わがまま歌姫の闘い vol.1
注)純粋なライブレポートでは無いです。あと長い。
2017.10.20は有安杏果のソロコンサート「ココロノセンリツ vol.1.5」が大成功のうちに終わりました。
彼女が集大成と言っていた通り、歌も楽器演奏もダンスも、過去最高に素晴らしいコンサートでした。
更に言えば、ラストでスクリーンに投影されていたように、
総合プロデューサー有安杏果としての手腕が大きな要因だったのでしょう。
彼女はこのコンサートにおいて2つの大きなわがままを言い、それを貫き通しました。
その折れない心は間違いなく、このコンサートを成功に導いたと言って過言ではないと、私は思います。
ひとつめのわがまま。
有安杏果は10.15に生配信されたLINE LIVEにて、
武道館でのソロコンサートにおけるペンライト使用の自粛を呼びかけました。
有安杏果のココロノセンリツ♪グッズ大公開SP!~武道館編~
その発言に当然のように一部モノノフは荒れました。
百田夏菜子が国立競技場の聖火台で、
「私達が暗闇に包まれた時は、その明かりを頼りに進んで行きたい」と語ったように、
オタクにとって推し色のペンライトと言うのは正義の剣に等しい。
有安杏果自身も、緑色に染まった国立などの様々なシーンで感動の涙を流し、感謝の言葉を口にしていた。
その過去を否定されたようなものだから、困惑したり怒る人間がいても無理はないのである。
しかしこの「ペンライト自粛」の流れは唐突に訪れたわけでもなかったりします。
これまでのココロノセンリツプロジェクトの流れ自体が、その方向性へと常に向かっていた。
彼女の初ソロコンサート「ココロノセンリツvol.0」においては、
自己プロデュースで13種類ものオリジナルグッズを展開したにも関わらず、
アイドルグッズとしては売れ線なはずのペンライトがラインナップにはなかった。
他のメンバーのソロコン、ペアコンではもれなくラインナップされていたし、
今やアイドルではないアーティストのグッズにもラインナップされるのもざらである。
エゴサーチでファンのニーズを良く解っている彼女が、
これを外してきたことは何らかの意図があることは目に見えていました。
そしてライブの内容でも、彼女とバンドマンは盛んにハンドクラップを煽っていた記憶があります。
(最近でもブログで「声や拍手に優る楽器ってないって思う。」などと語っていた。)
これらのことから私は、彼女はソロ活動におけるペンライトを用いた応援を、
積極的には求めてはいないのだと感じたのでした。
更には自分のイメージカラーである緑色も極力使わない。
何物にも染まっていない白を基調としたグッズラインナップ。
それらが、彼女のソロ活動はももクロの活動の範疇では創造することが出来ない、
独自の世界観を構築しようとする強い意欲に満ちあふれていると感じました。
そしてその後も、彼女はソロ活動において脱ペンラ、脱ももクロを推し進めていたように思えます。
ももクロの現場には極力自分のソロ活動、特に曲は持ち込まない。
(武部聡志との最後の二人きりの演奏だったGF16は例外)
vol.0.5でも様々なグッズが販売されたものの、やはりペンライトは無く、東名阪ツアーでも同じく無し、
更にはオリジナル曲が充実したことにより、ももクロの楽曲もセットリストから完全に姿を消しました。
私は名古屋の2日目に参戦したのですが、
この頃からペンライトを持つのを辞め、緑色のグッズも極力持ち込まないような、
彼女の意図を察したファンはかなり増えていたと思います。
それでもやはりペンライトを点灯するファンがまだまだ大半だった。
ただ、このソロツアーから明らかに変わったのが、照明になどよる光の演出である。
ステージの暗転、ピンスポット、落ち着いた淡い色を多用することで、
より彼女の存在感を高め、観客の曲への集中力を高める効果を生み出していた。
またスクリーンに映し出す彼女の撮影した写真、「色えんぴつ」「Catch up」のアニメーションなど、
これまでのステージでは見られなかった新しい演出の数々が取り入れられました。
暗闇、そこに浮かび上がる一筋の光、曲と一体化した映像演出。
それはかつてペンライトの使用を完全に禁止された、「GOUNN」ツアーをも彷彿させるもの。
それを存分に体感するのにはペンライト、特にギガライトの強烈な緑色の光は、
