MOA美術館の象徴のような7基のエスカレーターを上がったところのホール。200m上がったことになるのです。
今日はとにかくまずランチ!レストランが三ヶ所ありますが、「茶の庭」と呼ばれる和風庭園内のそば処でいただきました。美味しかったのに写真を撮っていません…
いい具合に年月を重ねて庭に風情が出てきました。
馬酔木
黒文字の花
枝垂れ桜もちょうど乙女のような見頃です。京都にも平安神宮など有名な枝垂れ桜の名所がありますが、喜んで見てくれている友人を見て、私は美しい花と喜んでくれる友と二重の喜びを感じながらこの景色に浸りました。
それから館内見学。数年前に大幅リニューアル。と言ってもガラスや展示方法、売店やカフェなどなどを見直してスッキリさせたもので、建物の骨組み自体は昔と変わっていないと思います。
2階メインロビーから
山側の駐車場から入ると、3階のレベルが建物へのアプローチになり、1階降りて2階で有名な金の茶室が見られます。
小田原に江之浦測候所という、杉本さんの作られた美術館があります。古いものからガラスを大胆に使ったものまで不思議な空間が広がりますが、確かな共通感がありました。
この日の宿はエクシブ湯河原離宮にしました。このホテルはコンセプトが琳派モダンということで、MOA美術館を堪能した旅の宿としてはなかなか良いチョイスだったと気づいてくれたでしょうか?
デルフィニューム
ほころび始めた八重桜
実は5月に気仙沼から友人が来ます。もちろんまたMOA美術館に連れて行きます!
下田上原美術館。上原さん個人の好みで蒐集した作品が中心なので、独特の魅力が醸し出されます。自然に抱かれたロケーションも魅力的です。2月には早春の風情が心地よかったですよ。
もちろん端正なこの本堂も素敵です。
手水舎。小さく作ったのではなく、パーツそのものを小さく作ったと教えていただいたことがあります。例えば瓦の数を減らすのではなく瓦そのものを小さく作るという手間をかけているということです。温泉が使われています。
晴天に青紅葉が輝いていました。
竹林。
桂川や竹林は通り過ぎるだけにして、普段はあまり行くことのない指月殿へ。頼家の死を悼んだ北条政子が創建した経蔵です。伊豆最古の木造建築物と言われています。
やはり関心を持ってくれました。路傍の花にも同じ関心を持てるし、言葉を交わしながら楽しさが倍増する実感がありました。
国の重要文化財。同じように明治の初期に建てられた松本の開智学校は国宝です。私たち二人とも開智学校にもいったことがあるということがわかり、細かい話で盛り上がりました。
入江長八というコテ絵の名人を輩出した町ですから、当然素晴らしいコテ絵があちらこちらで見つけられます。
2階の西の間と言われる和室の長押には、一羽ずつ形の違う飛翔する鶴の姿が描かれています。
床の間に向かうデザインですって。
長八は、立体的な作品も残しています。
教科書や法令などの展示がたくさんありましたが、このお弁当箱を見つけた時は「あ、こういうのを使ったねえ」と声が出てしまいました。
秋の景色のようですね。紅葉の若葉なのです。
境内は春爛漫。「もしかしたら今日がこの春一番の桜の見頃かもしれない」と言いあうほど。
伊豆山神社の手水舎は赤龍白龍から水が出ます。
伊豆山神社は、海岸から837段の階段を登った上にあります。当然海一望で心がスッキリするような景観が広がりますが、なかなか写真ではうまく表現できません。
狛犬「阿」
狛犬「吽」
楠の大木が何本も天をついていました。
首大仏。江戸期に名古屋でで作られたものを、移動させた際に頭部だけになったという由来書がありました。
陶器製。
「良いところに連れてきてくれてありがとう」って言ってもらえました。
稲取市街の展望
散策道のスミレ
早咲きオオシマサクラ
一番近い景勝地は城ヶ崎海岸の橋立吊り橋。
それでも海はきれいです。
友人デザインの、お土産屋さんのプレート。
普段の城ヶ崎海岸の海は富戸ブルーと言われます。
江戸時代からの魚見小屋。
鳥はよく知っています。
大漁旗を何度もあげての凱旋帰港。
さあ。趣を変えてちょっとおしゃれなお店の報告をしましょう。
庭と一体になったようなメルヘンチックなコーナー
明るい店内
手作り石窯
洗った豆のチェック
この焙煎でちょうどいい!
