スマホの寿命というか、寿命は尽きていないのだが、もう動作が鈍くなってきているので、機種変更したいのだが、その候補が定まらない。
XperiaかiPhoneか。
どちらも出るのかでないのかトント判らない。
最近はなぜか発売間近に「出しまっせ」と言い出して、いきなり出すというスタイルが流行っているらしい。なんだか意味がわからない。なんらかの意味があるのだろうか。
始めにやったのはAppleの製品発表だろうか。
しかもXperiaの場合、キャリアによって出したり出さなかったりするので、本当に腹がたつ。
どうせ出すのがわかっているから、直前発表でいいのである。
Xperiaのzx1という機種が次に出るらしい。
ドイツの発表会でお披露目された。
だが、全画面になっていないとか、アメリカでは指紋認証がないとか、カメラで3Dの何やらができるとか、そういう特集が多くネット上に転がっているのだが、どうして目の前のソニーの担当者に、「日本ではいる、どこから出るんですか」の一言が聞けないのだろうか。不思議でならない。
はてなのトップページで流行ってるぜ、と紹介されていて読んだ記事。
こういうトップブロガーは、読者にならなくても記事が紹介されるので便利だ。
さて、その記事では20年間引きこもっていたそれほど仲良くはない友人が、社会復帰するという内容だった。友人は大学卒業後社会人になるのだが、そこで心身を壊し、自宅にいて社会復帰をせずにいたのだそうだ。専門家ではないので正確にはわからないが、心身を壊している段階で引きこもりではなく、ただの病気療養なのではないか。文中、筆者とその友人が話す場面があるのだが、その場面をある程度正確に描写しているのだが、なんとなく両者に温度差がある。それはその辺りの認識の差ではないのだろうか。それとも心身の状態が完全に回復したのにもかかわらず、ずっと自宅にいて何もしていなかったのだろうか。
ちょっと調べると、もうひきこもりという言葉は一人歩きをしてしまっているようだ。元々は診断がつかない原因不明で自宅に引きこもる状態を文字通りひきこもりと言っていて、精神疾患等が原因ではないものについていた。だが、今ではひきこもりの半数には、統合失調症やうつ病、発達障害などの診断がつくとわかっているようだ。言葉の定義としてはもう厳密さはない。ようするに、主婦も含めていて他人と関わりがない人間全般を指すレッテルである。
先の記事に戻ると、最終的に「お前の幸せはお前が決めろ」と言っているのであって、「侮っていた気持ちがエールに変わった」とは書いていない。突き放しているだけだ、と書いて、そのあと読んだfktackさんの記事と同じだなと思った。突き放すとは自己との分離を指すのである。こちらには清々しさはないが。
つまり綺麗にごまかして書いているが、徹頭徹尾、侮っている気分には変化がなく、もうかかわらないでくれと言っているのだ。普段の彼の行動から言って、そちらの方が整合性がある。言葉は嘘をつけるが、行動は嘘をつけない。
なんだか、先の記事を読んで不快になったので消化するために書いた。文章を書こうとすると必死に考えるのでモヤモヤした気分にけりをつけられるのである。