真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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教育勅語 日本神話

2017年06月02日 | 国際・政治

 

 国有地を鑑定額よりはるかに安く取得したことで問題になった森友学園では、園児に教育勅語を朗読させていたことも話題になりました。教育勅語は、「神話的国体観」に基いており、「主権在君」(天皇主権)の考え方が、「主権在民」(国民主権)を定めた日本国憲法と相容れないため、1948年に国会で「排除」や「無効確認」の決議が行われているからです。
 しかし、森友学園をめぐる国会などの審議で、稲田朋美防衛相が、教育勅語の「核の部分」を「取り戻すべき」などと主張しました。
 また、「私は教育勅語の精神であるところの、日本が道義国家を目指すべきである、そして親孝行とか友達を大切にするとか、そういう核の部分ですね、そこは今も大切なものとして…」
などとも主張しています。
 稲田防衛相が「取り戻すべき」だという「教育勅語に流れている核の部分」や「日本が目指すべき」だという「道義国家」というのは、直接的には触れていませんが、皇室が万世一系の天照大神の子孫であり、神によって永遠の統治権が与えられているのだという「神話」に基づく考え方で、「忠君愛国」や「儒教的道徳」をもとに、皇室を中心とする「家族国家」日本を甦らせようとするものではないかと思います。
 歴代の内閣総理大臣が、一年の仕事始めに伊勢神宮に参拝したり、閣僚や政権に関わる議員がこぞって靖国神社を参拝している事実、さらに、”創生「日本」東京研修会”で、第一次安倍内閣の長勢法務大臣が、「国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」などと発言している映像が存在する事実などから、私は、安倍総理はもちろん、政権を支えてきた多くの人たちが、そうした考え方を共有しているのではないかと想像します。

 そこで、そうした考え方をもう少し深く知りたいと思い、敗戦国日本の現実を嘆き、「いまだにわが国は、コミンテルン史観、唯物史観、東京裁判史観の呪縛でがんじがらめにしばられたままである」などと主張して、「日本の神話」の心にかえることを訴えている「出雲井晶」の「今なぜ、日本の神話なのか こんな素晴らしいものとは知らなかった日本の神話」(原書房)を手に取りました。そして、「教育勅語」に関わる部分の一部を抜粋しました。
 日本神話の原点といわれる『古事記』には、「偽書説」があります。また、天武天皇が、自分の皇位継承の正当性と自分に従った諸族の優位性を証明するために、自身に都合のよい史書の撰録を企てた…、などというような捉え方もあるようです。さらに「教育勅語」がいろいろなかたちで、「大東亜戦争」を支えたことを検証したり、考慮したりすることなく、
わが国には遠い遠い祖先が、大宇宙の理法から説きおこした雄大な『古事記』『日本書紀』という史書がある。この神代の巻が「日本の神話」である。この「日本の神話」こそ、いわば天からのわが国建国の真理の書である。建国の理念、精神がとかれた書である
などと「聖典」であるかのようにいい、日本を再び戦前の考え方や価値観にもどそうとするのはいかがなものかと思います。たとえ、『古事記』『日本書紀』などに記されているいわゆる「日本神話」が、史的事実を背景としている部分があるとしても…。
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                 第一章 今なぜ、日本の神話なのか
廃止させられた「教育勅語」
 「教育勅語」といっても戦後の方はまったくご存じないだろうから、まず、ここに掲げる。

  教育ニ関スル勅語 ・・・略

 わかりやすい用語で書かれてはいるが、現代人にはなじみのない言葉もあるので、現代流に訳させていただく。

   「教育勅語」謹訳
 一、私がよく考えてみるのに、われらが皇室の天照大神はじめ祖先の神々と神武天皇からの歴代の天皇が、日本の国はるか大昔に遠大な理想をもってお開きになり、長い歴史のあいだに麗わしい道徳をうちたてられると共に、その恵みをあらゆる面で深く根づかせられた。わが国民もまごころをもって君国に尽し、親を大切にし、すべての国民が心を一つにして、代々忠孝の美しい風習を成就してきたのは、これこそわが国がらの最も美しい特色で、教育で一ばん大切な根源もまた、ここにあるのである。

 二、すべての国民よ、父母は大切にうやまい、兄弟仲良く、夫婦こころをあわせ、友だちも誠の心でまじわり、自分の身はいつもつつしみ深くおごり高ぶらず放埒にならぬように。
 思いやり博愛の心、社会奉仕をこころがけ、まじめに学問をし、仕事をならい、智識才能を発揮するようにつとめ、徳の高い人格をめざして励み、進んで人の為になることをし、社会的責任を果たすよう心がけるように。

 さらに国民として憲法を尊重し、国の法律をまもり、ひとたび国家の危急がおきた時には、正義なる勇気をふるい国家に奉仕する。これらの徳義を実践して、天地創造の真理にのっとり建国された天地と共にきわまりない皇室を、中心とする道義国家の実現をたすけるように。このように国民みなが道をおこなうことは、ただ現在私のよい民であるばかりでなく、それぞれの祖先が遺した美風をあきらかにあらわすことにもなるであろう。

