唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 第四 随煩悩の心所について (30)  小随煩悩 憍 (1)

2015-07-05 01:00:29 | 第二能変 所依門
 
 今日から小随煩悩の第十番目、最後の憍(きょう)の心所に入ります。
 「云何なるをか憍と為る。自の盛んなる事の於(うえ)に深く染著(ぜんじゃく)を生じて酔倣(すいごう)するを以て性と為し、能く不憍を障え染が依たるを以て業と為す。」(『論』第六・二十六右)
 (どのようなものが憍の心所であるのか。憍とは、自分のおごれることに対して、深く執着を生じて驕ることを以て本質とし、よく不憍を妨害し染を所依として働く心所である。)
 憍 ― おごる心の働き。
 何に対して驕るのかと云いますと、自分の地位や財産や名誉といった飾り物、着飾って「どうや」と見せつける様ですね。僕はこのことについて思い出すことが有ります。若い頃、所謂繁華街で商いを営んでいたことがあります。その時の街の様子なんですが、繁華街はいろんな人の出入りがあるんですね。僕も経験が有りますから一概に云えなんですが、もうよれよれの服を着て、サロンとかパチンコ屋さんの従業員として雇ってもらうんですね。最初は複雑な問題を抱えておられるのでしょう、下を向いて歩いておられるんです。しかしどうなんでしょうか。すぐに店長とかに抜擢されてですね、背広を着て堂々と闊歩されるんですね。その時も、すごいな、あんなに変れるんや、と思っていましたが、まさに憍という心の闇を演出しておられたんでしょうか。しかし暫くすると、また頭を下げて歩いている、どうしたんだろうなと思うと、職探しをしているんですね。こういう例は数限りないのですが、はっきりしています。つまり、『顕揚論』巻第一に「謂く暫く世間の興盛(こうじょう)等の事を獲て、心に恃(たの)んで高挙(こうこ)すと云えり。」或は『対法論』巻第一には「一の栄利の事に随って、謂く長壽の相等と云えり。」と解釈されています。
 興盛とは世間での繁栄、或は過去と現在を比較して、現在が過去よりも裕福で勢力があること。これによってですね、心に恃んで驕ることである。自分を見忘れて、自分でないものを自分として恃んでいるわけです。これが縁となって憍が生起してくると言云われています。
 或は、
 「憍者。或依少年無病長壽之相。或得隨一有漏榮利之事。貪之一分令心悦豫爲體。一切煩惱及隨煩惱所依爲業。長壽相者。謂不死覺爲先分別此相。由此能生壽命憍逸。隨一有漏榮利事者。謂族姓色力聰叡財富自在等事。悦豫者。謂染喜差別。」(『大乗阿毘達磨雑集論』巻第一。大正31・699a)
 (憍とは、或は少年にして無病長壽の相に依り、或は随一の有漏栄利の事を獲る貪の一分にして、心をして悦豫(えつよ。喜ぶこと)せしむるを体と為し、一切の煩悩と及び随煩悩との所依たるを業と為す。長壽の相とは、謂うく不死の覚を先と為して此の相を分別し、此の相を分別するに由りて能く壽命の憍逸(きょういつ。おごりたかぶること)を生ず。随一の栄利の事とは、謂く族姓と色力(しきりき。容貌と才能)と聡叡(そうえい。知力が勝れていること。聡明であること)と財富と自在との等き事なり。悦豫とは、謂く染喜の差別なり。)
 憍とは、少年が無病であり、長寿の相があることを分別するに由って、寿命に対しておごりたかぶることを生み出してくるんだ、と。或は有漏の栄利のことであって貪の一分に摂められる。心をして喜ばせることを以て体とし、一切の煩悩と随煩悩の所依となることをもって働きとする心所である。有漏の栄利とは、具体的には ①族姓が勝れていること。 ②色力が優れていること。 ③聡叡であること。 ④財富(財力)があること。 ⑤自在という、権力の行使ができること、等であると示しています。
 今でいえば、対外的には、財力が有り、地位や名誉があり、政治を司るような権力があることでしょうし、内的には、若さ、健康、長寿、聡明さがあるということを以て、他と比べて自分が優れていると、心がおごりたかぶるのである、と云っているわけですね。此れは有漏法に対して述べていることなのですが、無漏法に対しても、おごりたかぶることは生ずるといわれています。このことにつきましては後述します。
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