蒲団着て寝たる姿や東山 服部嵐雪
京都は三方を山で囲まれ、特に東山三十六峰はなだらかな山並みです。
一番北にある一番高い「比叡山」から南へと続きます。
その比叡山を寝ている人の頭と見立て詠まれた俳句は、子供の心にも訴えてきました。
子供の頃、有名だったと思います。
嵐雪は、江戸時代の人
淡路の武家の出で、芭蕉はお弟子さんである嵐雪を、高く評価していたそうです。
あ、実は「蒲団(布団)」の事なんですけどね。
昨年私は、蒲団(布団)が冬の季語だとは知りませんでした。
それで、季重なりの句を詠んでしまいました。
カメムシや布団干したる今日の悔い
この句詠んだのも、悔い。
さてこの蒲団は? ↓
座蒲団が直虎さんの部屋にも置いてありました。
この原料は?
蒲団の起源があって、
「蒲団(ふとん)」とは、かつてはガマ(蒲)の葉で編んでつくった座禅用の丸い敷物。
鎌倉時代に中国から、禅宗と一緒に伝えられました。
座布団から始まっているのですね。
私たちがイメージするようないわゆる柔らかい綿入りのふとんが
庶民一般に普及し始めたのは昭和以降。
それまでは、綿布団はごく一部の富裕層しか買えない高級品でした。
莚(むしろ)
かつては、むしろを掛けたり、小屋に積んだ藁(わら)にもぐって寝たそうです。
そう言えば、何回か前の「おんな城主直虎」の中で、
ムロツヨシさん演じる、村人?が、藁を積んだ中に入り込んで寝ていた、あれですね♪
綿の原料はと言うと、
初めて日本に木綿の種子がもたらされたのは、延暦18年(799)の頃、
平安時代の初めですね。
しかし最初の栽培はうまくいきませんでした。
ついで栽培の行われたのは室町末期の戦国時代。
栽培に成功し、京都へ持ち込まれます。
戦国時代に木綿の栽培が成功して、日本の各地に拡がりました。
しかし、日常使いとしてよりも戦のための物でした。
武具や陣幕、旗の他に、火縄銃の火縄の材料として重要とされていたのです。
そんなこんなで、昭和時代以降にようやく、ふとんは庶民にまで普及し始めました。
エッ、そんなに最近? と思いませんか?
思えば、祖母や母は綿を打ち直し、また蒲団に仕立て直していた事が有りました。
綿は高級なものだったのですね。
「蒲団」 が冬の季語だという事、ガッテンガッテン!
冬以外は、貴重品の布団は使わなかったのかもしれませんね。
今は、羽毛布団の消費もドンドン伸びているのではないかと?
鳥さん、酉年なのに、ごめんなさい…
大切に使わないと。
でも淡路出身の人だなんて どの先生も教えてくれなかったです
”蒲団着て寝たる姿や東山 ”も有名ですね
多分南あわじ市榎列に住まう従姉も知らないのじゃないかしら
蓆、子供の頃は 祖父や父が 編んでいました
藁に水を吹き付けて木槌で叩いて柔らかくし、編んでいました
便利に使っていました
道具 納屋に残っているかも
味噌の麹を発酵させるのにも 使ってました
羽毛ふとん 毎朝 中の空気を抜くと長持ちするのだそうですよ
ちなみに 淡路島出身の仏画の名手もいたそうですが、
謎です
”梅一輪…”
幼なじみが、学校ででも、折に触れ書き込んでいました。
その子、実は家がお花屋さんでして、宣伝ですかいな!
と周りの子供らが言ってました、あ、私もです(^_^;)
今はその人物はどうしているのか…
親同士もとても仲良くしていました。
藁は、大切なものなのですね。
そう言えば、納豆菌を付けるため、藁苞で納豆を作ったとか。
羽毛布団の凄技、ありがとうございます<m(__)m>
これからやります♪
たいして上等ではないですが、長持ちさせたいです(^^♪
色んな情報、うれしいですありがとうございました
最近はベットパットや毛布を重ねて使っているので綿のお布団が懐かしく感じます。
うちでも祖母が布団の打つ直しがどうのこうの・・よく言ってました^_^;
一昔前は布団も大切なお嫁入り道具だったのですよね(今もそうかな?)
たった今、日付が替わり、お雛祭りも過ぎ去ってしまいました
何故こうも早いのでしょうか!?
今更、行き遅れる心配も無いですから、今年はお雛様をゆっくり仕舞いますね(^^ゞ
お雛様が厄払いしてくれますように・・
温かな春が待ち遠しいです。
お花が咲いたら、また見せてくださいね
kurokoさんのおひなさま、今年も健在でしたね
見せて頂きました。
もうしばらく飾って置かれるのですね(^^♪
じっくり楽しんでくださいね。
以前はふわふわの敷布団がいいのだと思ってましたが、
そうでもないような…
でも、掛布団はふわふわが良いですね
羽毛布団は軽くて暖かくて、そのくせ、夏も快適な気がします。
厚めの掛布団と、薄い中掛け布団を羽毛布団にしています。
といっても、多少フェザーも入ってるのですが…(^_^;)
安眠はなによりの健康の元ですね。
お互い、今日もスヤスヤ眠りましょうね