建築と福祉と宗教

建築士から介護ヘルパーへ急転身。転身したからこそ知った新しい社会。同じ地域で建築士の30年間、私の知らない世界。

良いことも悪いことも因縁は神のみぞ知るのか?〈薬王菩薩本事品〉

2017-11-23 09:02:48 | 仏法
因縁というものは恐ろしくもあり、また不可思議な可笑しさでもあるようですね。
このように何となくそそっかしさを感じさせる、今日の薬王菩薩の前身の一切衆生喜見菩薩ですが、なぜ自ら身を燃やして捨て去るようなことまでに至ったのでしょう?
 
私たちは日ごろ、何気なく過ごしているようであっても、様々な奇怪な事件や悲しい事故などのニュースを知らされながら一生涯を過ごしています。
そういった私たちが自然に日常知る限りのあらゆる他人と思える出来事は何等かそれを知る私たち各々にとって、過去世に関係したかつての因縁が現世に現れているのかもしれないのです。
 
ですから、あらゆる知ることが他人事ではなく、今、インターネットやTVを通じて世界中に知らされる出来事が同時に多くの誰にも伝えられているというこの現実は、何を物語っているのかを先ずは知る必要があるでしょう。
それはその無量の情報の中から、どうしても自分に関係した情報をすぐにも感付いて探し出さなければならなくなった現代への警笛なのかもしれません。
 
つまり、かつての私たちが過去のことにあまりに無関心すぎたためかもしれませんし、また、有ること無いことの偽装な話が流行りすぎたためかもしれません。
 
ところで、薬王菩薩の前世の姿の一切衆生喜見菩薩の身を捨てた覚悟の話に皆さんは歓喜や隨喜ができますか?
もし、素直にそれができた方なら、この法華経を自分で修行していける人だと思います。
自分で、と言うことは佛に救済の負担をさせず、逆に仏を安樂させる供養ができるということです。
 
ところで、今の世の中は無量の情報が氾濫しているといいましたが、このありとあらゆる無量な情報の中から自分にとっての何かを得るために泳ぎ渡ることが無量義なのかもしれませんね。
世の中は自分だけにふさわしい情報を得たいと誰もが考えますが、各々がただ自分だけにと思っていたら、その一人一人の相に従ったあらゆる多種多様に工夫された方便説法を作りだす仏のほうもいちいち大変です。
 
だから私たちは一人一人にふさわしい情報がしっかり行き届きにくく、津波のような氾濫の中に漂っているだけなのです。
それが当たるも八卦な神様の主なる支配下のこの世界なのです。
ですから、その神様と有力な信頼関係を築ける者だけが大きな徳を得れるのがこの世の中の現実というものですね。
 
よって、是非とも、そのためには仏の智慧、つまり真実の神へのガイドブック或いはガイドラインやガイダンスが必需だということでしょう。
 
 
今回も最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
 
末永くご愛読いただけますよう、また無料メルマガの「ぶっけんの毎日ホッ法華経!」を何とぞよろしくお願いいたします。
 
                        (ぶっけん 成安田)

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