(社説)日米2+2 外交の姿が見えない
http://www.asahi.com/articles/DA3S13093147.html?ref=editorial_backnumber
軍事の言葉が躍るばかりで、外交の姿が見えない
政府による安保法の恣意(しい)的な拡大解釈の可能性を改めて示した
外交?そんなものが日米間にあろうはずもない。米国傀儡、追従、従属国家が外交もへったくれもない。このことは先の大戦以前、日本が対米戦争に踏み切る段階以前にすでに米国が予定し構想していた敗戦国取扱い次第に公然と明記されるべき案件だった。日本国は敗戦後この米国の取り扱い準則に従い、ものの見事に傀儡国家然と対米追随国策に甘んじてきたのである。2+2などくだらない、0+2が真相である。安倍晋三一派は死に体だがその腐りきった大和民族の負の部分を最大拡張して米国仕様自衛隊軍用提供の方針をここで明確にした。アメリカの思うがままに動いていく日本、という図式は確定的に形成されていく。明治ははるか遠くになってしまったという嘆きはここにもある、条約改正に地道を挙げた明治人の気概などどこにもない。