真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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改憲 平泉澄 「国体と憲法」

2017年07月02日 | 国際・政治

 しばらく前に、YouTubeの動画をみて驚きました。平成24年5月10日 憲政記念会館で、第3回創生「日本」東京研修会が行われ 長勢甚遠・第一次安倍内閣法務大臣が、「国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」と発言している動画です。安倍総理や下村元文科大臣、稲田防衛大臣などの閣僚が顔を揃えているのですが、みんな咎めるどころか拍手をしています。私は、どういうことなのか意味がよく分かりませんでした。でも、皇国史観の教祖といわれる平泉澄の書いた文章をいくつか読んで、少しわかったような気がしてきました。

 平泉澄は、戦前・戦中大学で講義するのみならず、軍人相手に講演をしたり、「青々塾」を開き門下生に指導を繰り返したり、皇族に進講したりして、まさに皇国史観の「教祖」の如く大活躍をしましたが、戦後もその主張を変えることなく様々な論文を書き、講演を繰り返したようですので、今尚多くの人がその影響下にあるのではないかと思います。上記の日本国憲法の三大原則である「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を否定するような発言や教育勅語擁護の発言を、平泉澄の下記のような文章と考え合わせると、改憲を急ぎ、「日本を取り戻す」と主張する安倍総理や関係者の最終目標は、「萬世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ」ところの「一大家族國家」の日本であり、再度の「王政復古」なのではないかと想像します。

 日本国憲法を蔑ろにするような閣議決定や問題の多い数々の法案の強行採決は、平泉澄が、下記の「国体と憲法」で、「マッカーサー憲法に関する限り、歴史の上よりこれを見ますならば、日本の国体の上より見るならば、改正の価値なし、ただ破棄の一途あるのみであります。」と書いているような考え方が背景にあるからではないでしょうか。

 平泉澄の文章には、しばしば明治維新の精神的指導者といわれる吉田松陰が出てくるのですが、資料2は、その吉田松陰の「士規七則」と平泉澄のまとめ部分の一部です。「人ノ人タル所以ハ忠孝ヲ本トナス」ということの意味を考えないわけにはいきません。

