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さくらの花びらさんのブログよりの転載です。

https://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/34984209.html

 

 

戦前は情報機関の「陸軍中野学校」があった。
 
彼らは特務機関として米・英・仏・蘭に植民地支配されていたアジア各国に行き、独立を支援した。
 
当時、日本は支那事変が長期化していたため、事変を終結させるために欧米から蒋介石国民党に支援されていた武器や物資のルート「ビルマルート」を遮断することにした。
 
ビルマは英国の植民地であった。
 

陸軍中野学校出身者を中心に「南機関」をつくり、機関長は鈴木敬司大佐とし、ビルマ独立を目指す若者と結んだ。

 
この「ビルマ三十人の志士」を密かにビルマから脱出させて、海南島に軍事施設を開設して彼らを徹底的に軍事訓練した。
 

鈴木大佐は北部タイで200名のビルマ独立義勇軍を結成する。

 
昭和1714日、南機関が養成したオン・サンやネ・ウィンら三十人志士を先頭にビルマに入ると、まるで英雄のようにビルマ群衆から熱狂的に迎えられ、ビルマ国民軍は雪だるま式に増え、その勢いでラングーンを陥落させた。
 
この時のことを、後にビルマ首相になったバー・モウが著書『ビルマの夜明け』で「来る日も来る日も群衆がパゴタを訪れ、人々は日本語で『バンザイ』を叫んで、日本に対する深い感謝を現わした」と書いている。
 
このビルマ国民軍は戦後、ビルマ国軍の母体となる。
 

鈴木敬司大佐が内地に戻る時、ビルマ国民軍は別れを惜しみ「軍刀」と「感謝状」を贈った。感謝状にはこのように書いてあった。

 

「鈴木将軍はビルマ独立軍の父である。この恩人を我々は末永く忘れない。たとえ世界が滅んでも我々ビルマ人の感謝の気持ちは滅びることはない。将軍は日本に帰ったら、ぜひとも天皇陛下や東條首相、そして日本国民に知らせてほしい。我々ビルマ人の誠意、忠誠心、勇気、そして日本とビルマの友好を」
 
なぜビルマの人々は日本人に親しみを抱き、天皇陛下のことまで知っていたのか?
 
ビルマを支配していた英国軍はビルマの部落から離れた自家発電付きのキャンプをつくってビルマ人とは無関係の生活をしていた。だからビルマ人で英語を話す者は英国人に使われたごく一部のビルマ人だけであった。
 
しかし日本軍はビルマ人の部落の中に寄宿して、寝食を共にし、まるで親戚のように接したため、大抵のビルマ人は日本語を覚えた。そして日本の唱歌や軍歌も覚えた。
 
戦後、ビルマはミャンマーになったが、ミャンマーの国営テレビ放送は「軍艦行進曲」で始まる。毎年行われる国軍記念日も「軍艦行進曲」が演奏される。

 

 

 
 

 

 

日本の教科書にはいまだに「日本はアジアを侵略した」と書いている。

 
安倍政権も「村山談話」を継承して「日本は植民地支配と侵略によってアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」としている。
 
多大な損害と苦痛を与えた国の「軍艦行進曲」を毎朝流すものか?
 
ビルマ三十人志士でビルマ独立義勇軍将校であったコドマインはこう言った。
 
「私の人生でこれほど幸せだったことはない。我が国から英国が追放され、偉大なアジアの日本民族が馳つけて解放してくれた。日本は我々の古代遺産と領土と自由、宗教、文化を取り戻してくれた。私は死ぬ前にこの幸せな日を見ることが出来て喜びに泣いた」
 
こういう真実の声が教科書や政府にまったく反映されないのは残念である。
 
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