真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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日清戦争と旅順虐殺事件 蹇蹇録より

2017年10月11日 | 国際・政治

 

 先日、旅先の大連で、日清戦争の際に「旅順虐殺事件」があったという話を聞きました。後の南京大虐殺につながる残虐事件だというので、当時外務大臣であった陸奥宗光の「蹇蹇録」に当たりました。

 「蹇蹇録」には、事件について詳しいことは書いてありませんでしたが、下記に抜粋したように、海外の報道を抑えるために陸奥宗光が様々な手を打ったことがわかりました。
 同時に、東学党の乱をきっかけとする日本の軍隊の朝鮮出兵が、とても強引で侵略的であったことも改めて確認することになりました。東学党の乱に対処するため、朝鮮政府が「援兵」を求めたのは清国です。おまけに、臨時代理公使杉村溶は朝鮮から、
我が公使館、領事館および居留人民を保護するため、我が国より多少の軍隊を派遣すべき必要を生じ来たることあるべきやも測りがたけれども、目下の処にては京城は勿論、釜山、仁川といえどもそれほどの懸念なしといえるが故に、我が政府はこの時において出兵の問題を議するはやや太早(タイソウ)たるを免れず

と報告してきていました。にもかかわらず、陸奥宗光は

もし清国にして何らの名義を問わず朝鮮に軍隊を派出するの事実あるときは、我が国においてもまた相当の軍隊を同国に派遣し、以て不虞の変に備え、日清両国が朝鮮に対する権力の平均を維持せざるべからず

と主張して閣僚の同意を求め、朝鮮出兵を決定しているのです。当時は、世界的にそうした傾向にあったのかも知れませんが、随分強引で勝手な主張だと思います。
 そして、朝鮮に軍隊を派遣した日本は、天津条約(将来朝鮮に出兵する場合は相互通知「行文知照(コウブンチショウ)」が必要)に従い、清国に行文知照しますが、総理衙門(清国で外交事務を専門に扱うために設置した官庁)は、それに対し、

清国は朝鮮の請に依り援兵を派しその内乱を戡定(カンテイ)するため、即ち属邦を保護するの旧例に依るものなるが故に、内乱平定の上は直ちにこれを撤回するはずなり、しかるに日本政府派兵の理由は、公使館、領事館および商民を保護するというにあれば、必ずしも多数の軍隊を派出するを要せざるべく、かつ朝鮮政府の請求に出でたるに非ざれば、断じて日本軍隊を朝鮮内地に入り込ましめ人民を驚駭(キョウガイ)せしむべからず、また、万一清国軍隊と相遇(ア)うときに当たり、言語不通のためにあるいは事を生ぜんことを恐るるが故に、この旨日本政府へ電達ありたき旨”

を在北京臨時代理公使小村寿太郎に要求しています。にもかかわらず、日本政府は

天津条約に従い朝鮮に出兵することを行文知照するの外、清国よりする何らの要求にも応ずべき理由なきを以て更に小村をして清国総理衙門に向かい、第一に清国が朝鮮に軍隊を派出するは属邦を保護するためなりというといえども、我が政府はいまだかつて朝鮮を以て清国の属邦と認めたることなく、また今回我が政府が朝鮮に軍隊を派出するは済物浦条約上の権利にこれ依り、またこれを派出するについては天津条約に照準して行文知照したる外、我が政府は自己の行わんと欲する所を行うにあるを以て、その軍隊の多少および進退動止については毫(ゴウ)も清国政府の掣肘(セイチュウ)受くべきいわれなし、また仮令(タトイ)日清両国の軍隊が朝鮮国内において彼此相逢い言語不通なるも、我が国の軍隊は毎(ツネ)に紀律節制に依りて進動するものなれば、決して漫(ミダ)りに衝突するの虞(オソレ)なきは我が政府の信じて疑わざる所なり、故に清国政府においてもまたその軍隊に訓令して事端を生ぜざるよう注意ありたし、との旨回答せしめたり。”

