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ねずさんのブログよりの転載です。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3368.html#more

 

「シラス」という言葉は、いまではほとんど死語になってしまっていて、「シラス」と聞いてすぐに意味がわかる方は本当に少なくなってしまっているのが、現代日本の実情であろうと思います。
ところがこの「シラス」が、実は、日本の歴史を通底する、日本国家の根本概念なのです。

古事記がとても優れた書であると思うのは、まさに現代日本のように、言葉そのものが失われてしまった中にあっても、漢字を用いることで、その漢字の意味を調べれば、その言葉の意味を容易に知ることができるように書かれているところです。

古事記はよく日本書紀と対比されますが、ほぼ同じ時期に完成した古事記と日本書紀では、その記述と作成された目的に大きな違いがあります。
まず日本書紀は、正確な漢文で書かれています。
正確な漢文で書かれているということは、7〜8世紀の日本が、当時の国際社会にあって、ちゃんとした歴史を持つ国であることを証明するという、端的に言えば外交上の国際社会向けの文書でもあるということになります。

この時代は、天智天皇の大化の改新からはじまって、天武天皇、その事績を引き継いだ持統天皇、そして持統天皇の息子の妻であり、平城京遷都を実施し、古事記を世に出したた元明天皇(阿閉皇女)、その事績をさらに引き継ぎ、日本書紀を完成させた我が国天皇の中でも最高の美女とされる元正天皇(氷高皇女)と、一連の国家作りの大事業が行われた時代にあたります。

ゴールデンウイークには、奈良で「平城京天平行列」という一大イベントが開催されますが、この時代は、支那に隋、唐という強大な軍事国家が出来、日本が白村江の戦いの敗戦で朝鮮半島における権益を失い、国力を強化しなければ、それこそ唐や新羅に飲み込まれかねない・・・つまり国を失いかねないという危機感の元に、日本が、豪族たちのゆるやかな連合体という形から、中央集権的な強大な国家として生まれ変わるための各種事業が行われた時代であるわけです。

 

この事業は、主に以下の3つの事業によって構成されていました。
1 戸籍と土地登記の実施(公地公民)
2 律令の制定(法制度の完備)
3 史書の編纂
これを実現するために、冠位十二階が定められ、都も唐の都にならってすべての行政機構を一箇所に集めた広大な都が築かれ、また我が国独自の史書の編纂に併せて我が国独自の元号が制定され、天皇に代わって政治権力を担う太上天皇(上皇)の制度が始まった、そういう時代です。

そしてこの時代にあって、史書は二つの史書が作られました。
ひとつが対外向けの史書である日本書紀、
もうひとつが、国内向けの史書である古事記です。

古事記においては、これは国内向けの史書であるだけに、貴族や全国の各豪族のもともとの出自が明らかにされるとともに、その編纂にあたっては「邦家之経緯、王化之鴻基焉 」、すなわち「我が国の存立の経緯と、天皇を中心とした大きな事業の基礎とする」という大きな目的が掲げられました。

このことは、古事記の序文に書いてあります。
天皇を中心とした中央集権化が進められた時代に、古事記はその序文において、「この書は天武天皇の詔によって編纂が始まり、元明天皇の命によって提出を求められた」と書かいてあるのです。

古事記偽書説もありますが、偽書に天皇の名前を勝手に用いるならば、この時代において、それは重大な犯罪です。
ところが古事記を書いた者が、それによって罰せられたという記録はないし、それどころか古事記は長く「神の書」として大切にされてきたことを考えると、古事記は、やはり序文に書かれている通りのことで編纂されたのであろうと思います。
古事記は神の書として秘匿された史書にもなっていましたが、大切なものは隠すということは、我が国の文化です。

そしてその古事記が、我が国の根幹として繰り返し書いているのが、「シラス」という概念です。
シラスは、古事記では「知」という漢字一文字で表されています。
つまり、「知」と書いて「しらす」と読むのですが、古事記は、大和言葉の意味と漢字の持つ意味が共通するものは漢字で、そうでないものは「以音(こえをもちいる)」と、漢字の音だけを借用したことを個別に注釈するとしています。

「知」は、「以音」と注釈されていませんから、これは漢字の「知」と、大和言葉の「シラス」が、意味が共通しているということになります。

その「知」という漢字は、「矢」と「口」で成り立っています。
矢は弓矢の矢ですからすぐにわかると思います。
問題は「口」ですが、これは人間の口ではなくて、お酒を注(そそ)ぐときの盃(さかずき)を意味します。
そして古代において、矢と盃は、神棚に供えるものでした。

昨今では神様は神社などにおいでになり、人が神様のいる神社などを尋ねるようになりましたが、太古の昔においてはまだ神社がなく、屋敷の中に備えた神棚に、神様にご降臨いただくものでした。
そしてそのときに神様にお供えするものが、矢と盃だったのです。