不思議な形の木の向こうの山々はなだらかです。
カフェの横には天城の水が集まった堰。気持ちを沈めるような水音がBGMになってます。
奥湯河原で初めての鰻屋訪問。
ロビーへののれん
メニュー
瓢六はむびょう…無病にかけたネーミング。
店内の調度は、吟味された骨董でまとめられていました。
突き当たりが焼き場。
鰻重並。(ランクは量だけで決まっています)
おめでとうケーキの追加です。夫の誕生日が4/5。
お祝いは一回だけではないのです。友人が一席設けてくれました。
ケーキではありませんが、長男からのプレゼント。「冗談だからみんなで盛り上がってね」というコメント付。
あとから解説も。
夫は1944年生まれですから、80歳。
ニコニコ顔の友人(漁師さん)が大きな鰤を持って来てくださる。「今朝獲れ。ハラミは刺身。雄節はしゃぶしゃぶが美味しいよ」そう聞くと、捌いてあげて一緒に食べたくなります。一緒に感動の舌鼓を打ったら、当然お話に花が咲いて、お開きの時間が遅くなる。
自分にとって楽しいことをやっている時の前頭葉は、あたかもライトがピカピカ灯っているようです。
でも、初めて脇芽が出ました!
こういうふうに考えると、「脳のリハビリ」「認知症にならないためには」と言っても具体的には一般化しにくいということを理解してもらえるでしょうか?
庭を一巡りして花の咲き具合を確かめて、お茶を飲んだりお菓子を食べたり、今しなくてもいい棚の整理をしたり。
今年も桜を堪能しました。
圧巻は、今年初めて出会った三島市玉澤霊園の山桜。樹齢400年ですって。
我が家の稚木の桜(わかきのさくら)2年生でもう花をつけるという、牧野富太郎博士が最も好んだ可憐な一重の山桜です。
伊豆は暖かいので、色鮮やかな寒緋桜も時々目にします。
すごい…
伊豆市、法泉寺の枝垂れ桜。ひっそりと山を背景にたたずんでいました。ここも初見です。
見る人もなく…見事に咲いてくれていました。
聚光院伊東別院に咲く莫眼花(ばくがんか)。禅語で「眼花することなかれ」と読み下し「眼病の時に花でないものを花と見間違うように、真実の花でないものを花と見てはいけない。心を平安に落ち着かせているとそういうことは起きない」というような意味らしいです。
桜守佐野藤右衛門さんが発見し、命名した突然変異の桜です。一重から八重に向かう一番最初の段階がよくわかります。現時点では世界に一本といわれているようです。
この角度はどうでしょうか?ちょっと大ぶりな花でした。蕾ははっきりとピンク色ですが咲くとほとんど白い花になります。考えたらこの桜も始めてみました。アンテナを立てておくと、情報は飛び込んできてくれるものですね。
ところで「ゲミュートローゼ」です。
高校のクラスメートからのメールでこの言葉を発見した時が初対面。プーチンのウクライナ侵攻に絡んで書かれていたので、精神的な疾患を意味しているだろうとは思いました。
じつは私、去年、心理領域初の国家資格公認心理師試験に合格したんです。
近況報告ー公認心理師試験に挑戦
一応、「心理職」と名乗れるのですが、全くこの言葉を知りませんでした!