もはや雑味となってしまうのではと、私は感じたのを覚えています。
そして開催された追加公演。
vol.1.3は殆ど情報を入れていなかったのだけれども、やはりペンライトは多かったと聞きます。
このままでは武道館でも同じような形になってしまうため、彼女は冒頭の決断をしたのでしょう。
彼女のソロ活動を「アーティストぶっている」と批判するモノノフは若干ながらいるし、
緑色のペンライトに対するモノノフの想いの強さも、
ソロ活動が楽しそう過ぎて、ももクロを脱退してしまうんじゃないかと心配する声も、
エゴサーチを欠かさない彼女の目にも沢山届いていたはずです。
ペンライトの自粛呼びかけは、それらの論争に拍車をかけるのは目に見えていました。
それでも彼女は決断せざるを得なかった。
集大成、最後の「ココロノセンリツ~feel a heartbeat~」を思い描いた通りに表現するため。
どのような批判も全て自分で受けとめようという強い意志で。
だから公式アナウンスでの「禁止」という形にせず、
あくまで自分の言葉で、生中継を通して伝える形にしたのではないでしょうか。
LINE LIVEでは続けて「絶対に来てくれた皆が、最低でも値段以上と思えるライブにしたい」と語りました。
表現者としてのこだわり、わがままを受け入れてもらうからには、
そのマイナス分を帳消しにするだけの、圧倒的パフォーマンスを見せなければ観客は納得しない。
そのことをしっかりと自覚していたからこそ出た言葉でしょう。
あえて自分に負荷をかけ追い込んだ、有安杏果の大勝負の始まりでした。
さて、時が経ち実際に武道館公演が終了した今。
振り返ってみれば、彼女はその闘いに見事勝利したと言えるのではないでしょうか。
少なくとも私は「ペンライトが振れないのが残念だった」みたいな感想は見ていません。
むしろ彼女のパフォーマンスと、仕掛けた数々の演出を絶賛する声に溢れていました。
東名阪ツアーでも使われた、スポットや淡い青や紫を基調とした照明は、
武道館の規模にもアジャストされて、曲の雰囲気を見事に盛り上げていました。
さらに今回は、足元のLEDライトによるハイビームが効果的だったように思えます。
シューズがキラキラ光って躍動感が強調されたり、光の中で浮かび上がる雰囲気を作ったり。
あえて陰影を作って大人っぽさを出したりと、様々なシチュエーションで絶大な効果を発揮していました。
そして特に素晴らしかったのが本編ラストの「ヒカリの声」でのイントロ。
メインステージから伸びた強烈な2本のヒカリの中、
センターステージへと一気に駆け抜けていく彼女の姿は、
まるでヒカリのトンネルを駆け抜けていくかのようで、曲のテーマと完璧なまでシンクロしていました。
このコンサートを象徴する、最も印象的なシーンと言えるでしょう。
これらの演出は、客席が完全な暗闇になっているからこそ、
最大限に効果が発揮されていたと言って過言ではないと思います。
それから、私が今回見ていて「有安杏果は実にクレバーである」と思わせる流れがありました。
それはオープニングからの一連の流れ。
vol.1.3では「ヒカリの声」から始まる一気に盛り上げようという意図を感じるセットリストでしたが、
武道館では「小さな勇気」→「心の旋律」というしっとりした曲でスタート。
彼女は後に「アルバムの曲順を意識したセトリ」と語っていたのですが、
それだとこれほど前に「小さな勇気」が入るのは不自然に思えます。
しかし私はこの流れを体感しながら、このコンサートでの「ペンライトの不要生」を観客へ感じさせる、
見事な演出になっているのではないかと感じたのでした。
まず、今回導入されたストリングスチームによる「ココロノオト」メドレー。
彼らがスポットライトに照らされ、奏でるクラシカルな音色で会場全体が一気に厳かな雰囲気に。
そして青くぼんやりとした照明の中、センターステージから有安杏果が登場。
会場からは熱狂的な歓声が上がったのだけれども、
ピンスポットに照らされた彼女がマイクを取ると、そのヒリヒリとした気配に一瞬で静まりかえる。
アカペラで歌いだされた「小さな勇気」に皆、息を呑んで聴き入りました。
そしてそのままセンターステージで「心の旋律」と、
特にメッセージ性の強い2曲が情感込めて歌い上げられると、
彼女はまるでコンサートが終わったかのように、四方に深くお辞儀をしたのでした。
