしょう。その事はいつも私の頭にありました。

では、どうして、ここが、私にとってそんなにも聖なる地なのか、ですね? それは、ここにいると他のどこよりも、日々の仕事や責任から心が解放されるからです。そして、父なる神様の御声を聞こうと、いつもより集中して主に心を向けられる場所だからです。

ここは意識しなくても、自然に「祈りの園」になりました。心を乱すものも邪魔するものもなく、心して祈ることができました。そして、私の思いはただ1つ、キリストを知らない文化圏の人々に福音を宣べ伝える責務があるのだという使命感だけでした。

家庭での私室の祈りでは、決してこれほどの静かな霊的交わりは得られません。たぶん、家庭は仕事の場、責任ある場なので、それに関わる全てから離れて、祈りに専念するのは難しいのでしょう。

今では、遠い国にあるコケ生した私専用の祭壇を離れてから、随分と久しくなりました。あの祭壇に代わるものがまだ見つかりませんから、今の私はあの頃ほど聖霊に満たされているとは言えないような気がします。ここでは日々の生活に追われ、慌ただしくしています。

それに、この国の墓地は、広々としている上に、整然としていて、管理も行き届いています。公園もピクニック広場も同様です。あまりに人の手が入っているため、祭壇にするには不向きな気がします。でも、よく考えてみましたら、祭壇はいつも心の中にあるのですね! 真に主に感謝です。

「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる」(詩篇46:10)

「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30:15)


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