神の子 | 不思議なことはまだまだ起こる

不思議なことはまだまだ起こる

不思議なことはまだまだ起こる。
この言葉が私の頭の天辺からつま先までを抜けた。
この日から、私は自分の人生が自分の思うがままに生きられることを知った。人生って最高!

ずっと、寺社には伺うことが無かったけど、今、伺ってみたいという方、そうでない方、ぽちっと応援お願い致します。


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有難うございます。
伺っていなかったから、何だというのでしょうか。
心が向いた時が、ご縁の時。
心のままに、伺った方が良いと思います。
ささっ、本文を読んでくださいませ。

 私が、ご縁を頂いた方々の中には、「うちの子は、神の子なんです。色々と感じる子なんです。例えば・・・」と、お話になられる方もいらっしゃいます。

私は、「貴方が、お子さんを、神の子と仰るならば、私たちは、皆、神の子です」と、申し上げます。
そうすると、「いや、ちょっと違うんです。他のお子さんとは、違うんです」と、続きます。

「ならば、神の子と言わず、神様だと、仰った方がよろしいのではないでしょうか」と、申し上げます。
分かっていないという不服顔。

子供は、大本から来たばかりで、大本との繋がりが深く、「こんなこと言っちゃいけない」「人に変な風に思われる」という心が無いので、感じているままを口にします。
親が押さえつけたり、感じる心に対し、要らぬ目的を持たない限り、話します。
それで良いのではないでしょうか。
私たちに記憶はなくとも、私たちも、あったと思います。
親が、そっとしておいてくれるうちに、この世に馴染んで、この世を懸命に生きることになったのだと思います。

私の母は、私が感じていることに対し、理解を示してくれ、世間にとって「特別な子」ではなく、家族にとって「大切な子」として、育ててくれました。
朝、起こしてくれ、ご飯を食べさせ、学校に行かせ、私の背中を見送って、お友達と喧嘩をしたこと、好きな人が出来たこと、先生が嫌いなこと、悩んで苦しんで苦しんでの、この世の体験を、支えてくれました。
母は、今の私を想像していなかったと思います。
望んでもいなかったと思います。
ただ、ただ、わが子として、見守ってくれていたのだと思います。
それは、今も、今も、母の心を感じます。

私は、とても感覚がお有りになるお子さんを、育てていらっしゃる方とも、ご縁を頂いています。
ですが、そのお母さま方は、「うちの子、また、こんなこと言ってます」「楽しそうに話しているので、時々、ん?と思うようなことがあっても、この子には、楽しいのだなぁと思っています」と、メールに記してくださいます。

感覚が、大本のままにある子は、親のアイテムではありません。
それを、子供の新鮮な感覚を使い、ご自分が生きやすくするのは、違うと思います。
この世で過ごし、感覚が失われても、また取り戻せば良いだけです。
子供を使う必要は、ありません。

私は、そっと見守っていらっしゃるお母さま方のお話には、本当に、胸が熱くなり、ご無礼ながら、母と重ねることがあります。
「誰とも違う特別な子」と、育てるより、「貴方は、私にとって大切な子」として、育てた方が、子供は生き生きとしていられると思います。
たとえ、時を経て、大本の感覚が失われても、いつか再び取り戻し、感覚も、親の心も重ねて、今を大切に生きられるのだと思います。

沢山の方に読んで頂きたく、参加させて頂いております。
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いつも応援頂き有難うございます。
心より感謝申し上げます。


浄化の習慣

発売日:2016/02/20
出版社:KADOKAWA

http://www.blue-planet.tokyo.jp
私たちは宇宙の一員であり、学びの達人である。We are the members of the universe.