この一連の流れと深い礼、その本当の意味は私にはわかりません。
ただこの日、この会場にいた殆どの人間は理解したと思う。
このコンサートにペンライトは必要ないと。
光る棒を振って、歓声を上げることだけが場を盛り上げるということではない。
歌と音楽、それを奏でる歌姫の存在を際立たせる光と闇。
そのコントラストが会場を極上の空間へと誘うのだと。
この演出はそれを気づかせてくれるのに、十分な説得力があったと私は思います。
実際、コンサート開始時点では、まばらではありますがまだ多くのペンライトが光っていましたが、
この一連の流れの最中に、意図を察して光を消してくれた人も何人かいました。
さらに彼女がMCでもう一度「消してくれると嬉しいです」とお願いすると、
しつこくレスを貰おうとグルグル回してる人も私の視界に1人だけいましたが、
最終的には全員がライトを消して、その後のMCやアンコール中も誰一人付けることはありませんでした。
そして満員のお客さんからの拍手と歓声、大合唱でコンサートが最高に盛り上がったのです。
彼女の演出に込めた想いが、お客さんにしっかりと伝わっていたと言えるでしょう。
今回のコンサートは、ラストに「総合プロデュース 有安杏果」とクレジットされたとおり、
彼女の音楽家としてだけではなく、演出家としての力量も試されたステージだったと思います。
佐々木彩夏のファンファーストとも言える、エンターテイメント性を追求した演出とは真逆な、
自身の音楽性を徹底的に追求した、アーティスティックな内容として完成されていたと言えるでしょう。
まだ駆け出しの演出家とはいえ、この2人がももクロというチームに在籍している事、
それは今後のグループにとって大きな財産になっていくのは間違いない。
5人がそれぞれ違う方向性のソロ活動をすることで互いに高めあっていける。
「Chaimaxx」の歌詞にあるような最高のパートナーでライバルとして、
これからも成長していく姿を期待したいと思います。
長いので次回に続きます!
ちなみに私は2曲目の「心の旋律」が終わって拍手してる最中に、
「あぁ、もう値段以上のものは貰えたな」という気分になってしまいました
最高に得した気分になれたコンサートでしたよ
2017.10.20は有安杏果のソロコンサート「ココロノセンリツ vol.1.5」が大成功のうちに終わりました。
彼女が集大成と言っていた通り、歌も楽器演奏もダンスも、過去最高に素晴らしいコンサートでした。
更に言えば、ラストでスクリーンに投影されていたように、
総合プロデューサー有安杏果としての手腕が大きな要因だったのでしょう。
彼女はこのコンサートにおいて2つの大きなわがままを言い、それを貫き通しました。
その折れない心は間違いなく、このコンサートを成功に導いたと言って過言ではないと、私は思います。
ひとつめのわがまま。
有安杏果は10.15に生配信されたLINE LIVEにて、
武道館でのソロコンサートにおけるペンライト使用の自粛を呼びかけました。
その発言に当然のように一部モノノフは荒れました。
百田夏菜子が国立競技場の聖火台で、
「私達が暗闇に包まれた時は、その明かりを頼りに進んで行きたい」と語ったように、
オタクにとって推し色のペンライトと言うのは正義の剣に等しい。
有安杏果自身も、緑色に染まった国立などの様々なシーンで感動の涙を流し、感謝の言葉を口にしていた。
その過去を否定されたようなものだから、困惑したり怒る人間がいても無理はないのである。
しかしこの「ペンライト自粛」の流れは唐突に訪れたわけでもなかったりします。
これまでのココロノセンリツプロジェクトの流れ自体が、その方向性へと常に向かっていた。
彼女の初ソロコンサート「ココロノセンリツvol.0」においては、
自己プロデュースで13種類ものオリジナルグッズを展開したにも関わらず、
アイドルグッズとしては売れ線なはずのペンライトがラインナップにはなかった。
他のメンバーのソロコン、ペアコンではもれなくラインナップされていたし、
今やアイドルではないアーティストのグッズにもラインナップされるのもざらである。
エゴサーチでファンのニーズを良く解っている彼女が、
これを外してきたことは何らかの意図があることは目に見えていました。