というのです。とても強引だと思います。そして、朝鮮に軍隊を派遣したのに、自ら独立国だと認めている朝鮮政府の意向はまったく無視していることがわかります。 

 そして、陸奥宗光は
”…、余は清国政府より公然出兵の通知を領収せし日に先だつこと両日、即ち6月5日を以て大鳥公使をして軍艦八重山に搭じ横須賀を出帆せしめたり。尤も軍艦八重山には今回新たに殆ど百名近き海兵の増員をなしたる上、…”
と先手を打って、大鳥公使の京城への帰任に海兵三百余を伴わせているのです。その後朝鮮の官軍が東学党の勢いを抑え込み、その進行を止めて、京城、仁川の平穏に心配がなくなっても、日本は出兵させた一戸(イチノベ)少佐率いる一大隊の陸兵および混成旅団を撤退させず、清韓両政府の撤退要求を退けています。
 また、大鳥公使の
”…朝鮮国は意外に平穏にして清国派出の軍隊も牙山に滞陣するまでにて、いまだ内地に進行するに至らず。而して第三者たる外国人の状況は以上述ぶるが如くなるを知りたるに依り、同公使は頻りに我が政府に電報し、当分の内余り多数の軍隊を朝鮮に派出し朝鮮政府および人民に対し特に第三者たる外国人に向かい、謂れなきの疑団を抱かしむるは、外交上得策に非ざる旨
の進言さえ、聞き入れませんでした。
 さらには、内乱はすでに平定されたので、日清は相互にその軍隊を撤退させるべきだという清国の提案や朝鮮の内政は朝鮮の自主的改革に任せるべきだという提案を聞き入れず、ともに朝鮮の内政改革に取り組むべきだと主張します。当初の「我が公使館、領事館および居留人民を保護するため」という軍隊派遣の目的が、いつの間にか朝鮮国の内政改革に変わっているのです。そこで、清韓両国は欧米各国に援助を要請します。
 その結果、先ず在東京露国公使ヒトロヴォーが陸奥に対し、本国の訓令であるとして、次のようなことを質問したと云います。
清国政府は日清事件に関し露国の調停を求め、露国政府は日清両国の紛議速やかに平和に帰せんことを希望するに依り、もし清国にして朝鮮派出の軍隊を撤去せば、日本政府も均しくその軍隊を該国より撤去することに同意せらるべきやと質問せり
でも、陸奥は同意せず、二つのことを提案します。
(一)朝鮮の内政改革を完結するまで日清両国相共にこれを担任することに同意するか、(二)もし清国をして何らの理由にかかわらず朝鮮の改革に関し日本と協同するを欲せざれば、日本政府が独力これを実行するに当たり該政府は直接にも間接にもこれを妨害せざるか、いずれか一方の保証を与えたる上その軍隊を撤去するに至らば、日本政府もまたその軍隊を撤去すべし
自ら”独立国である”と認めている朝鮮国政府の意向をまったく無視したこんな勝手な議論があるのだろうかと思います。事実上の拒否宣言だと思います。
 だから、露国公使は政府の訓令と称して公文を陸奥に手交します。その内容は
朝鮮政府は、同国の内乱既に鎮定したる旨、公然同国駐在の各国使臣に告げ、また日清両国の兵を均しく撤去せしむることに付き該使臣等の援助を求めたり。よって露国政府は日本政府に向かい朝鮮の請求を容れられんことを勧告す。もし日本政府が清国政府と同時にその軍隊を撤去するを拒まるるにおいては、日本政府は自ら重大なる責に任ぜらるることを忠告す”
というものですが、日本政府は内乱が未だ鎮定していないとして、その勧告、忠告を拒絶しています。そこで、露国政府は再び公文を送致します。その内容は
日本が今朝鮮に対し要求せらるる譲与は果たして如何なるものなるや。かつその譲与の如何なるものたるにかかわらず、いやしくも朝鮮国が独立政府として列国と締結したる条約と背馳(ハイチ)するものなるときは、露国政府が決してこれを有効のものと認むる能わず。将来無要の紛議を避けんがために、ここに友誼上再びこれを日本政府に告げ、その注意を促し置く”
と踏み込んでいます。

