3週間に1度行くはずの病院に、2か月半も行っていないので、お電話をくださいました、心配してくださったのでしょうか。
連絡をしなければ、と思いながら出来ずにいました。
先生「どうしたの、薬をまだ飲んでないの?」
私 「はい~」
先生「薬飲まないと、また、でるよ」 (エエッ)
私 「ウ~ン 私、薬嫌いなんです 」
先生「そうか … 」 (怒られませんでした、良かった)
「免疫療法もあるよ」
私 「まだ出来るんですか」
(以前とは病院の様子が違うので)
先生「出来るよ、まだおいてあるからね」
(エッ なにを?)
「今月中には来て」 という感じでした。
後半のまだあるという意味が解らなかったんですが、聞いていません。
まさか、リンパ球が凍結卵のように、密かにどこかで生きているのか。
ポートが身体の中にあるという事か。
考えると微妙な複雑な気分になるので、やめよう。
この先生は、私の命の恩人ですし尊敬しています。
10年前ですが
思い出すのは、胸水を抜くのに長い時間かかるので、病室でテレビのマラソンを見ながら、同室の皆んなや看護師さん、先生とワイワイやって楽しかったなあという事。
そして、冬の京都で雪が積もっていましたが、早朝から病室をまわる若い看護師さんたち。
顔が洗えないので、熱いタオルを配ったり、暖かいお茶をポットに入れてくださる方たち。
いったい何時に家をでたのだろうと思うと、頭がさがりました。
退院したら、がんばろう。
家に帰れたら、私にも出来る事があるはずと。
この時、元気をもらいました。
この時に同室だった人が言っていたのは
大きい病院で、「手術が出来ないのでホスピスに行って下さい」と言われたと。
泣きながら、先生に電話したら、すぐにおいで、と言われたと。
ガン難民という言葉がありますが、診てもらうという事も むつかしいですね。
結局この人は、全てのガンが消えて、私と同じ頃に退院しました。
二人で病院の中を散歩したりしてました。
別の同室だった人が言うには、
この先生の免疫療法は、日本一安いんだよと。
安くてラッキーだったみたいです。
料金は歯のインプラント2本分くらいかなという感じでしたが…
このお金が払えなければ、私は助からなかったのだろうかと思うと、いつも複雑な思いがします。
ただ、必要な時には、お金ってまわって来るしなあとも思います。
病院には、いつ行くか決めていません。
気が向いた時に行くという感じで、いつも申し訳ないと思っています。
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