そしてライブの内容でも、彼女とバンドマンは盛んにハンドクラップを煽っていた記憶があります。
(最近でもブログで「声や拍手に優る楽器ってないって思う。」などと語っていた。)
これらのことから私は、彼女はソロ活動におけるペンライトを用いた応援を、
積極的には求めてはいないのだと感じたのでした。
更には自分のイメージカラーである緑色も極力使わない。
何物にも染まっていない白を基調としたグッズラインナップ。
それらが、彼女のソロ活動はももクロの活動の範疇では創造することが出来ない、
独自の世界観を構築しようとする強い意欲に満ちあふれていると感じました。
そしてその後も、彼女はソロ活動において脱ペンラ、脱ももクロを推し進めていたように思えます。
ももクロの現場には極力自分のソロ活動、特に曲は持ち込まない。
(武部聡志との最後の二人きりの演奏だったGF16は例外)
vol.0.5でも様々なグッズが販売されたものの、やはりペンライトは無く、東名阪ツアーでも同じく無し、
更にはオリジナル曲が充実したことにより、ももクロの楽曲もセットリストから完全に姿を消しました。
私は名古屋の2日目に参戦したのですが、
この頃からペンライトを持つのを辞め、緑色のグッズも極力持ち込まないような、
彼女の意図を察したファンはかなり増えていたと思います。
それでもやはりペンライトを点灯するファンがまだまだ大半だった。
ただ、このソロツアーから明らかに変わったのが、照明になどよる光の演出である。
ステージの暗転、ピンスポット、落ち着いた淡い色を多用することで、
より彼女の存在感を高め、観客の曲への集中力を高める効果を生み出していた。
またスクリーンに映し出す彼女の撮影した写真、「色えんぴつ」「Catch up」のアニメーションなど、
これまでのステージでは見られなかった新しい演出の数々が取り入れられました。
暗闇、そこに浮かび上がる一筋の光、曲と一体化した映像演出。
それはかつてペンライトの使用を完全に禁止された、「GOUNN」ツアーをも彷彿させるもの。
それを存分に体感するのにはペンライト、特にギガライトの強烈な緑色の光は、
もはや雑味となってしまうのではと、私は感じたのを覚えています。
そして開催された追加公演。
vol.1.3は殆ど情報を入れていなかったのだけれども、やはりペンライトは多かったと聞きます。
このままでは武道館でも同じような形になってしまうため、彼女は冒頭の決断をしたのでしょう。
彼女のソロ活動を「アーティストぶっている」と批判するモノノフは若干ながらいるし、
緑色のペンライトに対するモノノフの想いの強さも、
ソロ活動が楽しそう過ぎて、ももクロを脱退してしまうんじゃないかと心配する声も、
エゴサーチを欠かさない彼女の目にも沢山届いていたはずです。
ペンライトの自粛呼びかけは、それらの論争に拍車をかけるのは目に見えていました。
それでも彼女は決断せざるを得なかった。
集大成、最後の「ココロノセンリツ~feel a heartbeat~」を思い描いた通りに表現するため。
どのような批判も全て自分で受けとめようという強い意志で。
だから公式アナウンスでの「禁止」という形にせず、
あくまで自分の言葉で、生中継を通して伝える形にしたのではないでしょうか。
LINE LIVEでは続けて「絶対に来てくれた皆が、最低でも値段以上と思えるライブにしたい」と語りました。
表現者としてのこだわり、わがままを受け入れてもらうからには、
そのマイナス分を帳消しにするだけの、圧倒的パフォーマンスを見せなければ観客は納得しない。
そのことをしっかりと自覚していたからこそ出た言葉でしょう。
あえて自分に負荷をかけ追い込んだ、有安杏果の大勝負の始まりでした。
さて、時が経ち実際に武道館公演が終了した今。
振り返ってみれば、彼女はその闘いに見事勝利したと言えるのではないでしょうか。
少なくとも私は「ペンライトが振れないのが残念だった」みたいな感想は見ていません。
むしろ彼女のパフォーマンスと、仕掛けた数々の演出を絶賛する声に溢れていました。
東名阪ツアーでも使われた、スポットや淡い青や紫を基調とした照明は、
武道館の規模にもアジャストされて、曲の雰囲気を見事に盛り上げていました。
さらに今回は、足元のLEDライトによるハイビームが効果的だったように思えます。
シューズがキラキラ光って躍動感が強調されたり、光の中で浮かび上がる雰囲気を作ったり。
