学生の頃の夏休み、九州までの帰省の旅費を稼ぐために、解体木材のクギ抜きのアルバイトをしたことがある。
炎天下で一日中、バールやペンチを使ってひたすらクギを抜いていく作業だ。いま考えると、よくもあんなしんどい仕事がやれたと思う。
毎日、早稲田から荒川行きの都電に乗って、下町の小さな土建屋に通った。場所も忘れてしまったが、近くを運河が流れていた。
朝行くと、廃材置き場にクギだらけの木材が山積みされている。作業をするのは、ぼくがひとりきりだ。
土建屋といっても、夫婦でやっている零細なところで、夫は早朝から現場に出ているので会ったこともない。若い奥さんもほとんど顔を出さないので、まったくの孤独な作業だった。ただ黙々とクギを抜くことに没頭するしかなかった。
始めのうち、とても続けられる作業ではないと思った。ひたすらクギを抜く、ただそれだけ。毎日が無駄な作業をしているような気がした。
クギを打たれた木材の、クギを抜くことによって、その木材は再利用されるのかもしれなかった。だが自分がやっている仕事がよくみえなかった。それに炎天下の暑さにも耐えなければならなかった。
とにかく、アルバイトの仕事とはこんなものだと割り切ってやるしかなかった。
クギを抜く、ただそれだけの作業だったが、やってるうちにクギにはそれぞれの個性があることがわかった。木の個性とクギの個性が、ときにはむりやり合体させられていることがあった。そんなクギを抜くときは、こちらも無理やりな力が要求された。
そして、そんなクギを抜くと、なぜかほっとして気分が良かった。抜かれたクギと木も、本来の姿に戻って安堵しているようにみえた。それは単純な作業をするなかでの気休めだったかもしれない。でも、そんな気休めに励まされて熱中でき、続けることができた。
週に一日、臨時の作業員が5~6人招集された。近所のおばちゃん達のようだった。彼女らはおしゃべりばかりして、作業はあまり進まなかった。ぼくはクギ抜きの要領もつかんでいたので、ぼくの作業はおばちゃん5~6人分に負けていなかった。
そんなことがあったからか、その週の報酬が引き上げられていた。誰にも見られていないような仕事だったけど、土建屋の奥さんは見てくれていたのだろう。
1か月ほど続いたと思う。
最後には水ばかり飲んでいるうちに、すっかり夏バテになってしまった。
ただクギを抜く。それは、ただ雑草を抜く、ただ塵を拾うといった、それだけの単純で無駄なような作業にも思われた。けれども苦役の合間には、ほんの少しだけの喜びもあった。苦しみと喜びは、容易に天秤にかけられるものではなかった。
一日の作業を終えての帰り、淀んだ大気の中を歩いていると、近くの運河から潮の匂いが漂ってきた。地理もよくわからなかったが、とじ込められたような東京にも近くに海があるのだと思って嬉しかった。そのほっとする思いは、クギを抜いた瞬間の小さな快感に似ていた。
単純作業だからこそ無心になったりして
何かを得たり見つかることあります。
楽しい昔のお話ありがとうございます。
昔の夏バテにお疲れ様です。
今は違った意味で暑い夏です、ご自愛ください。
昔のことなど思い出してしまいました。
今なら救急車ものですね。
熊子さんも夏バテしないように。
毎日、栄養満点の朝食とってるから大丈夫かな。
一気に読んでいくうちに
あの時の光景 汗が滴り落ちるあの酷暑
若き青年の純真な姿
全部その時のすべてが想像されて目に浮かびます
涙が出そう
兎に角読みやすい素晴らしい文才に驚きでした
コメントありがとうございます。
想像力ゆたかに読んでいただき、とても嬉しいです。
連日の猛烈な暑さに心身ともにぐったりしながら、
かつての厳しかった夏の思い出を懐かしく回想して
しまいました。
いくつもの厳しい夏はあったはずなのに、その中の
ひとつの夏が、この夏の暑さの感覚とリンクしたん
でしょうね。
本当にステキエッセイなので と 上から目線のようでしたら 歳に免じて お許しを。
これからも楽しく拝見させていただきますので、
よろしくお願いいたします。