武久塾

介護を受ける者として感じたことを徒然に

不幸のラべリング

2015-02-26 15:11:28 | 武久の視線
老老介護、孤独死、孤立、引きこもり、、、支援する側から言わせれば問題や不幸の代名詞のように使われている
でも、それはいちがいには言えぬ事なんだと思う




老老介護、、、

支援する人から見て大変そうとか、よく愚痴をこぼすとか、いつも言いあいしてるとかがあるのかも知れないけれど
長年つれそった夫婦が互いに老いてゆき、自分らのペースで、自分らの価値観で、自分らの世界を生きている、、、そんな夫婦もあるんだ、と思う


孤独死、、、

枕もとで家族たちに看取られても、本人が(死にたくない、死ぬのいや、誰か誰か、、、)と思って逝く
一人暮らし、アパートの布団で(俺もだんだんかなぁ、まぁまぁいい人生だったよなぁ)と思ったりして逝くとでは、どちらが孤独なのだろう


孤立、、、

僕自身そうなのだが、支援してくれる方がこんな事したら楽しいだろう、と思うような事
たとえばパーティーにゆく、祭りにゆく、何かを観にゆく、、、支援者の楽しいだろうなと思う事=体の不自由な僕の楽しさではない


僕がデイサービスに通ってた頃
芸能界やテレビ、流行ものやスポ少話題などをスタッフに話しかけられても、興味がなく世間話をしない僕は「孤立してます」と申し送られたり


あすこ行きましょう、ここ行きましょうと娯楽やイベントに誘われ、気のりはしないものの、つき合いと思い参加したものもあったが 僕は苦痛だった
老老介護、孤独死、孤立、引きこもりなどなど、支援する側の視点だけで不幸のラべリングをしてはいけないと僕は思う。
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