あえて陰影を作って大人っぽさを出したりと、様々なシチュエーションで絶大な効果を発揮していました。
そして特に素晴らしかったのが本編ラストの「ヒカリの声」でのイントロ。
メインステージから伸びた強烈な2本のヒカリの中、
センターステージへと一気に駆け抜けていく彼女の姿は、
まるでヒカリのトンネルを駆け抜けていくかのようで、曲のテーマと完璧なまでシンクロしていました。
このコンサートを象徴する、最も印象的なシーンと言えるでしょう。
これらの演出は、客席が完全な暗闇になっているからこそ、
最大限に効果が発揮されていたと言って過言ではないと思います。
それから、私が今回見ていて「有安杏果は実にクレバーである」と思わせる流れがありました。
それはオープニングからの一連の流れ。
vol.1.3では「ヒカリの声」から始まる一気に盛り上げようという意図を感じるセットリストでしたが、
武道館では「小さな勇気」→「心の旋律」というしっとりした曲でスタート。
彼女は後に「アルバムの曲順を意識したセトリ」と語っていたのですが、
それだとこれほど前に「小さな勇気」が入るのは不自然に思えます。
しかし私はこの流れを体感しながら、このコンサートでの「ペンライトの不要生」を観客へ感じさせる、
見事な演出になっているのではないかと感じたのでした。
まず、今回導入されたストリングスチームによる「ココロノオト」メドレー。
彼らがスポットライトに照らされ、奏でるクラシカルな音色で会場全体が一気に厳かな雰囲気に。
そして青くぼんやりとした照明の中、センターステージから有安杏果が登場。
会場からは熱狂的な歓声が上がったのだけれども、
ピンスポットに照らされた彼女がマイクを取ると、そのヒリヒリとした気配に一瞬で静まりかえる。
アカペラで歌いだされた「小さな勇気」に皆、息を呑んで聴き入りました。
そしてそのままセンターステージで「心の旋律」と、
特にメッセージ性の強い2曲が情感込めて歌い上げられると、
彼女はまるでコンサートが終わったかのように、四方に深くお辞儀をしたのでした。
この一連の流れと深い礼、その本当の意味は私にはわかりません。
ただこの日、この会場にいた殆どの人間は理解したと思う。
このコンサートにペンライトは必要ないと。
光る棒を振って、歓声を上げることだけが場を盛り上げるということではない。
歌と音楽、それを奏でる歌姫の存在を際立たせる光と闇。
そのコントラストが会場を極上の空間へと誘うのだと。
この演出はそれを気づかせてくれるのに、十分な説得力があったと私は思います。
実際、コンサート開始時点では、まばらではありますがまだ多くのペンライトが光っていましたが、
この一連の流れの最中に、意図を察して光を消してくれた人も何人かいました。
さらに彼女がMCでもう一度「消してくれると嬉しいです」とお願いすると、
しつこくレスを貰おうとグルグル回してる人も私の視界に1人だけいましたが、
最終的には全員がライトを消して、その後のMCやアンコール中も誰一人付けることはありませんでした。
そして満員のお客さんからの拍手と歓声、大合唱でコンサートが最高に盛り上がったのです。
彼女の演出に込めた想いが、お客さんにしっかりと伝わっていたと言えるでしょう。
今回のコンサートは、ラストに「総合プロデュース 有安杏果」とクレジットされたとおり、
彼女の音楽家としてだけではなく、演出家としての力量も試されたステージだったと思います。
佐々木彩夏のファンファーストとも言える、エンターテイメント性を追求した演出とは真逆な、
自身の音楽性を徹底的に追求した、アーティスティックな内容として完成されていたと言えるでしょう。
まだ駆け出しの演出家とはいえ、この2人がももクロというチームに在籍している事、
それは今後のグループにとって大きな財産になっていくのは間違いない。
5人がそれぞれ違う方向性のソロ活動をすることで互いに高めあっていける。
「Chaimaxx」の歌詞にあるような最高のパートナーでライバルとして、
これからも成長していく姿を期待したいと思います。
長いので次回に続きます!
ちなみに私は2曲目の「心の旋律」が終わって拍手してる最中に、
「あぁ、もう値段以上のものは貰えたな」という気分になってしまいました
最高に得した気分になれたコンサートでしたよ