 英国は繰り返し、日清の話し合いを提案しますが、うまく進まず、英国外務大臣が日本駐箚臨時代理公使を通し、一つの覚書を日本政府に提出します。その概要は
日本政府が今回清国政府に対する要求はかつて日本政府が談判の基礎とすべしと明言したる所に矛盾し、かつその範囲の外に出でたり、日本政府が既に単独着手したる事柄といえども清国政府をして毫(ゴウ)も容喙協議せしめずというは、実に天津条約の精神を度外視するものなり、よってもし日本政府がかかる政略を固執しこれがために開戦するに至らば、その結果に対し日本政府はその責に任ずるの外なし
というものです。そして、その後さらに、
向後日清両国の間に開戦に至るも、清国上海は英国利益の中心なるを以て、日本政府は同港およびその近傍において戦争的運動をなさずとの約諾を得置きたし
といってきたといいます。また、英国外務大臣は在英国公使青木子爵を通じ、
日清両国の軍隊が各々朝鮮を占領しその間徐(オモウロ)に両国の協議をなすべしとの英国の提議に対し清国政府は既にこれに同意したり、よって日本政府もこの主義に基づき善後の策を講ぜらるべし
と勧告するに至りますが、結局戦を開くことになってしまいます。

 陸奥によれば、「従来我が国に対し最も友誼厚く最も好意を抱き居る」米国もまた、日本駐箚公使を通じて、概要次のような忠告をしてきたといいます。
朝鮮の変乱すでに鎮定したるにかかわらず、日本政府が清国と均しくその軍隊を該国より撤退することを拒み、かつ該国の内政に対し急激な改革を施さんとするは米国政府の深く遺憾とする所なり、米国政府は日本および朝鮮両国に対し篤(アツ)く友誼を抱くが故に、日本政府が朝鮮の独立ならびに主権を重んぜられんことを希望す、もし日本にして無名の師を興し微弱にして防禦に堪えざる隣国を兵火の修羅場たらしむるに至らば、合衆国の大統領は痛く惋惜(ワンセキ)すべし”
これに対し陸奥は、日本軍の撤退はかえって東洋の平和を保護する所以に非ず、として受け入れないのですが、そこに、朝鮮は何としても日本の支配下に置こうとする強い姿勢を感じざるをえません。
 
 下記は「蹇蹇録」陸奥宗光著/中塚明校注(岩波文庫33-114-1)から、「朝鮮出兵」や「旅順虐殺事件」に関わる部分を抜粋しました。
資料1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                      第一章 東学党の乱
 ・・・
 東学党の勢い、日に月に強大となり朝鮮の官軍は到る所に敗走し、乱民終(ツイ)に全羅道の首府を陥れたりとの報、我が国に達するや、本邦の新聞紙は争いてこれを紙上に伝え、物議のために騒然、あるいは朝鮮政府の力、到底これを鎮圧する能わざるべければ、我が隣邦の誼(ヨシミ)を以て兵を派しこれを平定すべしと論じ、あるいは東学党は韓廷暴政の下に苦しむ人民を塗炭の中より救い出さんとする真実の改革党なれば、よろしくこれを助けて弊政改革の目的を達せしむべしといい、特に平素政府に反対せる政党者流はこの機に乗じて当局者を困蹙(コンシュク)せしむるを以て臨機の政略と考えたるにや、頻りに輿論(ヨロン)を扇動して戦争的気勢を張らんことを勉めたるものの如し。当時朝鮮駐箚公使大鳥圭介は賜暇(シカ)帰朝中にて住所あらざれども、臨時代理公使杉村溶(フカシ)は朝鮮に在勤すること前後数年、すこぶるその国情に通暁するを以て政府は勿論(モチロン)その報告に信拠し居たり。而して杉村が五月頃の諸報告に拠れば、東学党の乱は近来朝鮮に稀なる事件なれども、この乱民は現在の政府を転覆するほどの勢力を有するものと認むる能わず、またその乱民の進行する方向に因り、あるいは我が公使館、領事館および居留人民を保護するため、我が国より多少の軍隊を派遣すべき必要を生じ来たることあるべきやも測りがたけれども、目下の処にては京城は勿論、釜山、仁川といえどもそれほどの懸念なしといえるが故に、我が政府はこの時において出兵の問題を議するはやや太早(タイソウ)たるを免れずとなせり。しかれども常に乱雑なる朝鮮の内治、ややもすれば軌道外に奔馳(ホンチ)する清国の外交に対しては、予(アラカジ)めこれが計をなさざるべからずと信じ、余は杉村に内訓し、東学党の挙動を十分に注目すると同時に、韓廷のこれに対する処分如何および韓廷と清国使臣との関係如何を怠らず視察すべきことを以てせり。