 下記は、「先哲を仰ぐ」平泉澄(錦正社)から抜粋しました。漢字の旧字体は新字体に変えました。平仮名表記は、できるだけ変えないように努めました。
資料1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                       国体と憲法 
 ・・・
 今憲法について考へますに、われわれが個人個人の感情を述べ、意見を通して議論いたし、構想を練らうといたしますならば、各人各様の意見が出まして、到底まとまるものではあるまいと思います。これについて参考にすべきものは、幕末の俊傑、然もわが国古来幾千年の間における最大の俊傑の一人であります橋本景岳の国是の論であります。この国是の論は、安政三年の四月二十六日に中根雪江送りました手紙の中に見えておりますが、「国是と申す者は、国家祖宗の時、既に成り居り候にて、後代子孫に在りては、其の弊を救ひ候へば宜しき義に御座候。子孫の代に在りて別段国是を営立すると申す例もなく、道理もなし」かういふことを申してをります。すなわち国体とか国是といひますのは、今日は憲法とか国家の大方針とかいふ意味でありますが、これは歴史がこれを決定してをるものであって、後世子孫のときになって勝手にこれを構想すべきものでないといふことを言ってをるのであります。
 なほこれについて私見を申し上げることをお許し願ひたいと思ひます。世間にはマッカーサーの憲法を用ひましても国体は変らないと説かれる方もだんだんあるやうであります。それは恐らくやはり皇室のために憂ひを抱き、日本の国を愛する誠意から出てをるのであると思ひます。私はさういふ方々の誠意を疑ふわけではございません。しかし私ども学者の末端に列する者として、恐るるところなく事実を直視したしますならば、かくの如き考は耳を抑へて鈴を盗むの類でありまして、若しマッカーサー憲法がこのまま行はれてゆくといふことでありますならば、国体は勢ひ変わらざるを得ないのであります。民主主義はこれを強調する、天皇はわづかに国の象徴となっておいでになる。歴史は忘れられ家族制度は否定せられてゐる。現在のみが考へられて、歴史は考へられず、家族制度は無視されて個人のみが考慮せられ、人権はほとんど無制限に主張せられ、奉仕の念といふものはない。その限りなく要求せられる個人の権利の代償としては、ただ納税者の義務のみが明らかに規定せられてをる。忠孝の道徳の如きは弊履の如くに棄てて顧みない。かくの如き現状において、日本の国体が不変不動であるといふことは萬あり得ないところであります。マッカーサー憲法によりましても、国体の不変を信じたいといふ、その善意は了解できますけれども、しかしながら、その希望に拘わらず、この憲法並びにこの憲法に基く幾多の法令の下におきましては、日本の国体は変動し、変化してゆくことは如何ともし難いのであります。論より証拠、この憲法の下につくられてをります幾多の歴史教科書、それは文部省の検定を経てをるものでありますが、それらは根本において共産主義の歴史理論を採用し、日本人でありながら祖国の歴史を侮辱し、嫌悪し、罵詈雑言してをるのであります。文部省の検定を経たものにして猶且さやうでありますから、世間に氾濫してをる俗書の中に、天皇を誹謗し皇室を侮辱するものの多いことは如何とも致し方のないことであります。私は先年、近衛公が、支那の教科書が公然と排日侮日の記事を連ねてをり、日本国の排斥をもつて支那の国の教育方針としてをることを憤慨し痛憤せられまして、かういふ例が世界の何所にあるであらうか、かう言って憤激せられたのを覚えております。近衛公の憤激の声は今猶私の耳に残ってをるのでありますが、それは然し支那の教科書でありました。今日見るところ、わが国の教科書が日本の歴史を侮蔑し、蹂躙して憚らないのは一体これを何といふべきでありましょう。今現状につきましては、一々申し上げることは致しません。過去一箇月の中に起こりました幾多の紛乱を見ますと、かくの如きものが一体国家であらうかといふ感じを私どもは深くするのであります。国体の根本は動揺し、国家の方針はたたず、国家の威信といふものが地を払ってをるのであります。この威信をとり戻し、国家の大方針を立て、国体の根本を確立しようといふならば、三千年の歴史の上に思ひを致さなければならず、この三千年の歴史の上に考へをいたしますときにおいては、先づ第一に明治天皇の欽定憲法に立ち還るの外はないのであります。
 殊に事理の明白に考へられますことは、国軍再建の問題についてであります。凡そ軍隊は潔く死地に入り、喜んで一命を捧げる覚悟をもって始めて軍隊といふことが出来るのであります。生命を捧げることを拒否する軍隊、即ち戦意なき軍隊といふものは、われわれの考へ得ざるところであります。而して今日聞くところによれば、保安隊中、宣誓を拒否する者、約七千人に及ぶといふことでありますが、かかる戦意なき軍隊がどうして出来たかといへば、蓋しこれは国本立たず、国体くづれてをるがためでありまして、かくの如く世界において重大なる恥をここにさらしてをるのであります。かつて浅見絅齋はかういふことを申してをります。「国天下を治むるには、先づ、国是を早く極めて、上下共に其の旨を明らかに知らしめ置く事第一なり、治世は固よりなり、別して乱世に及びては、上下の心ばらばらに成りて、躁ぎ動き易き時なれば、上下一体の合点立たずしては、一言の下知成り難し」、この国全体が一つの目標の下に立ち、一つの精神で統一されてをらないといふことであれば「緩急の間、必ず頽れ立ちて、また取返すべきやうなし」、かう言って、国是を立てることを根本において重要なこととしてをります。支那におきましては、宋の高宗が狐疑逡巡しまして、国是をきめるだけの気力、気迫を持たず「ぐらぐらするほどに上下が離れて、あれのなれの果を見よ」─ かう痛論しまして、国是の立たないところ、国全体がひとつの精神で統一されないところは必ず崩壊する、その国は必ず滅亡するといふことを説いてをるのでります。日本国を今日の混迷から救ふもの、それは何よりも先に日本の国体を明確にすることが必要であります。而して日本の国体を明確にしますためには、第一にマッカーサー憲法の破棄であります。第二には明治天皇の欽定憲法の復活であります。このことが行はれて、日本がアメリカの従属より独立し、天皇の威厳をとり戻し、天皇陛下の万歳を唱えつつ、祖国永遠の生命の中に喜んで自己の一身の生命を捧げるときに、始めて日本は再び世界の大国として立ち、他国の尊敬をかち得るのであります。
 憲法の改正はこれを考慮してよいと思ひます。然しながら改正といひますのは、欽定憲法に立ち戻って後の問題でありまして、マッカーサー憲法に関する限り、歴史の上よりこれを見ますならば、日本の国体の上より見るならば、改正の価値なし、ただ破棄の一途あるのみであります。
 以上は日本の歴史より考へ、日本の国体より考へ、日本の命脈より考へ日本の道徳より考究して得た結論であります。然るに若し更に視野をひろめまして、世界史的見地に立って、各国亡盛衰の跡より考察し、殊にフランス革命、マルキシズム、アメリカンレボリューションの跡に思をいたしますならば、ここに述べましたところは、これに十倍し百倍する重みを加へまして、われわれにこの信念を確固たらしめるのであります。而してこのことは、明治欽定憲法に貢献するところ多かったドイツ人ロエースレルの「仏国革命論」といふ著述のありますことを見ますときに意義の殊に深きを覚えるのであります。(昭和二十九年六月三十日)
資料2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                     士規七則講義

