下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【18】
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mixi日記2017年3月21日から
テーマサイトは下記。
【「できる」の命令形って「できろ」ですか?「できれ」ですか?どっちにしても違和感があります…】
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「できる」の命令形って「できろ」ですか?「できれ」ですか?どっちにしても違和感があります…
==============引用終了
最初は興味深く読んでいたのだが、例によって……。
まず一般的な答えを書こう。「できる」は上一段活用だから、命令形は「できれ」にはならない。仮に命令形があるとしたら、「できろ」にしかならない。
じゃあ「できろ」と言えるか……ってのが派生問題だろう。
あげられた資料を確認しておく。
なんでこういうのをちゃんとリンクを張ってくれないんだろう。まったくもう。
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===========引用開始
デジタル大辞泉の解説
かのう‐どうし【可能動詞】
五段(四段)活用の動詞が可能の助動詞「る(れる)」を吸収して、下一段活用に転じ、可能の意味を表すようになったもの。「書ける」「泳げる」「読める」の類。命令形はない。
[補説]現在では、五段活用以外の動詞からできた「見れる」「来れる」などをも、可能動詞と認める場合がある。
===========引用終了
〈「見れる」「来れる」などをも、可能動詞と認める場合がある〉んだ。ふーん。どんなときだろうね。方言とか? ラフな話し言葉とか? 「認める場合がある」とだけ書いて、具体例をひとつもあげないのは、辞書としてどうなんだろう。
次はWikipedia。
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===========引用開始
なお形態的には全く異なるが、「する」に対して「できる」も可能動詞と同様に用いられる(例:「使用する」に対して「使用できる」など)。
可能動詞には命令形が用いられにくく、「読めろ」・「走れろ」などの命令的な表現は極めて稀である。
===========引用終了
このWikipediaの記述がどこまで信用できるかは不明。 もっともらしく書いてはあるが、この直前の可能動詞のでき方に関して、「ar抜き」がないのはなんでなんだろう。あれ? この項は知り合いが書いていたのでは……。
おそらく、問題は「できる」を可能動詞として扱ってよいか否かってこと。
可能動詞には、命令形はないはず。『大辞泉』が断言してるんだから、よほどしっかりした典拠がないと反論しにくい。
「書けろ」「話せろ」etc.……まず言わない。
これが「できる」の話だと「できろ」と言うか否か。「書けろ」「話せろ」よりは異和感が弱いが、基本的には言わないだろうな。
たとえば、建築中の新居が年内にできれば税金がうんと安いって状況があったとする。年内にできるはずが、諸般の事情で微妙になった。建築主は思う。
「年内にできろ」
これって命令形なのか? フツーは祈り・願いの類いで、「年内にできてくれ」と思うんじゃないか。
そういう形なら「書けてくれ」「話せてくれ」もアリだろう(「できてくれ」に比べると強い異和感があるが)。でも「書けろ」「話せろ」とは言わない。おそらく「できろ」も言わないんじゃないかな。
【可能動詞の命令形 「できる」の命令形 教えて! goo 辞書】 〈2〉
mixi日記2017年3月29日から
直接的には下記の続きだろうな。
【可能動詞の命令形 「できる」の命令形 教えて! goo 辞書】〈1〉
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テーマサイトは下記。
【続 「できる」の命令形】
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うーむ、そうか。
庭先生の文体でこういうふうに書かれると、そんな気もしてくる。(←オイ!)
大前提として、当方は記述(文法)/規範(文法)という考え方がよくわかっていない。
【「そのようにおっしゃられても困ります」〈2〉毒抜き編 規範文法と記述文法】
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===========引用開始
「規範文法」と「記述文法」の話って、どこまで一般的なんだろう。「文法って言ったら文法だろうが」って言うのは暴言なんだろうな。
「規範文法では×だけど、記述文法では○」とか書かれると、それだけで蕁麻疹が出そうになる。
「文法的には×だけど、一般には許容されている」
「厳密には×だけど、使う人は多い」
くらいなら、なんとかついていける気がするけど。
いずれにしても、もっと具体的に書いて説明してもらえないと何がなんだか。
「規範 記述 文法」でネット検索すると、ウンザリするような量がヒットする。その書き方もウンザリするものが多い。なんとなく理解しているつもりの当方も、読めば読むほどわからなくなる。
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比較的わかりやすいのは、下記あたりだろうか。
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ただ、そういう考え方ではとらえきれないものもある気がする。
たとえば、「い形容詞終止形」+「です」。
「うれしいです」「悔しいです」の類いで、「うれしかったです」「悔しかったです」も同類だろう。
元々は×だったはず。もう少し詳しく言うと、「記述文法」では○だったけど「規範文法」では×だった(はず)。
ところが昭和27年に文化庁が認めたせいもあって長らく許容されていたもんで、いまでは辞書も認めてしまったようだ。こうなると、「規範文法」的にも○なんだろう。
そうなると、「形容詞+です」を×にする理由は何もない(笑)。
実際の使われ方を見ると……。
1)一般人はけっこう使っている
2)日本語教師用の教科書は認めている
3)頭が固い(「語感が鋭い」とも言う)人は使わない
4)新聞は、カギカッコの中(≒話し言葉?)に限って認めているようだ
日本語ネイティブ向けの教科書がどうしているのかはわからない。たぶん認めているのだろう。×にする理由がないから。どなたか教えてください。
個人的には、よほどのことがない限り使わない。
「形容詞+です」は誤用とする根拠が希薄になった。
これと「よく使われるけど誤用とされる」の違いを記述文法ではどうしているのだろう。下記あたりは一般には「よく使われるけど誤用とされる」はず。
「ラ抜き言葉」(これがイチバン微妙で、もはや「誤用」とは言いにくい)
「イ抜き言葉」
「サ入れ言葉」
===========引用終了
mixiで難解な説明をする人がいて、余計わからなくなっている。
という曖昧な理解のまま、本題へ。(←オイ!)
まず、「できる」は可能動詞と同じように使われるけど、やはり可能動詞とははちょっと違うと考えるべきなんだろう。いわゆる可能動詞の命令形には強い異和感がある。『大辞泉』が〈命令形はない〉と断定していることに、とくに異論はない。
ただ、これが「できる」だと、〈1〉で書いたように「異和感が弱いが、基本的には言わないだろう」なと思う。これは「書かない」「使わない」と言っても同様だろう。
間違いとは思わないけど。
回答例を見ると、程度の違いはありそうだが、「言わない」という人がほとんど。
ここで文法音痴丸出しのことを書くと、記述/規範問題になるのは、一般的な文法のルールではXだけど、けっこう使われる、って場合なのでは。
一般的な文法のルールでは「できろ」なるけど実際にはほとんど使われない、というのはどう考えればよいのだろう。
ついでに書くと、使う人が多ければ記述(文法)的にはOKって考えは近年のような状況になると通用しないのでは。ネットでどんなにバカな文章が垂れ流されても、「あくまでも間違い」と考えなければならないことが多すぎるよな。
たとえば「直截」を「ちょくさい」と誤読する人がいくら多くても……これはもう「ちょくさい」が「慣用読み」になっちゃったらしいorz。「あくまでも間違い」とは言えないか。でも「雰囲気」を「ふいんき」と読む人がいくら増えても、「あくまでも間違い」だろう。これは文法の話ではないか?
当方のいつもの考え方だと、「できろ」は「間違いではないけど避けたほうが無難」(使う理由はない)ってことかもしれない。でも「できろ」に関しては、もう少し異和感が強い気がする。
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