 この時に方(アタ)りて我が邦(クニ)は正に議会開会中にして、衆議院は例に依り政府に反対するもの多数を占め種々の紛争を生じたれども、政府はなるべく寛容にして衝突を避けんことを試みたりしに、6月1日に至り衆議院は内閣の行為を非難するの上奏案を議決するに至りたれば、政府はやむをえず最後の手段を執り議会解散の詔勅を発せられんことを奏請するの場合に至り、翌2日、内閣総理大臣の官邸において内閣会議を開くこととなりたるに、会ゝ(タマタマ)杉村より電信ありて朝鮮政府は援兵を清国に乞いしことを報じ来たれり。これ実に容易ならざる事件にして、もしこれを黙認するときは既に偏傾なる日清両国の朝鮮における権力の干繋(カンケイ)をしてなお一層甚だしからしめ、我が邦は後来朝鮮に対しただ清国のなすがままに任するの外なく、日韓条約の精神もためにあるいは蹂躙せらるるの虞(オソレ)なきに非ざれば、余は同日の会議に赴くや、開会の初めにおいて先ず閣僚に示すに杉村の電信を以てし、なお余が意見として、もし清国にして何らの名義を問わず朝鮮に軍隊を派出するの事実あるときは、我が国においてもまた相当の軍隊を同国に派遣し、以て不虞の変に備え、日清両国が朝鮮に対する権力の平均を維持せざるべからずと述べたり。閣僚は皆この議に賛同したるを以て、伊藤内閣総理大臣は直ちに人を派して参謀総長熾仁(タルヒト)親王殿下および参謀本部次長川上陸軍中将の臨席を求め、その来会するや乃ち今後朝鮮へ軍隊を派出するの内議を協(カナ)え、内閣総理大臣は本件および議会解散の閣議を携え直ちに参内して、式に依り、聖裁を請い、制可の上これを執行せり。

 かく朝鮮国へ軍隊を派遣するの議、決したれば、余は直ちに大鳥特命全権大使をして何時たりとも赴任するに差支えなき準備をなさしめ、また海軍大臣と内議して同公使を軍艦八重山に搭じ、同艦には特に海兵若干を増載し、かつ同艦および海兵は総て同公使の指揮に従うべき訓令を発せしむることとなし、また参謀本部よりは第五師団長に内訓し同師団中より若干の軍隊を朝鮮に派するために、至急出師の準備をなすべき旨を命じ、また密かに郵船会社等に運輸および軍需の徴発を内命し、急遽の間において諸事最も敏捷に取り扱いたり。かかる廟算(ビョウサン)は外交および軍事の機密に属するを以て、世間いまだ何人(ナンビト)もこれを揣測(シソク)する能わず。而して政府の反対者は廟議既にかく進行せしを悟らず、頻りにその機関新聞において、もしくは遊説委員を以て朝鮮に軍隊を派遣するの急務なるを痛論し、劇(ハゲシ)しく政府の怠慢を責め、以て暗に議会解散の余憤を洩らさんとせり。
 ・・・
資料2ーーーーーーーーーー--ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