困ったときの検索頼み。
「「ゲミュート」とは、思いやり、同情、良心などを意味するドイツ語である。 このような高等感情を持たない人を、ドイツの精神科医クルト・シュナイダーは「ゲミュートローゼ」と名づけたわけで、「情性欠如者」と訳される」
シュナイダーは、統合失調症の症状をあげたり精神病の診断に寄与した人で、精神病質の10類型もシュナイダーが言い始めたらしいです。この辺りは確かに勉強したような気もしますが「ゲミュートローゼ」とは書いてなかった…没年が1967年なのでかなり前の方です。つまりずいぶん以前からこういうくくり方はあったということですね。
熱海なぎさ公園の大寒桜。花の間に熱海城が見えました。
私のキャリアは、精神科で心理担当として勤務したところからスタートしました。大学では臨床心理は全くやっていませんでしたから、診察室で出会う患者さんの話に耳を傾けるとびっくりすることの連続。考えたらとんでもない心理担当者だった…と赤面しながら反省しています。
統合失調症の方の話を一生懸命聞いていくと、どこかのところから「わかりません」と音をあげたくなる。うつ病の方には励ましたくなる。そう状態の方に対応すると言い聞かせたくなる。全部やってはいけないことですから、ひたすら忍耐の日々でした。神経症の方の訴えはこちらも苦しくなる。場面緘黙や不登校や家庭内暴力の子どもたち。それまでに人生で全く体験がなかったことの連続で、仕事をそこから始められたことは、ほんとうにラッキーだったと思います。患者さんたちの話を聞いたり、投影法を主とする心理テストをやったり。箱庭療法もしました。
精神科で働いていたときには、症状を丸ごと理解しようとする、それは目の前の人が感じていることをそのままに受け入れることでもあるのですが、その気持ちは間違いなくあるのですが、本当に難しいことでした。
河津桜に似ていますが、これは伊東小室桜。伊東市にしかありません。オオシマサクラとカンヒサクラの自然交配種だそうです。
その後、ドクターの転出があって脳外科で働くことになりました。病気やけがで脳に障害が起きた時に、治療前後の機能の比較、または後遺症として受け入れざるを得ない症状の説明、またその経過観察のために行われる神経心理テストの担当になりました。
一番最初に、脳外科のドクターから言われた言葉にはショックを受けました。
「脳が壊れると、できないことが起きてくる。それはどうしようもないことだから、できないことをよく見なさい。そしてそれをちゃんと説明してあげることが大切。あいまいな希望を持たせることは慎むべきなんだ」
きっと、「そんなぁ!」という顔をしていたのでしょう。
「脳が壊れると、どうしてもできないことはできないんだよ。脳が壊れて手足にマヒが残ってしまった人をどう励ましても、本人がどう頑張っても重い不全マヒの時は動かない。軽ければリハビリで改善できるけども、元通りというわけにはいかない」こんこんとそうおっしゃったドクターの声やたたずまいは、40年近くたっている今でも鮮やかによみがえります。あの時、ドクターはご自分の無力感も伝えてくださったのだと思います。
脳外科での勤務を続けるうちに、「全くその通り。壊れてしまった脳は以前と同じようには機能しない」と私も納得できました。
運動領域は壊れた部分にぴったり一致する運動障害が出てきます。左脳が壊れた人、右脳が壊れた人。そして、当時も現在になってもまだまだ理解されているとは思えない前頭葉に障害が残った人達が、特有の後遺症を示して、その働きを教えてくれました。
我が家で咲く河津桜
そして次の段階になりました。精神科で出会った方たちの症状は、脳の機能不全の面もあるのではないかと感じるようになったのです。症状を脳の機能障害と断じることには、感覚的な抵抗があることは、私にもよくわかります。困った症状に何らかの意味づけをして「全体的に理解してあげる」方が優しいような気がしますよね。
症状を脳の機能障害と考えるというのは、対人関係に問題がある人は、成育歴や現在の環境の影響以前に、対人的な情報を処理する脳の分野に問題があるのかもしれない。と推理するというようなことです。もう少し具体的に書いてみましょう。
例えば重度の認知症になると見当識の障害が起きてきます。今がいつなのかわからない。ここがどこなのかわからない。この人が誰なのかわからない。
夜中に騒ぐ。徘徊する。それに意味づけをして、その行動を理解しようとする立場があります。いっぽうで脳機能から見ると見当識をつかさどっている領域が機能できていない(だから夜中に騒いだり、徘徊したりすることには意味はない)と考えるのです。
どちらが優しいというか、その人に寄り添っていることになるのか考えてみてください。もう一例あげてみます。
脳卒中の後遺症で歩けない人に向かって「なぜ歩けないんでしょうねえ。過去の何かが影響しているかもしれません。考え方を少し変えてみることはできませんか?」ということと、「命はとりとめたのですが、脳の病気のために残念ながら後遺症が残りました」そして「立てません。車いすを使います。歩行器を使います。装具を付けてリハビリします。杖を使います」ということと、どちらがよりその人の生活のために役立つでしょうか?
