『君戀しやと、呟けど。。。』

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『溺れゆく』その弐拾竜

2018-03-29 00:01:51 | 小説『溺れゆく』
カテゴリー;Novel


その弐拾竜

「母は、海外で承認された薬のモルモットになることを承知するかわりに、一週間という自由な時間をもらいました」
 そして約束の時間が終わり、病院に戻ってきた。しかし治療前の検査で妊娠が判明する。今度は堕胎するしないの言い争いをしたと言っていた。
 結局、祖父が折れ、出産することを認めたらしい。
「俺は伯父から母のことを聞きました。でも真実は、祖父が渡してくれた手紙にあったと思います」
 そこには、産んで死を選ぶわけではない、と書かれてあった。最期まで闘うけれど負けてしまったらごめん、という手紙が遺された。
 部屋の奥にいって、その手紙を持ってきた。

 精一は母の文字を知らないという。
「私は彼女にとって、どんな存在だったんだろうな」
 彼は手紙を手に寂しそうに呟いた。
「いくら一週間もらったと言っても、誰かと恋をする可能性は低い。恋愛ができるとは思っていなかったと思います」
 つまり妊娠は目的ではなかった。真実、精一に一目惚れしたんじゃないかと水帆は思う。
「母は純粋に、お父さんを想ったのでしょう」
 精一を見ていると若い頃はさぞ二枚目だったろうと想像できる。
 病院暮らしだった母の目には、たった一週間という時間に与えられた王子様のような感じだったのだろう。
「水帆。一つ教えて欲しい」
 手紙を返しながら、精一が尋ねる。
「何ですか」
「彼女の名前を教えて欲しい」
「え?」
 今さら何の話だ、と思った。しかし、この人はそれすらも教えてもらえなかったのかと思った。
「みんな秘密にしましたか?」
「彼女は、かぐや姫だって。後でいろいろな人に聞いても葛城さんの名前は教えてくれたが、娘だというだけで本名は分からないままなんだ」
 そうだったのか。
 伯父たちも酷なことを。
「ユウキですよ」
 以前、通り名で水帆自身が使っていた名だ。漢字を教えると、これで供養ができると泣いた――。

 不思議な繋がりの三人だった。
 実の妹は瑞穂だけということになる。ストーカーにまでなって追った水帆が、兄だと知る日は来るのだろうか。接近禁止命令が解けた後、彼女は現れなかった。水帆自身が東京を引き払ってしまったからかもしれないが、精一に聞いても居所は分からないというばかりだ。実の父子でありながら、繋がりは薄い。
 一方、真帆は生さぬ仲とはいえ、精一とは余程近くにいる。逆に本当の父親を捜すことは不可能だろう。ただ誰が父親であれ、今ここに真帆が居る事実には変わりない。
 飛島という教師に出会ったことも彼女には幸せな道しるべとなった。無駄なことなど一つもない。
 この回り道は必要だったんだ。

「私に本当に仕事ができるだろうか」
 突然、精一が口を開いた。
「まずは炎天下を散歩して、その生っ白い体を日焼けでこんがりと焼くことから始めましょうか」
 真帆も、分からないことは教えてあげると話している。
 一度は遠ざけた我が子が、戻ってくるというのはどんな感覚なのだろう。でもきっと上手くやっていけるだろう。
 どん底から這い上がってきた三人だ。

 水帆は思う。
 もう人目を気にせずに大っぴらに好きでいられる。どんなに恋い焦がれようと誰にも文句は言わせない。
「真帆。俺はこれ以上ないくらいに、お前に溺れてる」
「じゃ、時々人工呼吸してあげるね」
 とんちんかんな返事に、愛の言葉を期待した自分が浅はかだったと自嘲した――。

【了】 著作:紫 草 
 


HP【孤悲物語り】内 『溺れゆく』表紙
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