日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

生命 の 通過儀礼(イニシエーション)

2020年04月13日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)の地球規模のパンデミックが起きている

今この時も、生死を彷徨う重篤な患者さんたちが

何千人とおられるのだろう。

 

コロナの患者数が急激に増加した事や、院内感染の多発により

東京都心の医療現場は既往症の医療や救急医療が通常通り

受ける事が出来なくなりつつある。

予想以上に、無症、軽症の患者さんの移動は進まないようで

患者数の増加に東京の医療現場はもはや追いついていないように見える。

とても心配だ。

 

約30年前になるが

外科で15時間の手術を終え2週間ほどの入院を経験をした。

私が入院していた部屋は8人部屋で、重症者から軽症者まで

容体にバラツキのある患者が集められていて、不思議な感じであった。

そんな風であったから、重症の患者さんの中には夜、容体が急変する方もいて、

真夜中に緊迫した面持ちで対応する担当医や当直の看護師を

間近で見る経験をした。

夜急変した患者は、今で言うICU

(集中治療室という程の設備のない所謂、看取り部屋)

移動させられた。

 

翌日、その部屋の前を通るのは少し怖かった。

部屋の中からすすり泣きが聞こえたり、また

すでに真っ白なシーツしか残っていない時は

普段はリアルに想像しえない死を

自分も含め誰もが逃れられないのだという事を目の当たりにして

胸に冷たい風が通り抜ける感じがした。

 

またそれとは対称的な経験を、3年前の桜が咲く今頃にした。

私は担当医から

半年間苦しんだ原因不明の膠原病と思われる病が

ほぼ寛解したと告げられた。

 

一時はお茶碗を持つことや、ペットボトルの蓋も開ける事が出来なくなり

手足は炎症で膨れ上がって、麻痺しているか痛むかのどちらかであった。

何より、一度横になると自力で立ち上がる事が出来ないほど筋力が落ちてしまった。

人間は寝ている姿勢から四つん這いの姿勢に一端ならないと、立つこと事が出来ないのだと

この時思い知った。

筋力が低下すると、四つん這いになる事も出来ず、文字どうり這ってトイレに行った。

 

そのような日々が続くと横になって眠る事さえ恐怖になり

よく椅子に座って夜を過ごした。

今度こそ眠りに落ちたらそのまま死を迎えるのではと思うようになり

いっそう眠る事が怖くなった。

 

重い病に罹ると、否が応でも自身の死と対峙しなければならなくなる。

老いと死はいつまでその完全な平等性を保ちえるのだろう。 狩られる側の世代の思い。

の記事の中で

兄が、5年生存率が極めて低い癌に罹った時の事を下記のように書いた

 

兄が癌で余命が半年とくらいだと自覚したときに

「人間は一人で死んでゆくんだな。」と

ガンセンターの真っ暗な廊下で言った事を思い出す。

 

その時に私は冷淡だが当り前の事として

「ああそうだよ、人間は誰だって一人で死んでゆくんだ。」

と答えていた。

 

「一人じゃないよ」と言ってあげるべきだったのだろうが

そういう嘘をつけない愚鈍な弟であった。

 

膠原病か癌かもしれないと担当医に言われた時、

私も兄がそうであったように、

死と出来るだけひるまずに対峙しようと思った。

 

兄が一端、癌センターを退院した折、

私は自身の人生経験から得た、尿療法や、スピリチュアル的療法を

兄に勧めた。しかし兄は、幼き頃から両親から受けた新興宗教の刷り込みに

反発して、徹底的なデーター主義者に育ち、

数値で分析できないものを信じなくなっていたから

私の言う事を心情では理解してくれたが、決して実行はしなかった。

 

愛も情も、人類の未だ解明できない病の前には無力だ。

 

兄は治療法のない悪性癌を受け入れ、痛みと向き合い死んでいった。

それ故、

「人間は誰だって一人で死んでゆくんだ。」と

兄を突き放した私は

ついに本物と信じる事が出来たフライウェイで、

どうしても病や死の恐怖と向き合わねばならなかった。

その時の心情を

『ヘブンリー ブルー』 自己免疫疾患という経験  あとがき 『天上の青』

の記事にこう書いている。

 

私は長い間スピリチュアルな世界を彷徨ったが

心の奥底にある渇きを満たす事はできなかった。

 

それ故、自分が癌か根治療法のない自己免疫疾患だと言われた時

最後だからと*****(フライウェイ)に全てを託す事ができた。

今言える事は私は私の物語の為にこの無謀とも言える選択をしたに過ぎないという事と

そしてたとえ死という結末(悪性腫瘍による)を迎えていたとしても

私は満足したであろうと思えることであった。

それは、鏡の向こう側に立っている兄へ、胸を張って会いに行く為には

避けては通れない通過儀礼(イニシエーション)であった。

 

幸い病は悪性腫瘍ではなく

何も薬を服用する事なく

原因不明の膠原病は担当医が認めてくれた通り

私の自己免疫力によって寛解した。

 

私は私の信じたフライウェイでその時は健康を取り戻した。

だが私は近い未来に新型コロナウィルス感染症に罹って

重篤化、もしくは死んでしまう可能性がないなどとは全く思っていない。

 

人の命には寿命が有り、

いつ、どんな形で死がやってくるかはわからないのだから。

 

その時がいつか必ず来る事を覚悟はしつつ、

健康に人生を送れる事を感謝してこれからも生きてゆこうと思う。

 

神も霊もウィルスも目には見えない。

だが、目に見えない世界の事を始終考えていた私にとって

ウィルスと付き合って生活しなければならない今も

その目の見えない世界の助けを借りて

日々心と体の健康を維持できるのは

それは、とても一言では言い表せないほど

ありがたい事なのだ。