伊豆最福寺しだれ。日本で4例目の八重枝垂れ桜。
私の今の仕事は、認知症の早期発見や回復を図ること、それ以前に認知症にならない生活指導をすることです。
カギは、脳機能特に前頭葉機能なのですが、「ゲミュートローゼ」という知らない言葉に出会ったことで、何十年も昔のことを思い出してしまいました。
フロク。
ゲミュートローゼを脳機能から考えると、第一段階としてはやはり右脳の情報をキャッチする能力に欠けた状況を考えないといけないでしょう。生まれつきの問題もあるかもしれませんが、右脳を育てる過程で育てそこなってしまったことも考えないといけないでしょう。母子関係をベースにした感情的な交流が皆無だとしたら、感情を獲得することができませんから。
またわざわざ「思いやり、同情、良心などの高等感情」という表現は「前頭葉機能」そのものを指していると思われます。育っていく間に、種々の体験や決断をし、それを両親や先生や友人たちから評価されて、自分なりの前頭葉の色を付けていきます。そして最終的には「自分で自分の行動を計画し、実践し、評価しながら自己を確立していく」のが人が生きていく道です。
右脳と同様に、生得的に何かが欠落しているのか、一般的な成長過程を体験できなかったのか。いずれにしても前頭葉機能に欠落があるとしか思えません。
伊豆高原桜のトンネル。この日は海が見えていました。
(牧野富太郎が最も好んだと言われる稚木桜)
ペチコート水仙(バブルコジウム)
一般的な認知検査(知能検査)は見当識や記憶力や計算力や言語関係の検査、図形の模写などの「高次機能」をチェックします。
貝母
高次機能が合格のテストをしている時にはテスターは安心もしなんだか嬉しくなるものです。その時こそ、前頭葉機能が万全かどうかを慎重に見極めないといけません。
ヒアシンス
カンパニュラ
フリージア
金時草
雲南黄梅
ここに住んでいると、数年に一回くらいはブリを捌くこともあります。さすがブリともなると、捌くときに頭を切り落とすのに難儀します。何度か挑戦するうち、頭を残して捌く方法に到達しましたが、難しいことには変わりないのです。
重さは約5kg。頭と内臓がないのですから、多分12kgは超えるくらいの立派なブリです。検索してみると5kgを超えるとブリと呼ぶようですが、富戸の漁師さんは「7kgを超えたらブリ」といわれます。繰り返しますが、今日のブリは半身で5kgの重さですよ!
大きな頭と尾ビレはとられていて、身だけで約60cm。全長90cmはあったでしょうね。
身の厚みは30cm。ずんぐりした魚体。丸太夫というのではなかったでしょうか?
ふた腹で500g。
料理してしまうと、大きさはわからなくなるのでどんなに見事だったかをいいたくなるのです。これでちょっと満足して、さあ捌きましょう!