 三、これまでのべた道をふみ行うことは、実に天照大神、神武天皇にはじまる歴代天皇の遺されたみ教えであって、皇室の子孫と国民とがともにしたがい守るべきものである。これは悠久の昔から今現在も未来永劫にまちがいのない真理であると共に、日本国だけではなく、どこの国の人も守ってまちがいのない人間の道なのである。私もあなた方国民と共につつしんでふみ行い、君民いったいとなってその徳をみがき人格をたかめるようにと、切に望むのである。
 明治二十三年十月三十日
ご署名、御印

 無心になって「教育勅語」に対すれば”人倫の教え”これにまさるものはない。どんなに時代がうつりかわろうとも変わることのない、人間の道を指し示されたものであると共に、それがそのまま自国の国体とつながっているからすばらしい。
 だからこそ思想戦によって徹底的に日本をやっつけておかねばならないGHQにとっては、攻撃目標になったのである。
 まだGHQの手が教育面にのびていなかった昭和20年9月4日には、文部省は「新日本建設の教育方針」として、
 「今後の教育は、国体の護持に努むると共に、軍国的思想及び施策を払拭し、平和の建設を目途として、謙虚反省、只管(ヒタスラ)国民の教養を深め、科学的思考力を養ひ、平和愛好の念を篤くし、智徳の一般水準を昂(タカ)メテ、世界の進運に貢献するものたらしめん。」
 
 と決定した。その趣旨を徹底させる為に、十月半ば全国教員養成学校長、視学官を東京に集めて、前田多門文部大臣が左のような訓示をおこなっている。

 「今日、道義の昂揚(カウヤウ)と言ふことが強調されてをりますが、若しそれ敗戦の結果、武装が解除せられたので、余儀なくたてられた方策かの如くに、道義昂揚が説かれますならば、まことに情けない話であって、それは肇国の精神にも反する事となるのであります。茲に於いて吾人は茲に改めて教育勅語を謹読し、その御垂示あらせられし所に心の整理を行なはねばならぬと存じます。
 教育勅語は、吾々に御諭し遊ばされて、吾々が忠良なる国民となる事と相並んで、よき人間となるべきこと、よき父母であり、よき子供であり、よき夫婦であるべき事を御示しになっております。」即ち国民たると共に、人間として完きものたる事を御命じになっております。・・・・・(所謂民主主義政治とは)民衆が責任を以てする政治であり、畏くも皇室を上に戴き、民衆が政治に関与し、その政府は権力といふよりは、むしろ奉仕に重きを置く、これ日本的なる民主主義政治の特長であります。・・・・・
 畏くも上御一人おかせられては、常に爾臣民と共にあり(「終戦の詔書」の中での言葉)と仰せられて居ります。この有難い大御心を拝し、吾等はほんとうに一つ心になって、此の難局を切抜けて、理想の彼岸に達したいと思ひます。」

と、のべ、戦後教育でも教育勅語を根幹に、肇国の精神をかみしめるべきことを強調していた。
 ところが、十二月に入ると、”神道指令”修身、日本歴史、及び地理停止”と、GHQは日本の教育を根本からゆさぶり解体をはじめた。翌二十一年三月来日した教育使節団のいわゆるストッダード教育使節報告書によってGHQは攻めてきた。
 文部省はこの年元年の詔書をも、天皇の人間宣言と皮相にうけとった。秘密扱いで、「勅語及び詔書などの取扱いについて」という通達を出した。新憲法草案が衆、貴議員で可決した翌十月八日のことである。その中で、

  (一) 教育勅語を以て、我が国教育の唯一の淵源となす、従来の考え方を去って、これと共に教育の淵源を、広く古今東西の倫理、哲学、宗教などにも求むる態度をとるべきこと
  (二) 式日等に於て、従来、教育勅語を奉読することを慣例としたが、今後は之を読まないことにすること

とあった。
 「教育の淵源」は、わが国肇まっていらいの「国体の精華」であると示されたことを否定した。そして新憲法の枠の中での教育ということで「教育基本法」が議会へ出された。
 これは、教育使節団の報告書によって、日本国民の育成という点は無視されたもので、議員から痛烈な批判が続出したが、わずか五日で可決させられた。わが国教育の基本理念はこうして消された。
昭和二十三年六月十九日、衆議院で「教育勅語等排除に関する決議」

 「民主平和国家として、世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において、未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは、教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。
 しかるに、既に過去の文書となってゐる、教育勅語、並びに陸海軍軍人に賜りたる勅諭、その他の教育に関する諸詔勅が、今もなお国民道徳の指導原理としての、性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。
 思ふに、…これらの詔勅の根本理念が、主権在君、並びに神話的国体観に基づいてゐる事実は、明らかに基本的人権を損ない、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。
 よって、憲法第九十八条の本旨に従ひ、ここに衆議院は院議を以てこれらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。右決議する。」

 同日、参議院でも同じ趣旨の決議をして、「教育勅語」をほうむり去った。
 すべて占領軍の、日本の原点、建国の理念を晦(クラ)まして日本を愚民弱体化する手順によってなされたもので、「教育勅語」廃止は、その止めを刺したものといえる。

 ・・・中略

 私は同世代の方々によびかけたい。老人大学や旅行で自分の楽しみを味わうのも結構である。だが、それだけでは生き甲斐はない。せっかく教えこまれ、知っている「教育勅語」を子や孫世代に伝えようではないか。そして共に高い魂の昇華を目ざして向上し、科学万能、唯物至上の阿修羅の世に終止符をうとうではないか。

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