そして知恵や知識は、現代人の感覚では、本を読んだり、先生に教わったりして得るものですが、もともとは、神々の知恵をお借りする、あるいは神々の知恵を授かるという意味を持ちました。
つまり「知る」ということは、我々が自分の頭で考えるとか、学んで覚えるといったものではなく、もともとは神々の知恵を得るということであったわけです。
そこから「知」は、「神々と繋がること」を意味する漢字となりました。

そしてこの「知」という漢字が、古事記で最初に使われているところが、天照大御神、月読命、建速須佐之男命の三貴神がお生まれになったシーンです。
このとき、三貴神が生まれたことをたいへんに喜ばれた伊耶那岐大神が、三貴神それぞれに、
「汝命者、所知高天原矣」 (いましみことは高天原を知らせ)
「汝命者、所知夜之食国矣」(いましみことは夜之食国を知らせ)
「汝命者、所知海原矣」  (いましみことは海原を知らせ)
と事依(ことよ)された、と書かれています。

ここで三度繰り返して「知」と書いているのです。
できるだけ言葉を省く漢文において、同じ言葉を三度も繰り返しているということは、古事記がそれだけ「知」という言葉を大事にしているということです。

こうして三貴神によってそれぞれ高天原、夜之食国、海原が「知」らされることになるのですが、建速須佐之男命だけは海原を「知」らさず、ついに父である伊耶那岐大神によって海原から追放されてしまいます。
そこで、建速須佐之男命は、姉のいる高天原に向かうのですが、高天原においては、天照大御神が最高神として、あらゆる権威と権力を併せ持つ神様となっています。

ところが、権威はともかく、権力まで併せ持っているということは、権力は当然に責任を伴いますから、高天原に万一のことがあった場合、天照大御神がその責任をとることになってしまいます。
実際、天照大御神は天の石屋戸にお隠れになってしまわれるのですが、そうなると、天照大御神は太陽神ですから、この世から太陽が失われてしまうことになります。

そこで八百万の神々が立ち上がり、我が国初の国会を天の安の河原で開いて、天照大御神に岩屋戸からお出ましいただくわけです。
そして、ここに至ってはじめて、高天原においても最高権威と最高権力が分離され、天照大御神は高天原の最高権威、八百万の神々の代表が最高権力を持つという、権威と権力の分離が行われるわけです。

そして天孫降臨に際しては、その高天原と同じ統治を中つ国において実現するように、迩々芸命(ににぎのみこと)が天照大御神に命ぜられています。
つまり、この地上においても、迩々芸命の直系である天皇は国家最高の権威であり、国家権力はその下位に置かれるもの、という形が、日本の基礎となる形となったということが、古事記によって明らかにされています。

権力者が、土地や民衆を私有化することを、これまた日本の古い言葉で、「ウシハク」といいます。
「ウシハク」とは、「ウシ」が主人で、「ハク」が大刀を越しに佩(は)く、というように、私的に自分の所有物とすることを言います。

我が国統治の特徴は、国家最高の存在を「シラス」権威とし、その下に「ウシハク」政治権力者を置いたことにあります。
そして、ここが重要なところですが、国家最高の存在が、ウシハク権力者が私有しようとする領土領民を、「おほみたから」としたということです。

つまり、ウシハク権力者が私的に支配しようとする領土領民は、ウシハク権力者よりも上位の国家最高権威である天皇によって「おほみたから」とされている、天皇の領土領民と既定されているのです。

自分のものであれば、勝手に処分したり、殺したり奪ったりすることは、所有者の勝手です。
けれど我が国では、すべての領土領民は天皇の「おほみたから」であり、その天皇は神々とつながる「シラス」存在なのです。
こうなると、いかに権力者といえども、身勝手な処分行為は一切できなくなります。
それどころか、権力者の位置づけは、「おほみたから」である領土領民が、すこしでも豊かに安全に安心して暮らせるようにしていくことこそが、権力の持つ意味だということになります。

古代に限らず現代においても、世界には、権力者が領土領民を私的に支配している国が、いまだにたくさんあります。
ところが日本では、はるか神話の昔から、国家最高権威でる天皇によって、領土領民が「おほみたから」とされてきたのです。

つまり西洋社会が19世紀の市民革命によって、ようやく手に入れた市民の権利が、我が国では古代から、あたりまえのように、天皇によって市民に与えられていたのです。
これは実に画期的なことです。

いまも、天皇をないがしろにする人がいますが、そうした人たちというのは、ひとことで言えば、シラスという概念をまったく理解しない人か、あるいは自分が権力者となって人々を私的に支配したい人たちということになります。
そこに、民衆の幸せという概念は、まったく働いていない。
自分勝手なご都合主義がそこにあるだけです。

天皇という存在は、単に世界最古の王朝ということだけに意味があるのではありません。
私たちは、天皇という存在によって、ウシハク権力者からの自由を得ているのです。
日本人は、いまこそ、そのことを思い返すべきときに来ていると思います。

以上の内容は、拙著『ねずさんと語る古事記 壱』に書いていることです。

 

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