血合いの色が、くすんだ赤ではなくてベージュ色に近いことに驚かされました。漁師さんだからできる締め方があるのでしょうか。
雌節。二つに切り分けるより三等分にしたくなりました。あまりにも脂がみごとだったからでしょうか。
皮を引くときに、包丁にかかる身の重みで先に進みにくいという経験を久しぶりにしました。
テレビコマーシャルで「脳は脂でできている」とか「青魚に含まれるDHAやEPAが良い」と盛んに言われています。
ブリしゃぶ用の野菜
真子の煮付け
夕方のテレビで富戸定置網のブリ豊漁のニュースが流れました。味について若い漁師さんが、ニコニコしながら「おいしいです」と言っていたのはよかったです。そのシーンも確認してください。富戸定置網には、大学卒業してそのまま漁師の世界に飛び込んだ若者もいるのですが、これは特筆すべきことかもしれません。
先日それは見事なイワシが届きました。大羽イワシ。27センチくらいありました!
イワシには鱗がないと思っている人は多いでしょうね。新鮮なイワシにはウロコがありますよ。
酢洗いしたものは握りにしました。
中骨と真子、白子は煮付けて。(この中骨は一緒に届いたホウボウですね)
一夜干しも作りました。塩焼きとは一味違います。
三枚に下ろしたものは、天ぷらやムニエル用。
頭でお出汁をとって、腹のすき身をたたいて団子にして味噌汁の具にします。美味しいと思える人は食べたことがある人だけでしょうね。魚は廃棄分が多いと耳にしますが、捨てるのは内臓とヒレくらいで、これも環境にやさしいと言えるかもしれませんね。
ちょうど友人が来ていたので、天ぷらにしました。付け合わせは沖縄南城市産の「サクサク王子」というインゲン豆。
「サクサク王子」茹で時間2分以内という指示があったので、2分と1分30秒茹でて丘上げしてみました。茹で時間は短くてオッケー。何事も興味深くやる時は面倒という気持ちは湧いてきません。
旅をして来たものがもう一つ。
金沢近江町市場のズワイガニ!
茹で方自慢のお店なので、こんなに見事な茹で上がりでした。これは家庭ではとても無理だと思います。
自家製ブロッコリーをいただきました。友人から「ブロッコリーを茹でるときには塩、砂糖、油を入れるといいそうよ。Daigoの料理番組で言ってた」という情報があったのでそのように下準備をして一皿追加。
また別の友人がノンフライヤーを勧めてくれたので、ヘルシーなノンフライヤー料理にも挑戦しています。卵を焼くときに油が不要でこんな感じになります。このパンを作っている近所のパン屋さん「まねきねこ」のさやかさんが「どういう調理法ですか?」と尋ねてきました。ちょっと目にしない卵の様子ですね。「まねきねこ」といえば、国産小麦、天然酵母を使うだけでなく、生体エネルギーということも導入してより健康的でよりおいしくを追及しているお店です。
今日は、最近食べた美味しいもの備忘録でした。海山からの恵みに心から感謝していただきました。
何度も訪れているうちに、顔馴染みになった関崎さん。
次に説明してくださったのは、ツタンカーメンのエンドウマメ。ツタンカーメンの墓から見つけられた種。花もさやも紫色。茹でると緑色になるそうです。
でもこれはちょっと違う!
ずいぶん前から、このラナンキュラスは咲いていましたが、角度を変えて写せば印象が全く変わります。
アンブレラスカイ。季節感を表すカラーを想像しながら角を曲がる楽しみがあります。今回は「桜のピンク」でビンゴ!でした。
いつも犬連れのお客さんが多く、園内にもたくさんのペット用のフォトスポットが用意されているニューヨークランプミュージアムですから、的を射た企画だったのでしょう。大盛況でした。
さまざまなお店が出ていました。こだわりの食べ物もたくさんありましたが、食べ物以外のお店は驚かされるものがたくさんありました。