                  第九章 朝鮮事件と日英条約改正

 ・・・
 而して余が筆端已にここに及びたる上は、事のついでに更に日清交戦中に起りたる一事件が、復(マタ)如何に日米条約改正の問題に対し防障を及ぼしたるかを略述すべし。
 米国は我が国に対し最も好意を懐(イダ)くの一国なり。従来条約改正の事業の如きも他の各国において許多(アマタ)の異議ある時にも、独り米国のみは毎(ツネ)に我が請求をなるだけ寛容せんことを努めたり。特に明治27年、華盛頓(ワシントン)において彼我両国の全権委員が条約改正の会商を開始せし以来、何ら重大なる故障もなく着々その歩を進め、遂に同年11月22日を以て調印をするを得たり。しかるに彼の国の憲法に拠り総て外国条約は元老院の協賛を待つべき規定なるを以て、米国政府はこの新条約を元老院に送附したり。その後いくほどもなく、不幸にも彼の旅順口虐殺事件という一報が世界の新聞紙上に上るに至れり(この虐殺事件の虚実、また仮令事実ありとするもその程度如何はここに追究するの必要なし。しかれども特に米国の新聞中には、痛く日本軍隊の暴行を非難し、日本国は文明の皮膚を被り野蛮の筋骨を有する怪獣なりといい、また日本は今や文明の仮面を脱し野蛮の本体を露したりといい、暗に今回締結したる日米条約において全然治外法権を抛棄するを以てすこぶる危険なりとの意を諷するに至れり。而してこの悲嘆すべき事件は特に欧米各国一般の新聞上に痛論せらるるに止まらずして、社会の指導者たる碩学高儒の注目を惹くを免れざるに至り、当時英国において国際公法学の巨擘と知られたる博士チー・イー・ホルランドの如きは、今回日清交戦の事件に関し初めより日本の行動に対し毎事賛賞惜しまざりし人なりしも、この旅順口一件については如何に痛嘆せしや、同博士が「日清戦争における国際公法」と題する論述中に、「当時日本の将卒の行為は実に常度の外に逸出せり。而して彼らは仮令旅順口の塁外において同胞人の割断せられたる死屍を発見し、清国軍兵が先ずかくの如き残忍の行為ありしもというも、なお彼らの暴行に対する弁解となすに足らず、彼らは戦勝初日を除きその翌日より四日間は、残虐にも非戦者、婦女、幼童を殺害せり。現に従軍の欧羅巴軍人並びに特別通信員はこの残虐の状況を目撃したれども、これを制止する由なく空しく傍観して嘔吐に堪えざりし由なり。この際に殺戮を免れたる清人は全市内僅かに三十有六人に過ぎず。しかもこの三十有六個の清人は全くその同胞人の死屍を埋葬するの使役に供するがために救助し置かれたる者にして、その帽子に「この者殺すべからず」といえる標札を附着し僅かにこれを保護せり」という。これ過大の酷論なるべし。しかれどもこの事件が当時如何に欧米各国の社会を聳動せしやを見るべきなり)。何事にも輿論の向背を視て進退するに敏速なる米国の政治家は、かかる驚愕すべき一報を新聞にて閲読し決して対岸の火災として坐視する能わず、元老院はやや日米条約を協賛するに逡巡したり。同年12月14日を以て、在米栗野公使は余に電稟して曰く、「米国国務大臣は本使に告ぐるに、もし日本兵士が旅順口にて清国人を残虐せしとの風聞真実なれば、必定元老院において至大の困難を引き起こすに至るべし」と。余は直ちに同公使に電訓し、「旅順口の一件は風説ほどに夸大ならずといえども、多少無益の殺戮ありしならん。しかれども帝国の兵士が他の所においての挙動は到る処常に称誉を博したり。今回の事は何か憤激を起すべき原因ありしことならんと信ず。被殺者の多数は無辜(ムコ)の平民に非ずして清兵の軍服を脱したるものなりという。かかる出来事より更に許多の流説を傍生せざる内に貴官は敏捷の手段を執り、一日も早く新条約が元老院を経過するよう尽力すべし」といい送りたり。しかるに元老院は新条約に協賛することに遅々したるの後、漸くこれに一業修正を加えたり。而してその修正の文字は僅々なりしも殆どこれがために条約全体を破壊するの結果を生じたり。よって余は栗野公使に電訓し、更に米国国務大臣と許多の協議を尽さしめ、また元老院内有力の議員に対し種々の手段を施さしめ、漸く本年二月の初旬に至り元老院はこれを再議に附することを肯んじ、終(ツイ)に彼我共に満足すべき再修正を議決するに至りたり。これ即ち現今の日米新条約とす。

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