 ・・・
 吉田松陰「士規七則」
冊子ヲ披繙(ヒハン)スレバ、嘉言林ノ如ク、躍々トシテ人ニ迫(セマ)ル。顧(オモ)フニ人読マザルノミ。即チ読ムモ行ハザルノミ。苟モ読ミテ之ヲ行ヘバ、則チ千万世ト雖モ、 得テ盡スベカラズ。噫(アア)復(マタ)何ヲカ言ハン。然リト雖モ、知ル所アリテ言ハザル能ハザル人ノ至情ナリ。 古人諸(コレ)ヲ古(イニシヘ)ニ言ヒ、我今諸ヲ今ニ言フ。亦詎(ナン)ゾ傷(イタ)マン。
士規七則ヲ作ル
一、凡ソ生レテ人トナル。宜シク人ノ禽獣ト異ナル所以ヲ知ルベシ。蓋シ人ニ五倫アリ、而シテ君臣父子ヲ最大トナス。故ニ人ノ人タル所以ハ忠孝を本トナス。

一、凡ソ皇国ニ生レテハ、宜シク吾宇内(ウダイ)ニ尊キ所以ヲ知ルベシ。蓋シ皇朝ハ万葉一統ニシテ、世々禄位(ヨヨロクイ)ヲ襲(ツ)ギ、人君ハ民ヲ養ヒテ、以テ祖業ヲ続ギタマフ。臣民ハ君ニ忠ニシテ、以テ父ノ志ヲ継グ。君臣一体、忠孝一致、唯吾国ヲ然リトナス。

一、士ノ道ハ、義ヨリ大ナルハナク、義ハ勇因リテ行ハレ、勇ハ義ニヨリテ長ズ。

一、士ノ行ハ、質実欺カザルヲ以テ要トナシ、巧詐過(コウサアヤマチ)ヲ文(カザ)ルヲ以テ恥トナス。光明正大皆是ヨリ行ズ

一、人古今ニ通ゼズ、聖賢ヲ師トセザルハ鄙夫(ヒフ)ノミ。読書尚友ハ君子ノ事ナリ

一、徳ヲ成シ材ヲ達スル、師恩友益多キニ居ル。故ニ君子ハ交遊ヲ慎ム。

一、死シテ後巳ムノ四字ハ、言簡ニシテ義広シ。堅忍下決、確乎トシテ抜クベカラザルモノハ、是ヲ舎(オ)キ術ナキナリテ

 右ノ士規七則、約シテ三端トナス。曰ク、立志以テ万事ノ源トナシ、撰友以テ仁義ノ行ヲ輔(タス)ケ
、読書以テ聖賢ノ訓(オシヘ)ヲ稽フ。士苟クモコゝニ得ル有ラバ、マタ以テ成人トナスベシ

右の士規七則は、要約して三つにのことになります。志を立てることが万事の根本であり、交友をあらぶことが仁義の道を行ふのを助けることになり、読書することが聖賢の教を学ぶ道であるといふことであります。こゝに聖賢といひますのは、支那の聖人賢者のみでなく、日本の聖人を含んゐます。我々は今日、楠公を仰ぎ、北畠親房公を仰ぎ、吉田松陰先生を仰ぐことによって、益々道を学び、弘めてゆかねばなりません。

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