風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

海の道

2018年04月18日 | 「新エッセイ集2018」

 

姪の結婚式があり、九州に帰ってきた。
ぼくの九州への道は、瀬戸内海の海で繋がっている。そこにはいつもの慣れた道がある。遥かなとき海で生きた海賊の血が、細々と流れているのかもしれない。海を渡ることによって、体の中の血も動くような気がする。

航行は夜なので、点在する島々の小さな明かりしか見えない。闇に浮遊する、あやふやな道しるべに誘導されるのが心地いい。
おだやかな潮の流れに浮いて、日常とは違う波動で、夢のなかを西へ西へと運ばれていく。海の道は、遠いどこかへ戻ってゆくような緩やかな夢路でもある。

早朝のもやった海に浮かび上がってくる、山の容(かたち)と風のにおいが懐かしい。深く深呼吸をして、すべての風景を吸い込みたくなる。穏やかな波に乗って山が街が空が近づいてくる。
フェリーのエンジン音がいちだんと高くなって、大きな船腹がすこしずつ岸壁に寄っていく。港の人や車やコンテナや、もろもろを引き寄せているようにも見える。ほとんどコンピューターで航行するという9000トンの巨大な船体が、細いロープで岸壁に繋がれていくおかしさ。ここから海の道は陸の道に切り替わる。
地上に降り立つと、そこから九州の朝がゆっくりと始まる。

快晴。逆光を受けて山が輝いている。知った顔や知らない顔。ひととき、新緑の明るい丘の上に集まる。神父もいない、仲人もいない。セレモニーは若い感覚と熱気で演出され進行されていく。
会堂の大きくて白い壁面がスクリーンとなり、ふたりのそれぞれの成長の記録と、ふたりの出会いとその後のスナップが映し出される。いくどもフェードインし、フェードアウトする。
過去から現在へと、長いカーテンがいっせいに開かれると、戸外がオープンになり、緑色の陽光がとび込んでくる。自然のスポットライトは、ふたりだけで独占するには明るすぎる。高い窓から降りそそぐいっぱいの光が会場に満ちる。

華やぎは、光の中で光を放ちながら始まり、光のように速やかに過ぎる。
木々の緑と風と、花々の輝きとゆらぎと、歓声と喧騒と嘆息と、初夏の季節のように豊穣なざわめきがあった。
最後にふたたび暗転。
壁面にはふたりのスナップを背景に、映画のエンドロールのように、つぎつぎと列席者の名前が映し出される。それぞれが自分の名前を見つけては、きょうのキャストの一人だったことに満足する。そして、感動を共有しながらフィナーレへ。

車椅子で参列した母は、だれの結婚式や、と会う人ごとにたずねる。生まれた時から近くで育った孫の花嫁姿をなかなか認識できない。2階で跳びはねて天井の埃を散らしていた、おてんばな女の子しか知らないと言う。
母の記憶は、とおい過去の波間を漂いつづけている。今日という日に居て、今日に居ない。明かりの見えない海を渡ろうとし始めているのかもしれない。
年寄りの忘却の向こうに、若いふたりの、新しい記憶の始まりはある。
重すぎるほどの楽しい記憶を背負って、沖縄の小さな島へと海を渡る。そこではもう夏の海が始まっているだろう。海の道はどこまでも続いている。

 


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