昨日、友人から
「instagramとその人がアップしたBlogに店のことが誤った情報で掲載されているよ!」
との連絡を受けて、当該の投稿とBlog記事を見つけました。

確かにそこには事実無根の数字が列挙され、私自身ひどく落ち込みましたが、ご本人から訂正する旨、直接連絡を頂いたのでこれ以上は内容に触れないようにいたします。

ただ、ここ最近、本当に疑問に思うことが
「おもてなし」と「サービス」の違いをお客様はキチンと理解しているのか?ということ。


「おもてなし」とは「無償の提供物」


「サービス」とは「有償の提供物」


例えば、大切な人が遠方から旅行で自宅に泊まりにきたら、家を綺麗にしたり、洗面具を用意したり、夕食はご馳走を用意したりするでしょう。
これはその友人に対して無償で行うこと。いわゆる「おもてなし」です。

これとは違い、もし自分達が旅行に出かけるとなると、旅先でのホテルや旅館では夕食や洗面具、布団を提供してくれますよね。これは「有償の提供物」。お金を払いますから「サービス」です。「おもてなし」ではありません。

この二つの言葉が世間ではあまりにもごちゃまぜに、まるで同じ言葉かのように日常的に取り上げることが多いです。だからお客様側としても違いがよく分からないというのも仕方がありません。

広告などで「お客様をおもてなしします」というフレーズを目にすることがあると思うのですが、これは店側がお客様からお金をとらない提供物を用意しているということ。
花を活けたりだとか、店内を綺麗に掃除したりとか、笑顔で出迎えしたりとか。
お客様をお迎えするにあたって誠心誠意真心を込めることは伝票に記載しませんよね?
「おもてなし」はプライスレスです。

ただ、「割引きするからぜひご来店下さい!」という広告は、お金を頂戴するワケですから、これは「おもてなし」ではなく「サービス」です。

だから、「ドリンク1杯サービスします」というフレーズは、本来の意味から少々遠ざかっていますね。


しかし、如何せんこの不景気。
店はなんとしてでもお客様に来て頂きたい!との思いから様々な「サービス」と「おもてなし」を用意して使い分けています。
食後に熱茶を出すのもそう。 多くは店側からの「おもてなし」として提供されています。
しかし、どの店もそれをし始めるとお客様は外食では熱茶が無料で提供されることが当たり前だと思いこむ。
水にしてもそう。無料で提供されることが当たり前なんだと思いこむ。
結果、いくらかでも会計を安くあげようと努力しはじめ、無料のものを要求しつづける。

外食は、お客様がお金を支払うことでその対価を得る、という商売の大前提があるわけですが、無料で提供される「おもてなし」が画一的にどの店でも受けられるという思いこみが強くなってしまうと、商売の原理が根底から崩されていきます。
これは現代の飲食店が抱える大きな悩みでもあります。

お客様からの無料の要求に応えつづけることが果たして商売と言えるのだろうか?
そもそも「おもてなし」とは要求されて提供することなのであろうか?
「要求されて行うこと」。飲食店においてそれは本来、有償である「サービス」のはずです。
プロなのですから。


私どもが常日頃から口にしているコンセプト。
それは「地元文化の発展と向上」です。

どうしてこの言葉を目標にしているのかというと、上記の通り、こと外食においては文化が衰退の一途を辿っているとしか思えないからです。
別の言葉で言えば「作法と礼儀の衰退」ということになるでしょうか。


特に若いお客様に多く見受けられることなのですが、目の行き届いた「サービス」よりも、自分達の好き勝手にやらせてもらえて、無料の商品が揃えられた「おもてなし」の行き届いた店を居心地が良い店だと感じる傾向にあるようです。「個室」というワードが今でも一番人気なのはその為でしょうか。
今の時代に逆行するようですが、私どもはそんな投げやりの運営は絶対にしません。
食事の場を提供するプロとしての意地です。
お金を支払ってお食事をして頂く以上、お客様にとっては上質なお時間となるようなサポートをしていきたいと思っております。

食事をするということは本来、食に関する楽しみを大切にしながら、気の合う仲間や友人達と喜びを共有していくことでしょう。現実を生きる喜びがそこにはあるのです。
そのサポートを行うのが飲食店。
だから、外食に行くということは、プロのサポートを受けて、より上質な時間を大切な人達と共有する、ということになるのではないでしょうか。

人と喜びを分かち合ってこそ、人生は輝きだす。
ただその思いだけです。