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https://www.daily.co.jp/gossip/2018/04/01/0011122940.shtml

 

 ビートたけし(71)が1日、テレビ朝日系で放送された「ビートたけしのTVタックル」に出演。観光客の激増でトラブルが続出している問題について、意見を述べた。

 

 この日の番組では、東京近郊に急増する中国人街でのゴミ不法投棄などのルール違反、新宿ゴールデン街のマナー違反の外国人観光客など、“迷惑外国人問題”を取り上げた。

 

 エンディングで、たけしは「お金を選ぶか、文化を選ぶか、ってことだろうな。目先の観光客いっぱい入れて、あぶく銭もらって、下町やなんかの我々の文化をあまり傷つけられたくないな、って気持ちはかな

 

りあるね。日本人は貧乏でいいんじゃないか、って思うけどな」と言葉を選びながら語った。たけしは東京・足立区出身。

 

 高齢化に伴い、介護や医療の現場では特に外国人受け入れを促進していることにも触れ、「将来の人口が減って、それを支えなきゃいけない、って(いうけど)……どうにかなるもんだと思うけどな」と自問自答しながらコメント。エンターテインメントに携わる人間としても文化や国と交流してきた経験もあり、「まあ、日本は日本のやり方があるんだろうけど、何もオレは国際化ってのが素晴らしいとは思わないしね」とコメントしていた。

 

国際化の前にしなければならないことがあります

 

日本の文化や伝統の継承です

 

多くの業界で後継者がいないという現実に対処してゆかないと

 

日本が誇ってきた技術が文化が伝統が失われてゆきます

 

これも国際化に憧れたツケかも知れません

 

日本人は裕福になりすぎ辛抱強くなくなったのでしょうか・・・

 

 

 

 

廃業予備軍「127万社」の衝撃 後継ぎ不足、企業3割

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180401-00000037-asahi-bus_all

 

■後継者がいない(上)

 東京商工リサーチによると、後継者難などで毎年3万件の企業が休業や廃業、解散している。技術やノウハウが失われかねない事態にどう対応すべきか。

 

 JR大宮駅から北へ約10キロ。埼玉県伊奈町の事業所や工場が集まる一角に、円戸(えんど)幸雄(82)が1989年に創業した三協技研がある。複数の素材を貼り合わせて包装材などに仕上げるラミネート加工が専門だ。

 社屋に隣接する工場では、ゆっくりと回る二つのローラーから出た2枚の素材を自動でぴったり接着させる工程が続いていた。できたシートは、住宅の鉄骨と外壁の間に入れられ、緩衝材の役目を果たす。

 円戸が考案したこの製法は、大幅な自動化で人件費を抑えられるのが特徴で、特許もとった。製品は全て大手住宅メーカーが買い上げる。「この製品は営業する必要がないんです」。需要は増加傾向という。

 そんなアイデアと技術力で会社を引っ張ってきた円戸だが、悩みがある。自社の将来を任せる後継ぎがいないのだ。

 3人いる娘はすでにそれぞれの道を見つけた。10年ほど前から、取引先企業に頼んで、優秀な社員を後継候補として何人か送り込んでもらった。

 しかし、どの候補者も定着しなかった。中小企業の社長は、営業から開発、製造まで、細かく把握する必要がある。円戸は住宅だけでなく、土木、金属、食品、化学繊維など幅広い取引先から細かい悩みを聞き、独自の技術提案をして商機につなげてきた。同じことを後継者が務めるのは簡単ではない。

 会社の売却という道もあるが、密接な取引がしづらくなると心配する取引先からは、独立経営をお願いされる。「あと3年のうちには跡取りを見つけなければ」。あらゆるつてをたどって探すつもりだ。

 経済産業省によると、この20年で中小企業の経営者の年齢分布は47歳から66歳へ高齢化。2020年ごろには数十万人の「団塊の世代」の経営者が引退時期となる。「中小企業の競争力の源泉は『社長』自身であることが多く、創業者はなおさら。引き継ぐのは簡単ではない」(大手銀行幹部)。少子化や「家業」意識の薄れもあり、後継ぎのめどが立たない企業は多い。

 経営者が60歳以上で後継者が決まっていない中小企業は、日本企業の3分の1にあたる127万社に達する。事業が続けられず廃業する企業の半分は黒字とされ、25年ごろまでに650万人分の雇用と22兆円分の国内総生産(GDP)が失われる可能性がある。

 首都圏近郊の板金会社の社長だった女性(60)は昨春、板金工の兄が約40年前に創業した会社を畳んだ。精密加工技術が評価され、製品は新幹線の車体にも採用された。11年に兄が急死し、社長を継いだ。出入金管理や不利な手形取引の見直しを進め、就任3年で無借金経営に転換した。

 しかし、兄の一人息子は後継に一時意欲を見せたが、結局別の道を選んだ。古株の従業員にも引き継ぎを断られた。「私が会社をみとろう」と決めた。

 取引先からは「同じ品質のものが調達できなくなる」と嘆かれた。廃業すれば、サプライチェーン(部品供給網)の分断にもつながる。何とか技術は残せないかと考え、同業者と交渉し、設備やノウハウ、従業員を譲渡することでまとまった。

 機械設備を売り払って廃業してしまう方が、手続きは簡単で、多くの金額が残る可能性はあった。でも、事業譲渡で技術を引き継ぐことを優先した。女性は言う。「会社をつくり、経営したのは私たちだけど、培った事業は社会のものですから」

 

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